2023/03/20(月)
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Walkin’About @郡山(大和郡山市)
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そして次回、4/15(土)のWalkin’Aboutでは、金魚の里・大和郡山を巡ります。
自分が行きたい場所を訪ねるまちあるき「Walkin’About @郡山(大和郡山市)」 開催日:2023年4月15日(土) 集合時間・場所 14:00 @近鉄郡山駅東改札 再集合時間・場所 16:00 @同上
大和郡山の都市の形が形成されたのは、戦国時代末期の天正8年(1580)に筒井順慶が郡山城を築城し、城下町が発達してからのことです。順慶亡き後天正13年(1585)には豊臣秀長が郡山城に入り、郡山はこの時期大和国の中心都市とし栄えました。
江戸時代に入ってからは一時奈良奉行所の管轄となり、その後荒廃しますが、大坂夏の陣で活躍した水野勝成が入り、以後松平忠明に始まる松平家、本多政勝に始まる本多家と続きました。享保9年(1724)には、享保の改革における幕府直轄領拡大政策により、甲府藩藩主であった柳沢吉里が転封されて藩主となりました。そして明治維新まで、柳沢氏が郡山藩藩主家として一帯を統治しています。
大和郡山は金魚養殖が盛んですが、それは柳澤吉里が郡山へ入城した時に始まると伝えられています。江戸時代は侍の趣味として飼育されていましたが、幕末の頃になると藩士の副業として、明治維新後は職禄を失った藩士や農家の副業として盛んに行われるようになりました。
昭和40年代は経済発展と養殖技術の進歩に伴い生産量が年々増加し、国内はもとより欧米諸国や東南アジアなど外国まで輸出されました。近年は都市化に伴う水質汚濁等の環境悪化などで生産量は減少したものの、養殖農家約50戸、養殖面積約60ヘクタールで、年間約6,000万匹が販売されています。
今回はこの街を、みなさんの視点で切り取っていただきます。
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“Walkin’About”は、参加者の方々に思い思いのコースをたどっていただく“まちあるき”です。 参加者の方々は、集合場所でエリアについての説明を受けたあと解散。約90分後に再び集合いただき、それぞれの見聞や体験をシェアします。
【主催・お問い合わせ】大阪ガスネットワーク(株) 都市魅力研究室 担当:山納 Tel 06-6205-2366 http://www.toshimiryoku.jp
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