過去の日記

2020/01/17(金)
Walkin’About @深江


次回のWalkin’Aboutでは、神戸市東灘区深江を訪ねます。

自分が行きたい場所を訪ねるまちあるき
「Walkin’About @深江(神戸市東灘区)」

 開催日:2020年2月22日(土)
 集合時間・場所 14:00 @阪神深江駅改札 
 再集合時間・場所 16:00 @同上  参加無料 

 かつての本庄村にあった深江の地は古くから開かれ、縄文時代の遺物が発見されています。また要玄寺川(横川)は8世紀に敷かれた条里制の区画の名残りとみられています。戦国時代には支配者がたびたび変わる中で農民が結束し、深江村も含め多くの郷村が成立しています。桃山時代には豊臣家の直轄領となり、徳川幕府成立後には尼崎藩に組み入れられています。

 西摂では菜種・綿生産が盛んでしたが、18世紀になると海岸沿いという立地条件を活かし、他国産の菜種・綿実を大量に買い入れ、六甲山を源とする河川の水力を利用した絞油業を行うようになり、大坂を脅かすまでの存在となりました。徳川幕府は明和6年(1769)に上地令を出し、東灘南部の主だった村々を天領としています。

 明治政府成立後には、東灘の旧天領の村々は兵庫県の一部となりました。明治7年(1874)年には神戸・大阪間に鉄道が開通し、住吉駅が開業。明治38年(1905)には阪神電気鉄道開業時に深江駅が開業しています。明治22(1889)には深江村は本庄村に編入され、昭和25年(1950)には本庄村は神戸市東灘区に合併されています。1950年代には阪神間の住宅地としての地位を確固たるものとし、人口の急増を経験しています。

 平成7年(1995)の阪神・淡路大震災では、住吉周辺で最大震度7を記録。東灘区全域で死者1,469名、負傷者3,383名、建物全壊13,687件と、甚大な被害を受けています。震災以後には、マンションの増加と都心部へのアクセスの良さなどにより、他市・他区からの転入者の増加が著しく、震災後新たな区民となった割合が4割を超えています。

 阪神深江駅は、現在住吉駅の東側から芦屋市境までの間で行われている連続立体交差事業の一環で神戸姫路方面は2015年に、大阪梅田方面が2019年11月末に高架化され、南北の交通利便性が高まっています。

 今回は、そんな深江を探っていきます。

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 “Walkin’About”は、参加者の方々に思い思いのコースをたどっていただく“まちあるき”です。
 参加者の方々は、集合場所でエリアについての説明を受けたあと解散。約90分後に再び集合いただき、それぞれの見聞や体験をシェアします。

【主催・お問い合わせ】
 大阪ガス蟠甬Ψ部 都市魅力研究室 担当:山納 
 Tel 06-6205-2366 http://www.toshimiryoku.jp


2020/01/16(木)
山科を探る(4)


ラクト山科の西側に残された昔ながらの路地に、
「千成餅食堂」という、お餅やおはぎやおこわ赤飯などが
外のショーケースに並び、麺類や定食も頂ける食堂があります。
中では元気なおばちゃんたちが忙しく動き回っていて、
こんなお店が今も残っていて良かったと思えるお店です。

そこからほんの少し西には、山科京極商店街という
古い商店街通りが残されています。
近所の小中学校用の体育館シューズを扱う履物屋、
制服や体育着や水着を扱う洋服屋などが健在ですが、
その間に呑み屋や何軒も出ていて、ガールズバーもありました。

Walkin'About解散後に、その商店街にあった
「大邱(テグ)」という韓国屋台へ。
奥行きがほとんどない不思議な造りのお店で、
チヂミやナムルを注文すると、ご主人は奥さんのいる
反対側の路地にある別の韓国料理屋に電話し、
出来た頃に取りに行くというシステムになっていました。
ここで営業して8年ほど。その前には渋谷街道の方で、
11年ほど営業してきたそうです。

ビールが進み、店主や二人いた常連さんとも
打ち解けてきた頃に、その一人が昏睡状態に陥り
店主に言われるがままに救急車を呼びました。
その方は半年前まで脳卒中で入院されていたそうで、
「大変なことになった」とその場は緊迫したのですが、
救急隊員が到着するとその方は目覚め、
「誰や、救急車呼んだんは?」と。
結局はそのまま病院に運ばれて行かれましたが。

その後、もう一軒、別のお店に入りました。
この商店街に移転してきたのは13年近く前で、
それ以前ははやはり、もう少し南で商売をしていて、
「この商店街で夜に灯りをともしたのはうちが最初」なのだと。

常連さんには年配の方も若い人たちもいて、
歯に衣着せぬ雰囲気のママは「ちゃあちゃん」と呼ばれ、
常連さんみんなに愛されている感じでした。
帰りにお勘定をしてもらった時に、安さにびっくり。
みなさん安心して毎日のように寄るのでしょう。

これらのお店にまた足を運ぶために、
山科をまた訪れることになりそうです(おわり)。


2020/01/13(月)
山科を探る(3)


さて、ここで直前告知を。

【マチ会議】
 1月14日(火)19:00〜21:00頃 @都市魅力研究室
 http://www.toshimiryoku.jp/access.html

 マチの魅力とは、なんだろう?
 訪れたくなる、住みたくなり、働きたくなるまちには、
 何があるんだろう?
 そんなテーマで、自由に話し合います。

そして山科の続きを。

西友山科店の西側には、本願寺山科別院や長福寺、
蓮如上人御廟所など、本願寺中興の祖として知られ 
この地で最期を迎えた蓮如上人ゆかりの地が
いろいろと散りばめられています。

そんな一角の路地奥に、公園のような空き地のような
不思議な場所を見つけました。
子どもたちが走り回っている後ろには、
巨大な塔のようなものがあります。

帰ってから調べてみると、この塔は
蓮如上人銅像跡というものでした。
昭和9年(1934)に建立されたものの、
戦時中の昭和19年(1944)に金属供出のために、
このようなお姿になり、今に至っているようです。
詳しくはこの方のサイトをご覧ください。
http://yukimarukyotosampo.blog.jp/archives/1016570771.html

右の写真は、そのすぐ北にある山科別院長福寺。
左側のお堂の左に、蓮如上人像がみえます。
なぜ、左の写真の方は再建されなかったのだろう。


2020/01/13(月)
山科を探る(2)


昨年11月に、ラクト山科という、
駅そばの商業施設に無印良品がオープンしました。

コンセプトは「食べる・見つける・買う」。
生鮮品を売っていたりフードコートがあったりと
スーパーマーケットに近い業態になっていますが、
野菜と本を並べていたりと、関連陳列がなかなか新鮮です。
JR・京阪・地下鉄が通り、京都にも大津にも至近の
ロケーションから、こうした投資が進むのでしょう。

「地域をデザインする」という本棚には
「つながるカフェ」と「歩いて読みとく地域デザイン」を
面出して置いていただいていました。感謝です。

ラクト山科のオープンは平成10年(1998)。
各店舗だった大丸山科店の後に無印良品が入っています。
他のテナントには、かつて界隈にお店を持っていて、
市街地再開発で新たな商業施設が建つタイミングで
ここに移転したお店もチラホラ見られます。
こうしたお店を支える高齢者の顧客と
無印に集まるヤングファミリーとが共存しているのが、
いまのラクト山科のようです。

もう一つ面白いのは、無印良品のスタッフの年齢層。
若い人たちだけでなく、シニアの方々も働いておられます。
顧客に高齢者が多い、若い働き手の確保が難しい、
逆に中高年の働き手が確保しやすい、
多様な働き方の支援というポジショニングを得たい、
といった経営判断から、そうなっているのでしょう。

ラクト山科から南へ10分ほど歩いたところに、
西友山科店があります。開業は昭和47年(1972)。
その近隣では山科音羽マンションや山科団地が
昭和48年(1973)に竣工しています。
この時期に界隈はニュータウンとして開発されており、
現在一気に高齢化が進んでいると思われます。
西友の1階にあるマクドナルドを覗くと、
高齢者の団体がいくつも集まって話していました。

つまり、山科駅前での新たな商業誘致の動きは、
若い子育て層の誘致とオールドニュータウンの再活性化、
といった地域課題と連動したもののようです。

ついでながら、無印良品は西友のプライベートブランドとして
昭和55年(1980)に商品の販売を開始し、
平成元年(1989)に西友の100%子会社として独立。
1990年代後半にはセゾングループ以外のジャスコ等にも
商品供給を始めています。

そんな無印良品が、令和元年(2019)に、
山科駅前の商業施設の核店舗として出店している
というあたりに、時代の流れを感じます。


2020/01/12(日)
山科を探る(1)


昨日のWalkin'About@山科には、
13名の方にご参加いただきました。
「島民」効果で初参加の方が8名おられました。

ちょうど初寅会が行われていたので、駅から北へ進み、
閑静な住宅街を抜け、琵琶湖疎水を望み、急な階段を登って
毘沙門堂門跡でまで行ったという方が多数でした。

駅の南側、山科駅からすぐ近くには旧東海道が走っていて、
そこにも江戸時代の雰囲気が残されています。

山科地蔵徳林庵で見かけた井戸には、こんな文字が。
「宰領」とは旅行者や荷物の運搬等の取り締まりのことを
言うそうで、この道が石川県、岩手県、群馬県と
つながっていたことが分かります。
海路ではなく陸路で、なのでしょう。

江戸時代には牛車の通行も多かったそうですが、
逢坂山峠と日ノ岡峠は雨が降ると道がぬかるみ、
多くの物資を積んだ牛車の通行が困難になったことから、
文化2年(1805)に大津から京都三条までの12kmに、
車石という、車の轍を刻んだ花崗岩を敷き並べたそうで、
その石が飾られている場所が何ヶ所かありました。
200年前の物流インフラ整備とはこういうものだったのですね。

山科編、何回か続きます。


2020/01/10(土)
「神戸」と「家族」という港に戻る船旅。


1/9発売の「えんぶ」2020年2月号に、
昨年10月に神戸港で上演したイストワール第10話
『港でカモメがやすんでる日はね、千帆ちゃん』の
インタビュー記事を載せていただきました。
今回脚本・演出をお願いしたPM/飛ぶ教室の蟷螂襲さんと、
企画・プロデュースを行った僕が対談をしています。
http://enbu.co.jp/kangekiyoho/enbu21/

※上のリンクにページの画像も出ています。解像度は荒いですが…

クルーズ船の船内で、水先人のドラマを上演するという実験を、
こうした形で残していただいた吉永美和子さんに感謝です!

記事にもありますが、蟷螂さんはこの作品を、
80分ほどの作品にして、劇場などで再演したいとお考えです。
その実現に向けて、また動いていきたいと思います。


2020/01/09(木)
広義のデザイン


大阪芸術大学デザイン学科での「デザインスタートアップ」
の演習が、ほぼ終了しました。

今回は2つのクラスで7回ずつの演習を行い、
「私が実現したいリ・デザイン」の企画書を作り、
プレゼンテーションをしてもらいました。

今回は1年生を受け持ったのですが、
デザインを「絵を描くこと」だと思っている学生に、
6W2Hを整え、多くの人を説得し、企画を実現させることの
重要性を伝えるという作業は、なかなか骨が折れました。

写真は昨日の板書です。
デザイナー・プランナーが企画を立て、
メーカー、スポンサー、販売者、宣伝者を巻き込み、
消費者・使用者にとって価値あるリデザインを実現するには、
絵を描くだけでなく、論理的に説明することが必要なこと、

そして「良いデザイン」には、審美性、キャッチ性だけでなく、
機能性、コスト、売りやすさなど、複数の要素があり、
立場によって重視する要素が変わるので、
平行線の議論を避けるには、どの軸を大事にして
提案するのかを整理する必要があること、

などを伝えてみました。絵は下手ですが・・・


デザイナーの仕事の大部分は絵を描くことではなく、
上のような交通整理だということを伝えたわけですが、
デザインの仕事をしたことがない学生が
ジレンマとともにこのことを実感するのは、何年か先なのでしょうね。


2020/01/07(火)
OMS戯曲賞の取材記事

そしてもう一つご紹介です。

1/4(土)の毎日新聞夕刊に、OMS戯曲賞についての
かなり長い取材記事を掲載いただきました。
https://mainichi.jp/articles/20200104/ddf/012/200/009000c

WEBの方は有料記事なのですが、後半に僕のコメントも出てきます。


2020/01/07(火)
ご紹介をいくつか


昨日届いた学芸出版社からのメールマガジンにあった、
同社の「2019年の年間売れ筋ランキング」で、
『歩いて読みとく地域デザイン 普通のまちの見方・活かし方』
が4位に入っていました。

お買い上げいただいたみなさま、
そして出版・販売に尽力いただいたみなさま、
ありがとうございました!

また、昨日届いていたアルパック発行の、
レターズアルパックの中で、適塾路地奥サロン
「街から教わる地域デザイン論〜アメリカ編」のれぽーとを
掲載いただいていました。
https://www.arpak.co.jp/letters/letters219/post2038.html

スライドトークとともに、少し込み入った話もしたのですが、
うまくまとめていただきました。
関係者のみなさま、ありがとうございます。

そして学芸出版社のページでは、1/20(月)開催の、
Talkin'About「歩いて読みとくアメリカ都市」の
告知を載せていただきました。
http://book.gakugei-pub.co.jp/event-america-200120-osaka/

お話しする内容は、適塾路地奥サロンと同じです。
興味ありましたら、どうぞお越しください。


2020/01/04(日)
有馬リバース


今朝は6時過ぎに家を出て、
六甲最高峰をかすめて有馬温泉までラン。
9時前には金の湯に入り、炭酸煎餅を土産に買い、
喫茶。パーラーいずみでモーニングを頂き、
芦屋行のバスに乗り込んだところ、
2800円だけ持って出掛けた残金が
バス代未満だと発覚しました。

1時間に1本のそのバスをあきらめ、
神戸電鉄の有馬温泉駅まで行ってみたところ、
その所持金では新開地にも行けないと分かりました。
いろんな選択肢が頭を巡りましたが、
その中で一番面白そうなものをと思い、
来た道を歩いて引き返すことにしました。

一見茶屋に登りついたのは1時間後。
そこからは下りだし大丈夫と思っていましたが、
いずみモーニングでは血糖値が足りなかったようで、
だんだん朦朧として眠くなってきました。
荒地山の水場までたどり着き、炭酸煎餅に手をつけて、
どうにか急場をしのぎました。そんなタイミングで、
トレーニング中の鷺本さんと出会ったり。

そこから奥高座を抜けて大谷茶屋まで下り、
糸井ファミリーがやっていた六甲山カフェで、
おでんと日本酒を一杯頂いてから帰ってきました。

結果、往復6時間、総歩数4万歩の山行と相成りました。
無茶そのものですが、それぐらいの無茶はまだ可能、
というあたりに妙な自信を得たりもしました。
もっと普段からトレーニングをしていれば、
もっと余裕を持ってお金を持って行っていれば、
育む必要のない自信なのですが。

お正月休みは、そんな感じで英気を養っています。



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