2022/08/08(月)
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ヴァナキュラーなものの魅力
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8/5(金)のうめきたTalkin'About「暮らしの中のヴァナキュラー 〜民俗考現学で読み解く日常の『なぜ?』〜」には、 オンライン含め、33名の方にお集まりいただきました。
民俗学には、昔はどこにでも存在したけれど、 現代では消えつつある、あるいは地方に残されている 習俗を研究する、というイメージがありますが、
島村恭則先生によると、民俗学は、 「人間を<俗>の視点で研究する学問」なのだそうです。
今和次郎という人は、カフェーの女給の服装や、 新宿の飲食店の分布、お嬢さんの化粧部屋にあるもの、 関東大震災の後に建ったバラックなど、 今、目の前にあることを観察して比較するという営みを 「考現学」と名付けて実践しましたが、
なぜ、そういう振舞いが登場するのかを、 今だけからではなく、過去にさかのぼって考察し、 謎を解き明かしていく態度を、島村先生は 「民俗考現学」と名付けておられます。
新しいシューズを下ろす時に、 わざと靴を汚したり、裏にまじないを書いたりするのは、 葬式の忌みを避けるためのものだということ。 喫茶店でのモーニングが定着するようになったのは、 水道が引かれ、井戸端会議がなくなった頃のこと。 人が亡くなった場所にペットボトルが供えられるが、 それは、かつては井戸ごとに味が違い、 水を供えると帰る場所を迷わないと信じられていたから。 勇気や夢や感動を与えるといった言い回しは 魂は分けて与えることができるという考え方があるからで、 お中元やお歳暮といった習慣は本来、 ものに魂をつけてあげたりもらったりしているもの。
こういうお話を、島村先生からいただきました。 参加者の方々からは多くの質問や意見をいただきましたが、 社会の中にある非公式的な要素に注目する楽しさや、 みんなが参加して研究を深めていける可能性が、 民俗学の魅力なのだということを、改めて知りました。
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