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2015/07/26(日)
7/28(火)マチ会議


直前告知ですが、7月28日(火)に「マチ会議」をやります。

【マチ会議】7月28日(火)19:00〜21:00頃
 マチの魅力とは、なんだろう?
 訪れたくなる、住みたくなり、働きたくなるまちには、
 何があるんだろう?
 そんなテーマで、自由に話し合います。

場所はグランフロント大阪北館TOWER-C 7Fにある
大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所 都市魅力研究室です。
http://www.toshimiryoku.jp/access.html

ついでながら、翌29日(水)夜はコモンカフェに立っています。20:00-23:00。


2015/07/25(土)
白い砂


小学校低学年の頃、切符を集めてました。
阪神甲子園駅の周りに落ちていたので拾いに行ったり、
野球の時しか開かない臨時出口に忍び込んで、
そこで回収されて置きっぱなしになっていた切符を
がっさり取ってきて悪友と山分けにしたりしていました。
さぞいろんな切符が集まるのだろうと胸をわくわくさせて
公園で分けたところ、ほとんど「梅田」でがっかりしたこと、
「株主優待券って何だ?」と思ったことを覚えています。

阪神甲子園駅の北東側の線路沿いに、
「白い砂」という喫茶店があります。
当時の僕のテリトリー内にあったので
何となく覚えていましたが、入ったことはありませんでした。

創業は昭和34年(1959)、当時はここと甲子園口にしか
喫茶店はなかったそうで、繁昌したようです。
駅の反対側にあるので、球場の集客とはあまり関係がなく、
地元の人たちに支えられて続いてきたお店のようです。

それでも高校野球の時などは、地方からやってくる応援団の
人たちが、時間待ちをしている間に寄ってくれたそうですが、
今は球場そばの駐車場でアイドリングを禁止したため、
応援団のバスは吹田など、最寄りのサービスエリアで時間調整を
するようになり、来なくなったとのこと。

上のような昔話をしたところ、喫茶店のママは
「今やったらもっと面白いでしょうね」と即座に。
「奈良とか、生駒とか、いっぱい集まるんじゃない」

さて、来週の日曜には、
そんな甲子園界隈を自由に歩きます。
甲子園駅はいくらか改修をしていますが、
僕が根城にしていた35年前の雰囲気を
まだいくらか残しています。

Walkin’About @甲子園(西宮市)
開催日:2015年8月2日(日)
集合時間・場所:16:00 @阪神甲子園駅西側改札 
再集合時間・場所:18:00@ららぽーと甲子園2Fクリエートにしのみや内「西宮流」事務所 参加無料 


2015/07/25(土)


朝9時から夜9時まで仕事した後、立花に途中下車して慶州へ。
半月ぶりにビールを飲む。が、味がしない。
サッポロ瓶を1本空け、マスターにはまた体を治してから来ますと。


2015/07/16(木)
七尾旅人ワンマンライブ


塩屋旧グッゲンハイム邸にいます。
七尾旅人ワンマンライブ、soldoutでしたが、
台風のおかげで飛び込みで入れてもらえました。
帰れるかどうかは不明。


2015/07/12(日)
Walkin’About @甲子園


次回のWalkin’Aboutは、僕の地元・甲子園に行きます。
球場まわりでよく遊んでいて、食堂のおっちゃんの
「いらしゃいどうぞいらっしゃいどうぞ」のダミ声ばかりが
印象的に残っていますが、今はどう変わったのかと。

Walkin’About @甲子園(西宮市)
開催日:2015年8月2日(日)
集合時間・場所:16:00 @阪神甲子園駅西側改札 
再集合時間・場所:18:00@ららぽーと甲子園2Fクリエートにしのみや内「西宮流」事務所
参加無料 

 この地はかつて、武庫郡鳴尾村と呼ばれ、武庫川の支流である枝川・申川(さるがわ)が流れていました。白砂青松の海岸の景勝の地として知られ、平安時代より歌枕としても詠まれた由緒ある地です。

 武庫川の改良工事にともない両川は廃され、河川跡は阪神電気鉄道により住宅地、行楽地として開発されました。大正13年(1924)には大運動場(のちに甲子園球場)が開かれ、同年に甲子園駅も開業。翌年以降には、「甲子園浜海水浴場」「甲子園娯楽場」(のちに阪神パーク)」などの娯楽施設などが続々と誕生し、昭和3年(1928)からは「甲子園住宅経営地」の分譲も始まっています。

 レジャーの嗜好の変化により、阪神パークは平成15年(2003)に閉園。跡地は「ららぽーと甲子園」として地域住民を支える大型ショッピングセンターになっています。
 
 今回はこの街を、みなさんの視点で切り取っていただきます。

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“Walkin’About”は、参加いただくみなさんに、思い思いのコースをたどっていただく“まちあるき”です。参加者の方々は、集合場所でエリアについての説明を受けたあと、解散。
約90分後に再び集合いただき、それぞれの見聞や体験を発表いただき、シェアします。



2015/07/11(土)
圏内の歌
この1週間ほど、ずっと頭の中で、
七尾旅人さんの「圏内の歌」が流れていました。

東日本大震災から1ヶ月後に、原発の事故について
七尾さんがこんなアプローチから曲を作っていたことに
大きな衝撃を受けました。
そしてこの曲の存在を知らなかったことにも。


「子供たちだけでも、どこか遠くへ」
「離れられない 小さな町」

映像と紹介は、こちらの方のブログを。
http://yamachanblog.under.moo.jp/?eid=455

そして歌詞は、こちらを。
http://j-lyric.net/artist/a04cd72/l0299b3.html

7/8(水)の夜は、久々にコモンカフェに立ち、
メンテナンス作業をしつつ、お越しいただいた方々に、
この曲を聴いていただいていました。


2015/07/11(土)
Walkin'About@松屋町


7/7(火)のWalkin'About@松屋町は、
どうにか雨が止んで歩きやすくなった中
5名の方にご参加いただきました。

終わりかけの玩具問屋街を覗いたり、
松屋町筋と谷町筋の間をうろついたり
寺町の方まで足を伸ばしたりと
夕闇が迫ってくる中、みなさん自由に過ごされました。

僕は「増村」で花火を1つ買おうとしたら、
それじゃなくてこっちがいいですよと
若い店員が自信を持ってより安いの勧めてくれたので
それを2つ買い、ついでに松屋町筋事情を聞いたり、
たまたま道で出会ったインセクツ編集長の松村さんに
まちの特徴を聞いたりしていました。

再集合後は空堀の「パブ・デッシャロ」で報告会、
その後向かいの「惣」の中の「金甌屋」を覗きました。


2015/07/05(日)
久々にコモンカフェに入ります

何年か前にコモンカフェでライブをされた
七尾旅人さんの最近の作品をyoutubeで観て、
一層磨きがかかっていたのに驚きハマり、
アルバム「リトルメロディ」を買って聴いています。
友部正人さんやフィッシュマンズ以来の衝撃です。

で、この曲をコモンカフェでかけたいと思い、
7/8(水)の夜に、久しぶりにお店に入ることにしました。
興味とお時間がありましたら、お立ち寄りください。

七尾旅人“湘南が遠くなっていく”


2015/07/05(日)
昨日の扇町キャンプ


昨日の扇町キャンプは、小雨降る空模様の中、
それでもやって来る人と会ってみたいという思いから
あえて決行しました。10名ほどが集まりました。

午後3時から6時までは、キッズプラザ前の大樹の下で
飲み続け、その後は夜が空いていたコモンカフェに
移動し、午前0時まで飲んでいました。

扇町キャンプは、もともとバー・シングルズのイベントで、
僕が2001年にお店を引き継いだ時にあわせて引き継ぎ、
定期的に開催していました。
自分の好きな食べ物と音源を1つずつ持って公園に集まり、
ユルユルと飲んでいる、ただそれだけのイベントです。

今回集まった人たちの多くは、僕がシングルズを
運営していた時代(2001-04)のマスターでした。
扇町キャンプはシングルズにとって大切な祭りだったなと
あらためて思い出していました。

この間にシングルズに立った人は160人ほどいて、
うち少なくとも5組は結婚しています。
よほど人が出会いやすい環境だったのでしょう。
それぞれのマスターの日に訪れ合ったり、
みんなで遊びに行ったりということが
僕の知らない間にも、いろいろ起きていたようです。

今回の雨キャンプは、当時のシングルズに
自身のルーツを見ている人たちが集まる
いい機会になりました。

扇町キャンプ、今後年に何回か開催しようと思います。
今まで関わりのあった人たちと出会い直すこと、
新しい人と出会うことを、より大事にしようと思っています。



2015/07/03(金)
明日は扇町キャンプ


明日7/4(土)の午後3時〜10時頃に
「扇町キャンプ」を開催いたします。

これは、僕がシングルズを引き継ぐ前、
店主のキムさんがやっていたイベントです。

扇町公園に、好きな音源一つと食べ物一つを
持ち寄って、音楽をかけながらお酒を飲むというもので、
そこには常連客を中心に、いろんな人が出入りして、
ヒッピーの集会のような雰囲気を醸し出していました。

今回は音源はマストではなく、食べ物、飲み物を
持ち寄る形にしようと思っています。
どうにか天気も持ちそうです。
興味ありましたら、どうぞ。


2015/06/27(土)
島唄



阪急園田駅を北に出て信号を渡り、1分ほど歩いた右手の
雑居ビル向かいの1Fに「島唄」という沖縄料理屋があります。

お店を営むのはケンサクさん・マユミさん夫妻。
ケンサクさんは、戸ノ内の「より道」の喜代子ママの甥にあたり
お店を始めてもう5年ほどになります。
昼間は左官や土間打ちの仕事をしておられます。

このお店に集まるのは、沖縄の人と内地の人が半々ぐらいでしょうか。
沖縄の人が多く住んでいるのは、園田から南東2kmほどの戸ノ内ですが、
島内には学校がなく、小・中学校に通うために猪名川を越えます。
特に園田東中は園田駅の近くにあり、界隈は生活圏内になります。
つまり若い世代にとっては近所にツレがいて、飲食出店をする際には、
候補にしやすい場所なのです。すぐ近くに「いちゃりBar」という
オキナワン・バーもありますが、こちらの店主も戸ノ内の方です。

戸ノ内という場所は、立地論的にいうと「限界立地」で、
外の人にとっては足を運びにくく、主な顧客は島内の人になります。
同郷出身者が多いことで心安い反面、ツケで飲んで、給料や年金や生活保護が
支給されると払う、という振舞いが一般的になります。
つまり現金払いでの経営を成り立たせるには、戸ノ内を出たほうが無難、
という判断も働くのです。

「島唄」は琉鼓会の稽古場からも近く、会のメンバーもよく飲んでいますが、
面白いのは、メンバーの半数近くはナイチャー(内地の人)なのです。
三線を弾き、沖縄の料理や酒を楽しみ、沖縄の歴史や文化にも詳しい
日本人が、沖縄人と一緒にエイサーを踊る。
園田という場所では、そういうことが自然に起こっています。

僕はこのお店で、指笛が吹けなくて悔しい思いをよくします。

「島唄」尼崎市東園田町5丁目46-10 Tel06-6497-1383
 営業時間:午後6時頃〜午前0時頃 日曜休 






2015/06/27(土)
旧集落と新興地の境目を探す


何でもないような街を観る時の愉しみの一つとして、
旧集落と新興地の境目を探す、というのがあります。

お寺や神社、お地蔵さんや祠、古い石垣や水路があったり、
大きな木が立っていたりすると、
そこは昔から人の営みがあった地だと分かります。

園田という地は、猪名川が藻川と分流し、
ふたたび合流する手前の川中島の南辺に位置します。
もともとの集落の中心は藻川の西側の食満あたりにあり、
現在の園田駅界隈は、昭和11年に駅が設置されるまでは
田畑が広がる農村地帯でした。

園田駅の北東部あたりには、法界寺村と呼ばれていて
今でもお寺や神社が残されています。
城のような造りのお寺の1階が駐車場になっていたり、
駅のすぐ北側に「法界寺ビル」があったり、
古い立派な住宅の後ろにマンションが聳えていたりします。
こういうブラタモリ的発見は味なものです。

駅設置と同時に、駅周辺は住宅地として開発されました。
この川中島は、藻川の対岸にある下食満や瓦宮の農地で、
農家にとっては農作業のたびに川を渡る必要があったこと、
また藻川沿いで水害の恐れがあったことなどから、
農家も買収に応じ、開発が進められたようです。
ただ、昭和13年の阪神大水害では、
この住宅地も浸水被害を受けています。

昨日のWalkin'Aboutでは、園田駅近くの薬屋の旦那が
浸水しないようにと、雨の中ブロックを置いていた
という声を拾ってきた方がおられました。
阪神・淡路大震災で地面が落ちたために
さらに水がつきやすくなっているようで。

*園田住宅地の開発については、こちらに詳しいです
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/04kindai/kindai4-5.html


2015/06/27(土)
Walkin'About@園田


昨日のWalkin'About@園田には、雨にも関わらず、
10名の方にご参加いただきました。

うち5名は無料バスに乗って園田競馬場へ。
ナイター競馬で一勝負したり、馬を見たり、
競馬場をウロウロしたり、串カツを食べたりしていました。。

その他の方々は、喫茶店に入ったり、雨の中を歩いたり、
通りゆく人々に果敢に話しかけた方もおられました。

僕は競馬場の中の天ぷら屋と食堂をハシゴして、
酎ハイを飲みながらフランク過ぎる語りで
天ぷらを出している兄ちゃんや、気前よく
食堂のおばちゃんに奢るおじいさんを観ていました。


2015/06/25(木)
和田岬愉楽


今日は夕方に、NHKの「ドキュメント72時間」で
紹介されていた神戸・和田岬の駄菓子屋「淡路屋」へ。
たこ焼きとビールをいただき、その後店主の伊藤さんと、
和田岬の立ち呑み屋を巡りました。

和田岬と、知らないまちを歩くのが大好きという
伊藤さんと意気投合し、近々にWalkin'About@和田岬を
やりましょうと盛り上がりました。

金曜の夕方5時スタートが、いろんなものを観るのに
ベストなのですが、参加したいという方は、
おられますでしょうか?
(写真は和田岬駅近くの「木下商店」です)


2015/06/21(日)
6/18(木)のマチ会議


写真は、6/18(木)のマチ会議の様子。
園田、甲子園、東京駅、長谷寺、河内小阪、高野山、
そして神戸市の創生戦略、といった話が出ました。
次回は、7/28(火)19:00〜@都市魅力研究室です。

そしてその他のTalkin'Aboutの予定は、以下の通りです。
「博覧強記の夕べ」6/29(月)19:30〜@都市魅力研究室
「Information Exchange」7/22(水)19:00〜@淀屋橋ガスビル1Fフラムテラス


2015/06/20(土)
勾玉堂周年イベント


6/15のコモンカフェは、勾玉堂14周年イベント。
勾玉さんには、僕がCommon Bar SINGLESを始めた
2001年からの関わりです。

しばらくご無沙汰でしたが、
この4月からは「ベジご飯・ぽっけ」として、
コモンカフェの月曜昼に入っていただいています。


2015/06/17(水)
Walkin’About @松屋町


次々回のWalkin’Aboutでは、松屋町を訪れます。

自分が行きたい場所を訪ねるまちあるき
「Walkin’About @松屋町(大阪市中央区)」

開催日:2015年7月7日(火)
集合時間・場所:18:30 @長堀鶴見緑地線・松屋町駅改札 
参加無料 

松屋町には、江戸時代から菓子問屋が集中していましたが、明治以降、とりわけ御堂筋拡幅の際の移転によって、人形・玩具・紙・文房具などの問屋が移転してきたことで、“人形のまち”として知られるようになりました。近年はマンションが増え、界隈の風景も変わりつつあります。

すぐ東側の空堀界隈には、もともと豊臣秀吉の大阪城南惣構堀があり、江戸時代には瓦土取場が広がっていました。起伏に富んだ複雑な地形に、戦災を免れた多くの長屋や路地、石畳が残されており、近年は若い人たちのショップが増えてきています。

今回はこの街を、みなさんの視点で切り取っていただきます。

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“Walkin’About”は、参加いただくみなさんに、思い思いのコースをたどっていただく“まちあるき”です。参加者の方々は、集合場所でエリアについての説明を受けたあと、解散。
約90分後に再び集合いただき、それぞれの見聞や体験を発表いただき、シェアします。


2015/06/16(火)
6/18(木)マチ会議



直前告知ですが、6月18日(木)に「マチ会議」をやります。

【マチ会議】6月18日(木)19:00〜21:00頃
 マチの魅力とは、なんだろう?
 訪れたくなる、住みたくなり、働きたくなるまちには、
 何があるんだろう?
 そんなテーマで、自由に話し合います。

場所はグランフロント大阪北館TOWER-C 7Fにある
大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所 都市魅力研究室です。
http://www.toshimiryoku.jp/access.html



2015/06/14(日)
ココルームの日々


大阪市西成区にある「動物園前一番街」の中に
「ココルーム」という喫茶店があります。
運営主体は「こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」
というアートNPOで、2008年から今の場所で運営しています。
http://cocoroom.org/institution/index.html

代表の上田假奈代さんとは、15年のお付き合いになります。
扇町Talkin'Aboutの「ポエトリーリーディングの夕べ」に
レギュラーでお越しいただいていていました。
素晴らしい詩を詠む方だなと思っていました。

その後2003年に、フェスティバルゲートの再生のために
大阪市が空き店舗を借り上げ、アートNPOに貸し出す
事業を行った時に団体を設立し、フェスゲの中に
喫茶店兼事務所を設けました。

假奈代さんはここを
「詩という芸術のための活動拠点」というよりは、
「場づくり、アウトリーチ、まちづくりに関わり、
 表現を軸にしながらアーティストの仕事を作るための場所」
と位置づけて活動を始めました。

すぐそばに釜ヶ崎があったことで、ココルームには、
日雇い労働者とホームレスの人たちがやって来るようになりました。
假奈代さんは彼らを排除することをせず、
話をしたり、相談に乗ったり、一緒に作品を作ったりしました。

フェスゲが閉鎖された後、假奈代さんは、
釜ヶ崎にさらに近い今の場所に拠点を移して、
“社会のための場”を維持し続けています。

僕はTalkin'About以降、假奈代さんと多くの接点を
持ってはいませんでしたが、それは今にして思うと、
「芸術のための芸術」「自分たちがやりたいこと」から
「社会のための」というアウェーに向かう心構えが
できていなかったために、ココルームに足を運ぶのを
躊躇していたからだったのかなと。

假奈代さんはココルームについて
「喫茶店のふりをしている場所」と言います。
行くとまず無料のお茶が出てきて、
何も頼まなくても、この場所にいられます。
もちろんコーヒーやジュースを注文することもできますが。

集まった人たちがおしゃべりをする中で、
表現の意識を持ったり、気づきを得たりする。
運営側も、そこから新たなニーズに気づいて事業化する。
そのプロセスを、重視されています。

ここに集まってくるのは、生活保護受給者、日雇い労働者、
支援の仕事に携わる人、研究者、学生、旅人、
ココルームや釜ヶ崎に関心がある人、
テレビや横浜トリエンナーレで存在を知った人、だそうです。

昼食と夕食の時間になると、スタッフもお客さんも一緒に
奥の小上がりのちゃぶ台で「まかないごはん」を食べます。
いろんな人たちが集まり、分け隔てなく付き合いながら、
自分たちの気持ちをを少し前向きにして、日々を生きていく。

ココルームは、そんな場所になっていました。
今度は「まかないごはん」をご一緒したいと思います。

写真は、差し入れの酸っぱいいちごをほおばる假奈代さんと
スタッフの方々です。


2015/06/13(土)
『山の声』の「街編」「山編」


今日の夜は心斎橋ウイングフィールドで
東京の劇団「カムヰヤッセン」が上演する『山の声』の
「街編」を観ました。
http://kamuyyassen.daa.jp/next.html

『山の声』は、登山家・加藤文太郎と、彼のパートナーで
ある吉田登美久の遭難を描いた二人芝居です。
非情の山に取り憑かれた男たちの、人生の喜びや孤独を
力強い台詞に乗せて綴った作品です。

『山の声』はこれまで、強い加藤と、加藤を慕う、
またはライバル心を燃やす吉田という構図で
舞台化されてきましたが、今回の「街編」では
加藤は、コンプレックスの塊にしてコミュ障、
そして吉田は、自信に満ち溢れつつ加藤を尊敬するキャラ
として描かれていました。これにはちょっと唸りました。

確かに、加藤文太郎の手記『単独行』を読むと、
加藤はこんな人だったんだろうなと思えるし、
戯曲『山の声』は、こういう演出プランも
想定して書かれているはずですが、今まで誰も
こんな風には舞台化しなかったし、僕も思いもつかなかった。
そこを突かれたという感じでした。

もう一つの「山編」の方はきっと、
オーソドックスな演出になるのでしょう。

この2作品を同時に上演してくるというあたりに
『山の声』はこの2つの解釈がどっちも大事でしょ、
という演出家の力こぶが見えていい感じです。

公演はあさってまでです。観た方がいいと思います。


*『山の声』は「くじら企画」によって2008年に上演され、
2009年に第16回OMS戯曲賞の大賞を受賞しています。
作・演出の大竹野正典さんが不慮の事故で亡くなった後、
「くじら企画」によって2度再演された他、
東京の他の劇団でも上演されています。
僕は同作品の朗読劇・ラジオドラマのプロデュースに
5年ほど関わってきました。
http://www.mbs1179.com/yamanokoe/



2015/06/11(木)
散歩と観察 長田〜長田神社〜高取山 最終回
「散歩と観察」の最終回をアップいただきました。
「芝居を見るようにまちを見る」という話を載せていただいています。
http://ours-magazine.jp/walkandwatch/yamanoh-4/

”見巧者(みごうしゃ)”といえば、
芝居などの舞台をうまる見るひとのことなんですが、
たぶん同じように、まちも深く見ようと思ったら
見れるものなんです。

演劇だと、ある登場人物が出てくることにも、
ひとつのセリフにも、劇作家や演出家の意図や伏線が
ありますけど、まちでも同じ。1軒の家をひとつとってみても、
何らかの作為があるはずなんです。


2015/06/09(火)
扇町キャンプ


突然ですが、来る7/4(土)の午後3時〜10時頃に
「扇町キャンプ」を開催いたします。

これは、僕がシングルズを引き継ぐ前、
店主のキムさんがやっていたイベントです。

扇町公園に、好きな音源一つと食べ物一つを
持ち寄って、音楽をかけながらお酒を飲むというもので、
そこには常連客を中心に、いろんな人が出入りして、
ヒッピーの集会のような雰囲気を醸し出していました。

今回は音源はマストではなく、食べ物、飲み物を
持ち寄る形にしようと思っています。
興味ありましたら、どうぞ。

*写真は、2011年5月に、シングルズからの僕の
 「お店10周年」を記念して開催した時の写真です。


2015/06/07(日)
高松町のイストワール


阪急今津線小林駅を東に出て3分ほど進んだところに、
「すーあんまー」という名前の喫茶店があります。
喫茶店ですが、沖縄そば、タコライスを出しており、
店内にはシーサーが鎮座し、紅型の布が掛かっています。

店主は、もともと常連として通っていた喫茶店を
5年前に引き継ぎ開業しています。
生まれは沖縄で、ここから東に徒歩15分ほど、
武庫川に出会う手前にある高松町で育ったそうです。

高松町は、沖縄出身者の方々が築き上げた集落です。

高松町界隈はかつて、ヨンコーバと呼ばれていました。
武庫川堤防の第四次工事現場を略したものです。
そこの工事人夫として長く働いていた比嘉秀信氏が、
工事が終わった後、行くあてがなく困っていたところ、
兵庫県庁の一吏員が、飯場跡の掘立小屋を比嘉氏に与え、
居住を黙認したそうです。昭和6年頃のことです。

比嘉氏が養鶏を営み、仙人のように暮らしていたところ、
その気楽な生活を聞き知った大阪神戸の友人たちが来て、
小屋を建て、養鶏やアヒル、ウサギの飼育に精を出し、
生計を立てるようになりました。

家が13軒に増えた時、県当局から立ち退き命令が出ました。
そこで近くの雑木林の地主から雑木林の土地を借り、
林を伐り払い、砂地に土を入れて茅葺きの家を建て
その地に暮らし続けました。
農業や畜産で生活が安定してくると、
大阪や和歌山からさらに沖縄県人が集まり、
相互扶助のコミュニティを形成していきました。

*「ここに榕樹あり 沖縄県人会兵庫県本部35年史」より

高松町にある「トシヤ精肉店」。
先代の時から数えると60年、この地で営業しています。

「昔はこの周りは、トタン屋根の平屋ばかりで、
 あそこでも、あそこでも豚を飼っとった。
 そうして生計をやりくりしとったんや。
 最初にここに来た先代は、いちばん苦労した。
 残っている人は、今では100歳近い。
 このあたりは、もう孫、曾孫の代になっとる」

界隈には建て替えられ、新しくなった家も多く、
門の上にはシーサーは鎮座し、庭にはゴーヤが植えられ、
街角には石敢當と刻まれた石標が置かれています。

「すーあんまー」から駅の方に1分ほど戻った
「宝塚プレジデント」の下の飲食街の中には
「オーザッパ」という立呑み屋があります。

開業は1年半ほど前で、店主は沖縄2世。
やはり高松町で生まれ育ったそうです。
おそらく店名は「大雑把」と「フランク・ザッパへのリスペクト」の
意味が掛けられていて、店内にはイギリスやアメリカの
ロックの世界観が、随所に散りばめられています。
スパムおにぎりや島らっきょうや久米仙や菊の露があるのは
店主のこだわりでもあり、それを求めるお客さんがあるから
でもあるのでしょう。

小林界隈には、こうした沖縄文化が今も息づいていて、
それがこの街の魅力ともなっているのですが、
これはあまり知られていない話かもです。

写真左:トシヤ精肉店  写真右:オーザッパ店内


2015/06/07(日)
Walkin'About@小林


昨日のWalkin'About@小林には、18名の方が参加されました。

仁川団地を見に行った方、小林聖心に行った方、
阪神競馬場で競馬を見た方、普段車で通る道を歩いた方、
喫茶店で話を聞いた方、地元の酒屋や喫茶店に行った方、
寺社仏閣を訪ねた方、棟上げ式イベントに参加した方、
地元船橋と比較して歩いた方、妙な物を探し歩いた方、
宝塚っぽくない風景を探した方、いい食材を探した方、
地元小林の知られざる名所を教えてくれた方、
駅の構内を探った方、坂に注目して歩いた方。

18名もいると、だいぶ自由な感じです。

改めて小林を振り返ってみると、
阪急今津線の西側の丘陵地に寺社仏閣や学校があり、
線路の東側の街道筋には商店街、飲み屋街があり、
その東には田畑から戸建住宅地になったエリアがあり、
東に進んでいくと、マンションが立ち並ぶようになり、
武庫川の近くには工場や物流倉庫が立ち並んでおり、
かなり多種多様な人たちがミングルしている街だ
ということが、分かりました。

主催の宝塚市西図書館では、今回の発表内容と
みなさんの写真をもとに、たからづかマチ文庫を作るそうです。
きっと読み甲斐のある一冊に仕上がることでしょう。

ちなみに西図書館での「マチオモイ帖2015宝塚展」は
6/14(日)まで開催され、来週末にはワークショップと
トークイベントも予定されています。
http://www.library.takarazuka.hyogo.jp/news/


2015/06/05(金)
クレオ大阪・カフェ開業チャレンジ講座


四天王寺前夕陽丘にあるクレオ大阪中央の3Fには
家賃月3万円(光熱費込み)で6ヶ月運営できる
チャレンジカフェがあります。僕も少し関わりがあります。

このカフェの運営事業者になるには、館が主催する
カフェ開業チャレンジ講座を受講の上、
応募する必要があります。

その講座が、6/17(水)より全6回で開催されます。
興味ありましたら、アプライください。
http://www.creo-osaka.or.jp/webapp/AppMain.php?koza_preview=3691&port=50111&from_kan=05


2015/06/04(木)
淡路屋


NHKで金曜夜に放送している「ドキュメント72時間」。
人々が行き交う場所に行き、そこで72時間カメラを回して
インタビューを続け、そこで起きる様々な人間模様を
定点観測するというこの番組がかなり好きなのですが、
5/15放送の「駄菓子屋・子どもたちの小宇宙」には
かなりの衝撃を受けました。

舞台になったのは、神戸市兵庫区・和田岬の「淡路屋」。
昼間の時間には、学校から帰ってきた子どもたちが集まり、
夜になると、かつて子どもだった若者たちが帰ってくる。

かつての子どもたちの中には、中3で妊娠・出産して
今はスナックに勤めながら子どもを育てている女の子、
一時はグレて鑑別所に入り、「あの頃は若かったで」と
友達と笑い合っている男の子、
「また2人で、うまい棒食べたいなあ」と
ビールを飲みながら、海で亡くした弟を思い出すお兄ちゃん
そんな光景が、画面に映されていました。

そんな淡路屋に、行ってきました。

淡路屋が始まったのは、昭和35〜6年。
もともとは三菱重工・三菱電機の従業員向けの食堂で、
朝・昼・晩に食事を、晩にはお酒も出していました。

現店主の伊藤由紀さんは、3代目。
20年前に、重工・電機のOLさんや三菱神戸病院の
看護婦さん向けにクレープ屋を始めましたが、
開けた当日から、お店にやって来たのは子どもたちでした。

それで100円ぐらいで買えるものをと、
駄菓子を増やしていき、今のようなお店になったそうです。

午後3時前になると、子どもたちは下校してきて
「ねーちゃん、バイバイ」と声をかけていきます。
そしていったん家に帰ってから、お店に集まってきます。

「運動会の練習あって、足痛いねん」「つかれとーねんな」
由紀さんは、友達と話すように子どもたちと話しています。

「私は教えることも、しつけることもしなくていいので、
『へえー、ふーん、おもろいなぁ』と言っているだけ」
でも実際は、子どもたち一人ひとりに興味を持って、
時にチョッカイをかけている、そんな気づかいに満ちた
やり取りに見えました。

子どもたちは、駄菓子を食べながら、お店の前で遊び続けます。
この日は5年生が7〜8人来て、前の道路で相撲を取ったり、
ゴミ集めのケンちゃんと言い合ったり、大声をあげたりします。
由紀さんも「もうちょっと静かにしい!」
「売りもんやから、置いといて!」と、
時に声を大きくしていました。

「でも今日はましな方。こんなんが2,3組来ると、ほんまに大変」

テレビの内容は、誇張でも何でもなく、淡路屋の日常を
そのまま切り取っていたのだと、よく分かりました。

「20年やっていて、やめたいと思ったことはありません。
 気が長いんでしょうねぇ。6年生が出て行ったら、
 今度は1年生が入ってくるし、毎日面白いですよ。」

由紀さんは、子どもたちと話し始めると、
そういうドラマの中に生きている人に見えてきます。
そして行き交う人たちが生き生きとしている場は
なんだか、劇場のように思えます。

残念ながら夕方で失礼したので、
かつての子どもたちには、会えませんでした。
今度は夕方に行ってみようと思います。

淡路屋 神戸市兵庫区笠松通7-3-6 078-671-1939
http://awajiya.ko-co.jp/


2015/06/03(水)
散歩と観察 長田〜長田神社〜高取山 その3
「散歩と観察」第3回では高取山麓の清水茶屋にお邪魔し、
店主の藤田典子さん・佳子さんにお話を伺ったり、
投輪を楽しんだりしています。
http://ours-magazine.jp/walkandwatch/yamanoh-3/

公共空間としての、レジャーランドとしての茶屋。
ここからも、港町・神戸のありようが見えてきます。

次回最終回では、「演劇とまち歩き」という話をします。


2015/06/01(月)
散歩と観察 長田〜長田神社〜高取山 その2 
「散歩と観察」第2回では、高速長田駅から北に、
参道商店街、長田神社を経て、住宅街を抜けて山道に至り、
清水茶屋までを紹介しています。
http://ours-magazine.jp/walkandwatch/yamanoh-2/

六甲の山々がまちに近いということは、
神戸の人たちの生活にどんな影響を与えているのかが
この地を歩いてもいろいろと見えてきます。


2015/05/31(日)
茶摘みで地域を考える


今日はVISIT主催の、佐用町桑野のYOMOMACHA GARDENでの
お茶摘みワークショップに家族で参加しました。
午前中にはお茶を摘み、昼からは蒸した茶葉を揉み、
草花を採ってきて食卓を飾り、食事やおやつを頂くという
一日コースの催しでした。

近くの小学校跡の施設で「ふれあい喫茶」をやっていたので
ちょっと抜けて、そこで地域づくり協議会の方や
ボランティアとして働いていた地元のおばあさんに
お話をうかがいました。YOMOMACHA GARDENの濱田さんの
お話とあわせると、こんなストーリーになります。


このあたりの急斜面ではもともと芋を植え、
こんにゃくを作っていた。江戸時代には平福にあるお城に
こんにゃくで年貢を納め、豊かな土地になっていった。

急斜面はやがて、茶畑に変わった。
摘まれた茶葉は平福の農協横にあった加工場に持ち込まれ、
そこで加工され、番茶として出荷されていった。

小学校の川向かいには、ゴムの工場があった。
いろんな太さのチューブを作り、姫路に出荷して
輪ゴムなどの材料になっていた。かつてはそこで
地元の主婦30人以上が働くことができた。

近年は高齢化が進み、加工場が閉鎖されたことで、
茶葉の出荷をやめ、自家用としてのみお茶を作る家が増えた。

急斜面では今度は、榊・菊などの花木を栽培したが、
それもダメになってきて、出荷するものがなくなってきた。

20年前に廃校になった小学校の校舎は
こんにゃくの加工場に変わり、地域では再び
こんにゃく作りに取り組んでいるが
機械が老朽化してきて、なかなか大変だそう。

地域にいる若い人たちは、外に働きに行っている。
車で1時間近くかけて、姫路まで出ている人も。

今では一人暮らしをしているおばあちゃんが増えている。
バスはなく、お店は山崎か佐用まで行かないとないので、
移動販売車が週何回かやって来る。

地域にある伝統、技術、機械、販路、人材、魅力。
そして外からやって来る人たち。
これを掛け合わせて、地域の未来をどう描けるか。

そんな課題があるのだなと、茶揉みをしながら考えました。



2015/05/31(日)
「山の声」1年半ぶりの再演


今日は神戸で開催された、日本山岳会関西支部80周年の
記念イベントの「山の声」上演に照明係として立会いました。
170名の登山家の方々の前で、神戸ゆかりの登山家・
加藤文太郎のイストワールを上演することができたのは、
とてもありがたいことでした。

故・大竹野正典さんが書き下ろし、
くじら企画で2008年に上演され、
2009年に第16回OMS戯曲賞大賞を受賞した同作品を、
ラジオドラマ・朗読劇としてリ・プロデュースし、
これまでに六甲山、新温泉町船坂、槍ヶ岳山麓・横尾山荘、
松本、大阪と上演を重ね、今回クローズドの形でしたが、
1年半ぶりに、神戸で上演することができました。

おそらく、今年中にまた神戸で、
みなさまにご覧いただけるのではないかと思います。
どうぞご期待ください。

*ラジオドラマ版は、こちらで聴けます。
 http://www.mbs1179.com/yamanokoe/


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shiromuku(hu1)DIARY version 3.10