過去の日記

2022/05/28(土)
がくげいラボ×Talkin'Aboutの軌跡


一昨日のがくげいラボ×Talkin'Aboutでは、
『郡是創業者 波多野鶴吉』を最近出版された
京都新聞の八幡一男さんに、この本を書いた動機や
どうやって取材したのか、取材時のエピソードなどを伺い、
僕からはドラマシリーズ「histoire イストワール」の話をしました。

フランス語の「histoire」には、「歴史」と「物語」という
2つの意味があるのだと、小説家のいしいしんじさんに伺い
このタイトルをつけました。

かつて起こったことについて、僕らは、
「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「どのように」を
ある程度追うことはできますが、「なぜ」についてだけは、
本人に聞いてみないと分からないし、
本人が本当のことを言っているのかも分からない、
もしかしたら、本人にも分かっていないかも知れない。

だからこそ、歴史的探求はどこかから物語の探求になる。
フランスの人は、そのことをよく分かっているのかも知れません。
当日はそういう角度から、地域に眠るドラマを
発掘し、伝える営みについて話し合いました。

がくげいラボの過去回のアーカイブは、
「まち座プラス」に登録すると視聴できます。
前回の島村恭則先生との回までアップいただいています。
今回分も1ヶ月後ぐらいには観れるかと。
https://book.gakugei-pub.co.jp/plus/

次回は6/21(火)に、写真家のMOTOKOさんにお越しいただき、
「『暮らし観光』の可能性」と題してお届けいたします。
https://book.gakugei-pub.co.jp/gakugei-lab/gakugei-talkin-vol13-220621/

詳しくは、また改めて。


2022/05/27(金)
太子町の観光ポテンシャル


報告が遅くなりましたが、5/16(月)のうめきたTalkin'About
「太子町の観光ポテンシャルを考える」には、
12名の方にご参加いただきました。

大阪府南河内地域に位置する太子町は、
人口約1万3000人の小さな町です。
聖徳太子のお墓がある叡福寺や西方院、
敏達・用明・推古・孝徳天皇陵があり、
飛鳥時代の歴史を今に伝えています。

ぶどうとみかんが特産品で、太子みかんソースなどの
商品開発を行い、太子くんというゆるキャラがいる。
西方院では2年に1回「結縁祭(けちえんさい)」という
クリエイターが出店するイベントが開催されている。
太子町観光・まちづくり協会には大阪芸大出身の
スタッフが3人いて、イベントを企画したり
若い人たちに訴求する広報ツールを作っている。

そんな町のポテンシャルについて、参加者のみなさんからは、

・コンテンツが豊か。結縁祭は若い方も興味あるのでは
・1泊2000円ぐらいの安いゲストハウスができれば
・〇〇の聖地みたいなテーマがほしい
・初めての人からすると、行く理由があまり見当たらない
・太子町単独で頑張るのには限界がある。広域的に連携していかないと
・若い子に好まれるような商品、女性受けするようなストーリーを
・上ノ太子駅は羽曳野市にある。本当は観光案内所が駅前にあればいいが
・聖徳太子は最強。知らない人はいない
・飛鳥時代のコンテンツで「おお!」と言うには相当な教養がいる
・かなりの方がハイカーで来られる。彼らにとっての観光要素を
・金剛バス・コミュニティバスを合わせるとかなりの路線網になるので、それを活かしては
・太子温泉が気になる

といった声が寄せられました。

参加いただいた方々より、一度足を運んでみたい!
という声を多数いただきましたので、加納さんに再度ご協力いただき、
7/10(日)に「太子町の観光ポテンシャルを考えるツアー」
を開催してみたいと思っています。

詳しくは、また告知いたします。


2022/05/26(木)
社員が企業とつながり直すマイプロ


さて、次々回のうめきたTalkin’Aboutでは、
会社と「マイプロジェクト」について話し合います。
北野さんのスーツがいい感じですね〜

うめきたTalkin’About「社員が企業とつながり直すマイプロ」
 2022年6月23日(木)7pm〜9pm
 場所:大阪ガスネットワーク(株) 都市魅力研究室 
 話題提供:北野 貴大氏(合同会社パチクリ 代表)参加無料

 「マイプロジェクト」は、一人一人がプロジェクトを創り、仲間と共にその第一歩を踏み出すことで、個人の可能性と仲間同士の深い関係性を創り出す手法です。組織開発や起業家支援、地域創生、教育現場など様々な現場で注目されており、近年では社員の「マイプロ」を企業が応援することで、働くモチベーションの回復や、自己実現と企業のリソースの掛け算による新規事業で企業の成長をうながすウェルビーイング経営につなげようという動きも起こってきています。
 合同会社パチクリ代表の北野さんは、JR西日本の駅ビル・商業施設を企画する会社で8年間企画業務に従事。お客様の心を温める妄想のようなお店をつくる「妄想ショップ」、トキメキを企画開発するコンサルチーム「トキメキ事業部」など、自身の興味関心を会社のメリットにつなげるプロジェクトデザインを手がけ、独立後は社員の自己実現を会社の利益に結び付ける「マイプロスクール」事業を運営しています。
今回のTalkin’Aboutでは、北野さんのこれまでの取り組みについて紹介いただき、企業におけるマイプロ支援の可能性について話し合います。

※同イベントは、ZOOM併用で開催いたします。参加を希望される方は、info@talkin-about.com までご連絡ください
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 うめきたTalkin’Aboutは、あるテーマについて興味・関心を持った人たちが集い語り合うサロンです。思いある人たちが自由に集い、情報を交換し、ネットワークを広げ、そこから自然なかたちで新しいアイデアやコラボレーションが生まれていく、そうした場づくりを目指しています。

【会 場】
 大阪ガスネットワーク(株) 都市魅力研究室
グランフロント大阪北館 タワーC 713
 ●JR大阪駅、地下鉄・阪急梅田駅より徒歩8分
 *北館1FよりタワーC入口に入り、奥にある
Aエレベーターで7階にお上がりください。

【お問い合わせ】
 大阪ガスネットワーク(株) 都市魅力研究室 担当:山納 Tel 06-6205-2366


2022/05/25(水)
守口のストーリー(6)


では、守口での住宅開発に大きな役割を果たした人たちの
出身地・高知県東洋町とはどういう所なのだろう?
それが気になって足を運んだことがあります。8年前のことです。

高知県東洋町は徳島県との県境にある、太平洋に面する海と山の町です。
かつては良材を産する林業の町として有名でしたが、
現在はポンカンとサーフィンで知られています。
その中の野根という地区が、彼らの故郷です。

国道55号線沿いにあった「野根まんじゅう」のお店で、
奥さんに、東洋町と大阪との繋がりについて聞いてみました。

 そういえば、3歳の頃、門真市に住んどったわ。
 おじいさんが製材所で働いとって、
 材木が積んであった所にいたのを覚えとるわ。
 この辺りの人、特に川口の集落の人らは
 建売住宅で儲かっとったらしい。

川口集落は、海岸から野根川に沿って
かなり山の方に入った所にありました。
山すそに何十軒かが集まった、小さな集落です。
立派に建てられた家が多かったのが印象的でした。

集落には遊漁券を扱っている家が一軒。
今営業しているお店はありませんでした。
農作業から帰ってきたおばあさんがいたので、
声をかけてみました。

 たしかに、村から大阪に出たもんは多い。
 みんな出て行ったで、そこの小学校も早うにつぶれた。
 息子が通った頃には、奈留川、大斗、川口、真砂瀬の
 4集落から、100人は来とったが。
 
 うちの息子も中学を出てから、大阪に行ったきり。
 もう60歳になるが、こっちには帰って来ん。
  
 こっちには、仕事がない。
 郵便局か、役場か、保険か、銀行ぐらい。
 仕事がないけん、帰って来られん。
 建売の仕事をして帰って来たもんもおったが
 もうみんな亡うなった。

 この辺りは今、空き家ばっかり。
 あそこも、あそこも住んどらん。
 一人で住んどったばあさんが亡うなって。
 ただ、借りれんよ。お盆には帰ってくるけん。
 お盆と、お祭りの時は、賑やかさ。
 ただ普段はおらん。ここらにおるんは70代、80代。
 うちももう83。今、村で話をするのは4人、5人。

 みんな農作業もままならん。あそこに土佐柑ゆうんが
 植わっとるが、下の草を抜くことも、実を取ることも、でけん。

 林業は、植えた木が50年経たんと、売りもんにならん。
 ずいぶん倒れとったろ。こないだの台風で倒れた。
 あれも買い手がつかんそうじゃ。

写真手前の広場は、川口小中学校跡。
昭和54年(1979)に廃校になっています。

守口・門真の建売住宅への木材供給から、
住宅建設、借家経営という形で、都市の経済に
ダイレクトに結びついたこの村では、
都市の仕事を求めて流出していく人が後に続き、
一足飛びに過疎化が進んだ。

それが真実のようです。

昭和30年代から40年代の守口の宅地化の背景には
このように、様々な人たちのドラマがありました。
それから50年、60年経ち、リアルタイムのお話を伺うのが
かなり難しくなりつつある中で、今回当時のお話を
いくらか聞くことができたのが、貴重な経験でした(おわり)。


2022/05/24(火)
守口のストーリー(5)

では、昭和30年代から40年代の間に起こった、
木造賃貸住宅の大量建設と経営とはどういうものだったのか?

守口市史には、こんな記述があります。

人口急増は、借家需要を高め、木造賃貸アパートといわれる共同住宅の民間貸家が多数建設された。特徴的なことは、貸家開発に戦後から参入した不動産業者が主体となり、周辺都市の田畑に多数棟を集中的に建設していたことである。このような開発は、開発と経営の分化による不在家主が一般化することとなる。(守口市史 第5巻より)

守口・門真・寝屋川で大量供給された木造賃貸住宅は、
戦後から参入した不動産業者が主体となっており、
かつ不在地主が借家経営を行うのが一般的だったようです。
市史には「細い給水管からタコ足配管したため、
水道の出ない文化住宅が増えている」との記述もあります。
当初は間に合わせで建てていた感じだったのでしょう。

東洋町には、林業を生業としていた地域があります。
町出身者たちは、そこから切り出した材木を使い、
木造アパートを建て、借家経営にも乗り出したのでした。
その後住宅建設が一巡した後には、建売住宅を建てたり、
不動産経営を続けたり、戸建て住宅やマンションの
建設・分譲へと事業を展開した人たちもいたのでしょう。

守口のとある喫茶店で、店主からこんなお話を伺いました。

僕はもともと、建設関係の仕事をしていた。
建売住宅を建てて売る仕事。一時は50人ほど
使っていて、アパートを借りて住まわせていた。
うちから5軒先の電器屋までうちで建てた。
2軒隣のパーマ屋は75万円で売った。安かった。
喫茶店はもともと家内がやっていたのを
廃業してから手伝うようになった。

ご主人は東洋町ではなく、滋賀県高島市のご出身でした。
もともとは田んぼやれんこん畑だった場所が
住宅地へと大きく変わっていく時に、この地には
多くのチャレンジャーが集まったのでしょう(まだつづく)。

写真は京阪守口駅の南側で見かけた木賃アパートです。


2022/05/23(月)
5/24(火)マチ会議


【マチ会議】
 5月24日(火)19:00〜21:00頃 @都市魅力研究室 参加無料
 https://www.toshimiryoku.jp/access.html

 マチの魅力とは、なんだろう?
 訪れたくなる、住みたくなり、働きたくなるまちには、
 何があるんだろう?
 そんなテーマで、自由に話し合います。


2022/05/22(日)
守口のストーリー(4)


明治44年と昭和44年の守口市の地図を
見比べてみると、一見して分かることがあります。
それは、市街地のほとんどはかつては田んぼだったということです。

ただ、このあたりは淀川の後背湿地にあたり、
低地で水はけが悪く、水腐れを起こしてしまうなど、
米作りは大変だったようです。
そのため江戸時代には排水樋の設置を幕府に願い出るも、
聞き入れられることはありませんでした。

そこで南寺方村の庄屋・喜左衛門は
寛永11年(1634)に樋を築いて水害を一掃しますが、
その翌年に幕府を無視したとして処刑されました。
大久保庄の庄屋・小泉弥治衛門も慶安元年(1648)に
幕府の許可なしに排水樋を作りましたが、
その翌年に、弥治右衛門一家4人は処刑されています。
村や村人のために我が身を投げ打つ庄屋さんが
出てくるような土地柄だったのでしょう。
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage915.htm

時代は下り、第二次世界大戦後には、
GHQによる農地改革が全国的に行われましたが、
守口でも農地の小作化が進みました。約140ヘクタール、
26パーセントの土地が地主から小作人の手に渡っています。
このことは、守口市内の4分の1の農地が
「先祖代々受け継いできた」土地ではなくなり、
開発のモチベーションが働きやすくなった
ということを意味しています。

守口でれんこんの栽培が始まったのは
明治時代のことですが、品質や収穫量が安定し、
広まるのは大正時代以降のことです。
そして農地改革の後、昭和25年から30年の間に、
守口市のれんこん畑の面積は倍増しています。
田んぼの多くがれんこん畑に転換されたのですが、
おそらく「その方が儲けが見込めたから」なのでしょう。

そして昭和30年代から40年代の間に、
れんこん畑の宅地化が一気に進みます。

守口市・門真市には松下電機や三洋電機の本社と工場が
あり、下請けの電機器具製造業も集積していました。
そこで働く人たちの住宅が必要とされていたのですが、
守口市や門真市では、ニュータウン建設の計画が
進められるよりも早く、民間の事業者が文化住宅と呼ばれる
木造賃貸住宅の建設と経営を手掛けるようになりました。
その担い手の多くが、東洋町出身者だったのです(つづく)。


2022/05/21(土)
守口のストーリー(3)


四国銀行守口支店の西側には「東洋生興」という、
不動産分譲事業を核に、注文住宅事業、賃貸マンション・
テナント開発事業などを行う会社があります。
http://www.toyoseiko.net/

同社の創業は、昭和42年(1967)。
代表の前川謹言氏は、高知県東洋町の出身です。
そして社名は“東洋で生まれ、業を興す”という
代表の思いを体現しています。

京阪守口駅の北側を線路沿いに少し行くと
「敷島住宅」という、住宅の分譲・リフォーム・
賃貸などを手がける会社があります。
https://www.shikishima-j.co.jp/

同社の会長・川島岩太郎氏は同じく東洋町の出身で、
昭和37年(1962)に、住宅の建て売りなどを手掛ける
「敷島住宅」を立ち上げ、現在も守口に本社を構えています。
2017年の高知新聞には、こんな記事が掲載されています。

高知県安芸郡東洋町は京阪神との往来が活発で、大阪府守口市には1960年前後、多くの町民が移り住み高度経済成長期の住宅ブームを支えました。60年前後は、戦後復興からの住宅ブームで、全国的に地方から都会への人口移動が起きた。同町は汽船で結ばれていたこともあり、大阪へ大勢が移住。守口市をはじめ、門真市、寝屋川市など北部を中心に住み着いた。東洋町出身者の多くは宅建業者として住宅ブームを担うことになる。その先駆けの一人が、野根出身の川島岩太郎さん。62年に住宅の建て売りなどを手掛ける「敷島住宅」を立ち上げた。現在も守口に本社を構える。
当時の守口・門真は一面レンコン畑だったが、見る見る家に変わっていった。当時、2千人以上が東洋町から守口市周辺に移ったとみられる。宅建、設計、左官、司法書士など多様な分野で活躍し、「東洋町出身者で家が1軒建つ」と言われたという。
(高知新聞 2017年7月30日記事より)

守口市における四国出身者3万5千人のうち
東洋町出身者が2千人以上を占めているわけですが、
上の記事に見えるように、東洋町出身者は、
守口での住宅開発に大きな役割を果たしています(つづく)。


2022/05/21(土)
今日の大谷茶屋改修作業


今日の大谷茶屋改修作業は、ゴミ捨て、床はつり、
ガレキ移動、母屋2階外の落ち葉や木の根の除去、
谷水の水槽の水つまり補修、でした。
馬上さんの肉巻きおにぎりと、糸井さんからの
ビッグマック・珈琲・クッキーをいただきました!

次回は6/12(日)10:00am〜です。
この日は壁のはつり作業と建物を支える柱立て、
ガレキ・土砂の撤去などをを行う予定です。
これが順調に進めば、床の土間打ち(コンクリ打ち)へと進みます。

母屋1階は今こうなっています。
6/12には正面の仕切り壁、右下の基礎を取る予定です。


2022/05/20(金)
港でカモメがやすんでる日はね、千帆ちゃん


2019年10月に神戸港の遊覧船内で上演された
「港でカモメがやすんでる日はね、千帆ちゃん」が、
PM/飛ぶ教室主催、神戸アートビレッジセンター共催公演として、
この6月に再演されます。
https://www.kavc.or.jp/events/8987/

港でカモメがやすんでる日はね、千帆ちゃん 〜ツヤコばあちゃんのこと

 作・演出:蟷螂襲
 出 演:福井玲子 山藤貴子 や乃えいじ 江藤つぐみ 蟷螂襲
 会 場:神戸アートビレッジセンター KAVCシアター
 日 時:2022年6月3日(金)15:00/ 19:00
          4日(土)13:00/ 17:00
          5日(日)13:00
 料 金:前売り・当日とも¥3,500 学生割引¥2,000
 ※お申込み、詳細はこちらを http://pm-tobu.com

初演の上演時間は45分でしたが、今回は
じいちゃんとツヤコばあちゃんの話が挿入され、
全編80分のお芝居になります。
三ノ宮駅そばに闇市があったり、港で力仕事をする人や
はしけで暮らす家族がいた時代のストーリーです。

今日の都市魅力研究室での稽古には、
神戸新聞の取材が入っていました。


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