過去の日記

2022/08/15(月)
気仙沼ツアーのその後


さて、先に告知をしておりました
9/16(金)〜18(日)の気仙沼ツアーですが、その後、

■気仙沼魚市場見学
■大谷海岸の防潮堤について
■東日本大震災遺構伝承館
■気仙沼まちなかエリアプラットフォーム活動視察
 ※ハートビートプラン・泉さんも関わるプロジェクト
 https://www.facebook.com/kesennuma.daisakusen/
■陸前高田での「箱根山学校」に合流
 ※リビングワールド・西村佳哲さんたちの企画
  https://note.com/lw_nish/n/n73949ec39f0b
■気仙沼・陸前高田のまちあるき

と盛り沢山な感じになっています。

行き帰りの飛行機はスカイマークで、
9/16(金)7:50神戸空港〜9:10仙台空港
9/18(日)19:35仙台空港発〜21:00神戸空港 

気仙沼・陸前高田への移動はレンタカー分乗の予定です。
近日中に締め切ろうと思っていますが、
参加を希望される方がおられましたら、ご一報ください。


2022/08/15(月)
Walkin’About @洛西口


次回のWalkin'Aboutでは、阪急京都線の洛西口周辺を探ります。

自分が行きたい場所を訪ねるまちあるき「Walkin’About @洛西口」
開催日:2022年9月24日(土)
集合時間・場所 14:00 @阪急京都線洛西口駅改札
再集合時間・場所 16:00 @同上 

 洛西口駅は、京都市西京区と向日市の境に位置しています。現在の西京区や右京区を含む地域には古来より渡来系の一族である秦氏が居住し、平安時代には桂女という女性の商人が洛中に行商を行っていました。江戸時代には山陰街道が、現在の西京区域を横断するように敷かれ、沿道の桂、樫原、大枝は宿場町として栄えました。

 終戦翌年の1946年、東向日駅−桂駅間に物集女(もずめ)駅が設置されました。戦時中には駅東側一帯の農地に建てられた軍需工場(現陸上自衛隊桂駐屯地・京都府立桂高等学校など)の最寄り駅として新設されましたが、開業時にはすでに終戦を迎えており、2年で廃止されています。

 その後、桂駅周辺の道路事情と地域の再開発にあわせて、2003年に阪急洛西口駅が開業しました。2008年には約600メートル東にJR桂川駅がオープン。駅南西のキリンビール京都工場跡地にはイオンモール京都桂川を中心に教育研修施設、店舗施設、マンション等が建設されました。洛西口駅付近の高架下空間には約1kmにわたる複合エリア「TauT阪急洛西口」が誕生。そして洛西口駅西側エリアでは現在、ホテルを含む複合商業施設を誘致する計画が進められています。

 今回はこの街を、みなさんの視点で切り取っていただきます。

✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪✪

 “Walkin’About”は、参加者の方々に思い思いのコースをたどっていただく“まちあるき”です。
参加者の方々は、集合場所でエリアについての説明を受けたあと解散。約90分後に再び集合いただき、それぞれの見聞や体験をシェアします。

【主催・お問い合わせ】大阪ガスネットワーク(株) 都市魅力研究室 担当:山納  Tel 06-6205-2366   
 http://www.toshimiryoku.jp


2022/08/14(日)
泉佐野を巡る(4)


JR阪和線日根野駅から西に3kmほど。
田畑の中を進んでいくと「射手矢農園」が現れます。

同農園では泉州たまねぎ「長左エ門」や
「松波キャベツ」などを栽培されています。
27ヘクタールもの広大な農地を使い、
米→キャベツ→タマネギ→米→キャベツまたはタマネギと、
2年間で5作を回すローテーション栽培をされているのだと。
https://www.tamanegi.tv/

たまねぎの収穫は5月頃までと聞いていたので、
見るだけになるだろうと思っていたのですが、
貯蔵されていたプレミアムたまねぎを購入できました。
普通に炒めて食べても美味しかったです。

現在の泉佐野市域では、江戸時代には
綿花やサトウキビ、菜種などが広く栽培されていました。
明治期になり、綿花は海外からの輸入品に駆逐されましたが、
菜種もまた、油の材料として石油が輸入され、
また菜種以外の動植物の油脂の利用が広がるにつれ、
栽培を減らしていきました。

1883年頃に泉南地方を干害が襲った時に導入され、
稲の裏作の菜種に代わって、明治中期以降に急成長し、
全国一の生産高を誇るようになったのが、たまねぎでした。
昭和の初めには南海鉄道や阪和電気鉄道には
たまねぎ専用の電車が走り、天王寺を経て全国に運搬されていたそうです。

戦時中に麦類が増産された時に生産が激減し、
戦後には徐々に回復したものの、淡路島を始めとした、
他県の産地も急成長したことで、かつてのような独占的な
地位を占めることはなくなりましたが、
裏作として様々な品種の野菜生産を継続することで、
野菜づくりの町であり続けています。

射手矢農園のすぐ近くの農園では、
水なすが栽培されていました。
泉佐野市上之郷が発祥の地といわれていますが、
とくに近年、海岸部を中心に広く栽培され、
新たな泉佐野の名産品となりつつあります。

その他、泉佐野漁協青空市場にも行きましたが、
長くなるので割愛します。あと日根荘も今回諦めました。
泉佐野は観るべきものだらけです。
また改めて訪れたいと思います(おわり)。


2022/08/13(土)
戸ノ内というシマ


尼崎南部地域の情報誌『南部再生』。
最新号の特集は「園田アイランド」ですが、
その中で「戸ノ内というシマ」という記事を書かせていただきました。

僕が通い続けている沖縄料理屋「より道」のこと、
戸ノ内に沖縄出身者が住むようになった経緯、
工場町から色街に変わった歴史、
毎年旧盆に行われる「道じゅねー」のこと、
そして最近「より道」で再開された頼母子のこと
などを書いています。

この画像は少し解像度が低いので、ぜひ実物を探してみてください。

*そのうちにこのサイトで読めるのでは、と思います。
 http://www.amaken.jp/backnumber/



2022/08/11(木)
泉佐野を巡る(3)


泉佐野駅から南へ、国道26号線を越えて進んでいくと、
こんな風景に出会いました。オクラ畑の後ろに、
板壁にノコギリ屋根の建物が写っています。

建物の正面に行ってみると「前河タオル」と。
検索してみると、モノタロウのサイトで
タオルやおしぼりを販売しておられる会社でした。

そのすぐそばには、こんな路地が。
タオル工場で働く方の社宅なのではと。
社屋も住宅も、かなり古いスタイルのものが残されているようです。

泉佐野は、タオルの産地として知られています。

明治18年に、大阪の舶来雑貨商・新井末吉が
ドイツ製タオルを入手し、泉佐野市の白木綿業者、
里井圓治郎にその製織の研究を奨めました。

里井は製織法の研究に没頭し、明治20年に、
筬(おさ)のテリーモーションを利用して
輪奈(パイル)をつくる打出機を考案し、
タオル製織に成功しています。

先に、泉南地域では江戸時代に綿花の栽培が盛んで、
白木綿の産地でもあった、と書きましたが、
明治29年に綿花輸入関税が免除され、
中国・インドからの輸入綿が無関税となったことで、
綿作と綿糸・綿織物の副業に支えられていた農家は、
一気に苦境に陥りました。

その直前にタオル製織を成功させていたことで、
仲買商や織元、農家が工場を興し、
この苦境を乗り切っていったようです。
タオルの産地として拡大したのは戦後のことで、
日本てぬぐいに変わる浴用タオルとして愛用され、
泉州地域では最大約700社の織屋が操業していました。

さらに南へ、日根野駅を越えて進んでいくと
「神藤タオル」の大きな工場にたどり着きます。

泉州のタオルは「後晒し」といって、
タオルが織り上がった後に洗いをかけています。
そのことで吸水性の高い、ふんわりとしたタオルに
仕上がるのが特徴ですが、同社ではその特徴を活かしつつ、
素材や機能、デザインからタオルづくりを見直し
「2.5重ガーゼ」や「インナーパイル」といった
独自商品を創り出しています。
https://shinto-towel.jp/about/

今から10年前、デザインプロデュース向上委員会の仕事で、
現在の社長の神藤貴志さんにお話を伺っていたのですが、
https://www.design-produce-osaka.jp/article.php?story=20120626143315468

今回、泉佐野に足を運んでみたことで、
商品開発の背景をさらに深く知ることができました(つづく)。


2022/08/08(月)
ヴァナキュラーなものの魅力


8/5(金)のうめきたTalkin'About「暮らしの中のヴァナキュラー
〜民俗考現学で読み解く日常の『なぜ?』〜」には、
オンライン含め、33名の方にお集まりいただきました。

民俗学には、昔はどこにでも存在したけれど、
現代では消えつつある、あるいは地方に残されている
習俗を研究する、というイメージがありますが、

島村恭則先生によると、民俗学は、
「人間を<俗>の視点で研究する学問」なのだそうです。

今和次郎という人は、カフェーの女給の服装や、
新宿の飲食店の分布、お嬢さんの化粧部屋にあるもの、
関東大震災の後に建ったバラックなど、
今、目の前にあることを観察して比較するという営みを
「考現学」と名付けて実践しましたが、

なぜ、そういう振舞いが登場するのかを、
今だけからではなく、過去にさかのぼって考察し、
謎を解き明かしていく態度を、島村先生は
「民俗考現学」と名付けておられます。

新しいシューズを下ろす時に、
わざと靴を汚したり、裏にまじないを書いたりするのは、
葬式の忌みを避けるためのものだということ。
喫茶店でのモーニングが定着するようになったのは、
水道が引かれ、井戸端会議がなくなった頃のこと。
人が亡くなった場所にペットボトルが供えられるが、
それは、かつては井戸ごとに味が違い、
水を供えると帰る場所を迷わないと信じられていたから。
勇気や夢や感動を与えるといった言い回しは
魂は分けて与えることができるという考え方があるからで、
お中元やお歳暮といった習慣は本来、
ものに魂をつけてあげたりもらったりしているもの。

こういうお話を、島村先生からいただきました。
参加者の方々からは多くの質問や意見をいただきましたが、
社会の中にある非公式的な要素に注目する楽しさや、
みんなが参加して研究を深めていける可能性が、
民俗学の魅力なのだということを、改めて知りました。


2022/08/08(月)
泉佐野を巡る(2)


佐野の旧市街に鎮座している春日神社で、
「干鰯谷左吉」と書かれた玉垣が
いくつも並んでいるのを見かけました。

この「干鰯谷(ほしかや)」という名字は、
海産肥料を扱っていた干鰯屋の屋号が
明治時代に新姓となったもののようで、
泉佐野市や岸和田市に見られるそうです。

干鰯とは、イワシを乾燥させて製造した有機質肥料です。
農業を兼業していた漁民が余った魚類、特に日本近海で
獲れる代表的な魚であったイワシを乾燥させ、
肥料として自らの農地に播いたのが始まりですが、
17世紀後半に商品作物の生産が盛んになった時に、
肥料の需要が高まり、商品として生産・流通されるようになりました。

特に綿花の栽培と相性が良かったことで、
綿花を栽培していた上方および河内、和泉での需要に応え
干鰯の集積・流通を扱う干鰯問屋が大坂や堺で成立しました。

泉南地域は、綿花の栽培が江戸初期から行われており、
長滝村では4分半、佐野村・安松村では4分、日根野では3分と、
稲作に匹敵する栽培面積に達しており、
特に海岸地帯では盛んに栽培されていたそうです。

明治42年、43年測図の国土地理院地図を見ると、
この地域には大きな河川がなく、今以上に多くのため池が
存在していたことが分かります。
つまり大量の水を必要とする稲作よりも
綿作の方が営みやすかったのでしょう。
そして佐野村に漁業と廻船物流業が発達しており、
全国から干鰯を集められたことも強みとなったのでしょう。

江戸末期になると、泉州地域では綿の栽培とともに、
手ぬぐい、ゆかたなどに使われる白木綿の産地として
江戸にも知られるようになっていました(つづく)。


2022/08/07(日)
ブロック塀を撤去


今日は大谷茶屋改修作業。
ポスト2本を使って垂直方向の強度を確保した上で、
台所と土間を仕切っていたブロック塀を撤去しました。

今後の予定としては、

8/13(土)9:00〜 ゴミ捨て&柱立て&コンパネ張り、
8/21(日)10:00〜 柱立て&コンパネ張り、

となりそうです。9月末には使えるようにしたいなと。

六甲山カフェ
https://www.facebook.com/rokkosancafe


2022/08/07(日)
泉佐野を巡る(1)


昨日のWalkin’About@泉佐野には、
7名の方に参加いただきました。

駅上商店街やつばさ商店街を見てきた方、
泉佐野漁協青空市場で昼食を取った方、
海のそばの古い町並みを見てきた方、
泉佐野ふるさと町家館で説明を受けた方、
明厳寺でお話を聞いてきた方、
喫茶店でゆっくり過ごされた方、などがおられました。

泉佐野はかつて、非常に栄えた港町でした。
中世以来九州西辺への進出がめざましく、
対馬や五島列島に進出し、そこに定住し、
佐野漁民の集落を形成しています。

こうした動きは、魚を獲るだけの目的ではなく、
商業を兼ねていました。泉佐野には食野(めしの)家という
大資本家があり、九州西辺への進出を支えました。
食野は江戸時代になると、廻船問屋として北前船の
西回り航路をあやつり、奥羽との往復で巨利を築きましたが、

幕末には廻船業が振るわなくなり、
明治時代に大名に貸した金が貸し倒れとなったことで、
一気に没落してしまいました。

本町に10軒ほど残されている「いろは四十八蔵」は、
食野家などが所有し、その中には諸国の物産が
収められていました。その近くには蔵に荷を運ぶ人たちの
船待ち場があったそうで、今は民家となった場所の前に、
彼らの力だめし、鍛錬、娯楽のための「力石」が
置かれていました。

当時の繁栄の面影は、こんな風に残されています(つづく)。




2022/08/03(水)
建築家の解体と“街場の建築家”


9/9(金)のTalkin'Aboutでは、
この6月に『建築家の解体』を出された
松村淳さんに話題提供いただきます。

うめきたTalkin’About「建築家の解体と“街場の建築家”」

2022年9月9日(金)7pm〜9pm
場所:大阪ガスネットワーク 都市魅力研究室 
話題提供:松村 淳氏(二級建築士・関西学院大学准教授)
 参加無料

 個人や小さな団体が地域の建築家と組んで場所を整え、そこを住まいにしたり、拠点として商売を始めたりといった動きが増えてきています。こうした動きを支える建築家たちは、設計・監理という本来の建築家の仕事にとどまらず、既築物件のリノベーションに取り組んだり、施工も手掛けたり、イベントの広報や運営も担ったり、自ら出資してオーナーとなったりと幅広く活動しており、街の活性化や再生において重要な役割を果たしています。

 今回のTalkin’Aboutには、『建築家の解体』(ちくま新書)の著者・松村淳さんに登場いただきます。松村さんは同書において、ブルデューの理論を用いて、建築家という職業が作られていくプロセスと、近年における建築家像の変容について描いておられますが、その締めくくりとして“街場の建築家”の可能性について言及されています。今回は、『建築家の解体』について伺いつつ、“顔の見える専門家”としての建築家の存在について話し合います。

※同イベントは、ZOOM併用で開催いたします。参加を希望される方は、info@talkin-about.com までご連絡ください

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

うめきたTalkin’Aboutは、あるテーマについて興味・関心を持った人たちが集い語り合うサロンです。思いある人たちが自由に集い、情報を交換し、ネットワークを広げ、そこから自然なかたちで新しいアイデアやコラボレーションが生まれていく、そうした場づくりを目指しています。

【会 場】大阪ガスネットワーク 都市魅力研究室
 グランフロント大阪北館 タワーC 713
 ●JR大阪駅、地下鉄・阪急梅田駅より徒歩8分
 *北館1FよりタワーC入口に入り、奥にあるAエレベーターで7階にお上がりください。

【お問い合わせ】
 大阪ガスネットワーク 都市魅力研究室 担当:山納 Tel 06-6205-2366


 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
[TOP]
shiromuku(hu1)DIARY version 3.10