過去の日記

2020/09/23(水)
「沖縄★島ごはん まぁさん」の初営業


今日のお昼のコモンカフェは、
「沖縄★島ごはん まぁさん」の初営業でした。
https://www.facebook.com/okinawa.marsan/

カウンターには泡盛とオリオンビールが並び、
ランチは「石垣島おばあのまぜご飯定食」。
沖縄の音楽と映像が流れ、僕以外は全員ビールを頼んでいて、
昼休みにしばしの沖縄時間を味わうことができました。

「まぁさん」の村本さんには、再来週以降、
毎週水曜昼にコモンカフェに入っていただけます。
そう遠くないうちにご自身のお店を出されると思いますので、
それまでにぜひ、一度お運びください。


2020/09/21(月)
宝塚の地層(3)


宝塚駅から東南東に2.5kmほど行ったところに、
小浜宿という、江戸時代の宿場町があります。

ここは15世紀末に開かれた一向宗の寺内町で、
高台の周りに濠が巡らされた城塞として築かれ、
江戸時代にその機能を宿場町に変えています。

左の写真は、小浜宿資料館のジオラマ。
資料館の案内員の方は、こうおっしゃいました。

「江戸時代には、まちはここにしかなかった。
 明治になり、武庫川を改修してから、
 はじめてあそこにまちができた。」

こちらのサイトには、小浜宿から撮ったと思われる
明治34年(1901)頃の写真が載っています。
https://www.ndl.go.jp/scenery/column/kansai/takarazuka_onsen.html

写真の中ほどの木立のあたりを武庫川が流れていて、
その奥側が明治20年(1887)に開業した宝塚温泉、
手前側の田んぼが、後に大正13年(1924)に、
宝塚大劇場が建つことになる場所です。

そういう順序で、このまちは発展していったようです。

そんな、宝塚の原点である小浜宿ですが、
宿場町の面影を残している建物は多くはありません。

右の写真は、代官所跡を引きで撮ったもので、
真ん中右寄りに、復元された御触書が立てられていますが、
周りの住宅の多くは、現代風に建て替えられています。
これもまた、震災の被害によるものなのだそうです。

今回のWalkin'Aboutでは、こういう感じに、
宝塚というまちの来歴と盛衰について
あらためて知ることができました(おわり)。


2020/09/20(日)
宝塚の地層(2)


阪急宝塚駅から宝来橋を渡り、武庫川右岸へ行くと、
ホテル「若水」の前に、炭酸煎餅の「黄金家」があります。
https://www.hankyu.co.jp/ekiblo/tamamika/27165/

WEBサイトによると、創業は明治30年。
先々代店主が湯の町宝塚にふさわしい銘菓を造ろうと
工夫して開発し、湯本町に湧出する天然炭酸水に因んで
「炭酸煎餅」と名付けて売り出したとあります。
http://www.koganeya.jp/koganeya/TOP.html

あらためて炭酸煎餅の発祥を調べてみると、
明治40年頃に有馬温泉の三津森本舗の創業者が
開発に成功した、と出てきます。
http://tansan.co.jp/tansansenbei/

実際は、どちらが先だったのでしょうね。

「若水」の東側には、中層マンションが林立しています。
この界隈にはかつて温泉旅館、料亭、芸者置屋などが
建ち並んでいたそうですが、阪神・淡路大震災の時に
ほとんどが潰れ、廃業に追い込まれたのだそうです。
そしてかつて温泉旅館だった「若水」だけが、
ホテルとして再生を果たしたのだと。

かつての歓楽街の気配を探して、界隈をウロウロ。
ビリヤード場、ラブホテル、民芸品店などがありました。
通りの奥に「うどんのすき焼き やまもと」と書かれた
古い感じの看板を見かけて追うと、
民家にしか見えない建物があり、よく見ると扉に小さく
「完全予約制」と書かれていました。

ネット情報によると、ここが「やまもと」で、
かつては置屋さんだったそうです。
もし今もやっているなら、一度足を運ぼうかと。

ちなみに2年半前の「ブラタモリ」宝塚では、
タモリさんたちは「洗い張り」の看板から
花街の芸者さんにたどり着いていたようです。
http://halohalo-online.blog.jp/archives/1069632411.html


2020/09/20(日)
宝塚の地層(1)


昨日のWalkin'About@宝塚市立文化芸術センターには、
天気にも恵まれ、14名の方にご参加いただきました。

武庫川右岸の温泉地を訪ねた人、温泉に入った人、、
小林と逆瀬川を歩いた人、清荒神方面に行った人、
売布神社近辺に行った人、近所の神社を巡った人、
文化芸術センターと文化創造館の展示を見た人、
市民公園を見て回った人、新しい宝塚ホテルを見た人、
元すみれ寮前にある洋菓子屋に話を聞きに行った人、
などがおられました。

阪急宝塚駅の駅舎は、ターミナル駅としての風格を備え、
あちこちに宝塚歌劇のエッセンスが散りばめられています。
武庫川右岸に渡ると左岸側の全容が望めますが、
赤茶の屋根、クリーム色の外壁のスパニッシュテイストで統一され、
タカラヅカの世界観を景観に映しています。
惜しむらくは、白木屋と魚民の看板でしょうか。


2020/09/17(木)
wreak havoc


今日の「超初心者向け英語サロン」には、
リアル・オンライン合わせて7名の方に参加いただきました。

今回もKansai Sceneの記事を中心に、各自が選んだ、
ネイティブの方が書いた英文をみんなで読んでみる
というワークに取り組みました。

僕が選んだ文章の一つは、
在日外国人が受けられるコロナウイルス関連の
補助金や融資について説明した文章の前書きです。
https://www.kansaiscene.com/2020/06/which-financial-aid-and-loans-are-foreign-resident-in-japan-eligible-for-during-the-pandemic/

The coronavirus has wreaked havoc on the global economy and Japan is no exception, having announced last month that the country had fallen into recession during the first quarter of 2020. The government has laid out several aid packages consisting of both cash grants and loans to give citizens and foreign residents going through financial hardship a helping hand. Here is an overview of what is available.

1行目にある「wreak havoc」は「大惨事をもたらす、
大損害を与える」という意味で、よく見かける言い回しです。
こういうネイティブが普通に使う表現に慣れるというのが、
このワークの趣旨です。

次回は10/22(木)18:30〜@コモンカフェ。
Kansai Sceneしばりは外して、自分が興味を持った
ネイティブの文章を持ち寄り、共有していきます。


2020/09/16(水)
Walkin’About @木津


今週末のWalkin'Aboutでは宝塚を巡りますが、
その次は京都府木津川市まで足を伸ばします。
プチ遠出をしたい気分なのです。

自分が行きたい場所を訪ねるまちあるき
「Walkin’About @木津(京都府木津川市)」

開催日:2020年10月3日(土)
集合時間・場所 14:00 @JR木津駅改札
再集合時間・場所 16:00 @同上  参加無料 

 木津川市の地域では、3世紀ごろから木津川が交通路として利用され、淀川を通り大和と瀬戸内を結ぶ航路の起点にありました。奈良時代には、木津が平城京などの都城建設の木材の陸揚げ港として栄えました。「木津」という地名は、それが由来となっています。

 天平12 年(740)12 月には、聖武天皇が平城京から現在の加茂町の恭仁京に都を遷し、5年にわたって日本の首都となりました。また、古くから都と関連の深い地域として発展した当地域は、近郊農業の地として発展する素地を築きました。その後、この地域は奈良や京都、伊勢、伊賀を結ぶ街道の宿場町として発展するとともに、宇治茶やタケノコなどの主産地としての名声を高め、引き続き優良な農業地域として栄えました。また、江戸時代には木津川の治水事業や農地の拡大などが進められ、集落の発展も見られ、現在のまちの姿に近いものとなりました。

 明治時代になると木津川の水運としての役割は小さくなり、鉄道や道路の交通網の整備が進められました。また、茶の栽培や大都市近郊の立地条件を生かした近郊農業が盛んになりました。平成17年に木津町・加茂町・山城町合併協議会が設置され、平成19年に木津川市が発足しています。市内では関西文化学術研究都市のニュータウン開発が行われるなど、発足後から現在に至るまで人口が増加し続けています(2020年8月1日の推計人口:77,569人)

 今回は、そんな木津を探っていきます。

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“Walkin’About”は、参加者の方々に思い思いのコースをたどっていただく“まちあるき”です。参加者の方々は、集合場所でエリアについての説明を受けたあと解散。約90分後に再び集合いただき、それぞれの見聞や体験をシェアします。

【主催・お問い合わせ】大阪ガス蟠甬Ψ部 都市魅力研究室 担当:山納 
Tel 06-6205-2366 http://www.toshimiryoku.jp


2020/09/14(月)
Walkin’About@宝塚市立文化芸術センター
そして9/19(土)は、Walkin’About@宝塚市立文化芸術センター。
センターを拠点に宝塚のまちを探ります。

今回は神戸新聞NEXT「兵庫おでかけプラス」に
Walkin’Aboutの趣旨も含めた告知を載せていただきました。
https://bit.ly/2FixPv5


2020/09/12(土)
宝塚の記憶/宝塚のチカラ


今日は宝塚市立文化芸術センターで
パートナーズサロン×Talkin’About『宝塚の記憶/宝塚のチカラ』の
コーディネートをしてきました。

宝塚の過去の記憶、現在の状況、将来の可能性について、
12名の参加者の方々に自由に語っていただきました。
いろんな話が出てくるものです。

・40代以下の宝塚のフリーランスの子たちが面白い
・一方でまち全体としては面白みに欠けるかも
・高齢者のプチ就労の場や居場所を宝塚で作っている
・親父が写っている昭和9年のファミリーランドの写真があった
・園井恵子さんを知ってもらう写真展をプロデュースしている
 ※広島の原爆で亡くなった歌劇団の方
・村野藤吾の建築が好き。宝塚市役所は残していきたい
・イベント会社で講師になりたい方を受け入れる窓口をしている
・盛岡と仙台は文化知識が高かったが、宝塚は歌劇頼みに見える
・宝塚歌劇の元オーケストラ団員。中川市長を応援している
・長久手市の地域共生ステーションのようなものを宝塚にも
・歌劇が好きで宝塚に住んでいる。他のみなさんはなぜ宝塚に?
・歌劇が好きで通っているが、まちも楽しみたいと思っている
・ファミリーランドがあった頃は土日はずっと子どもと来ていた
・色彩の勉強をしていて、地元で講座がしたいと考えている
・関東出身。宝塚市すみれが丘に住んでいて、住所名に満足
・自分が好きなのは宗右衛門町のような猥雑なまち。
・宝塚には文化的に面白い活動をしている人はいっぱいいる
・朝日がきれいで山が近く川の流れがあるのに感激して越してきた
・子育て層とシニア層が同居できるまちだと思う
・宝塚阪急がリニューアルして地元の農産物をたくさん置いてくれている

参加いただいたみなさんはすでにパートナーで、
ここでの催しに一年間入れるそうですが、
ここを拠点として活動される方が増えてくると面白そうです。

宝塚市立文化芸術センター https://takarazuka-arts-center.jp/


2020/09/11(金)
コモンカフェの平日店主が決まりました


コモンカフェの平日昼営業の店主募集について
以前に告知させていただいていましたが、
おかげさまで水曜日、金曜日の店主が決まりました。

9/23より、水曜日は「沖縄★島ごはん まぁさん」、
10/2より、金曜日は「Transit Cafe」として営業いたします。

今晩はコモンカフェの店主実習でした。
対談のようになっていますが、左がTransit Cafeの金馬さん。
アルゼンチンと中東の料理・スウィーツを出しつつ、
日本で暮らす外国人の方が集える場を作るそうです。
右が岩佐さん。楽器奏者の方々が集い、
気軽に演奏できる場を週末に開催しようとお考えです。

落ち着かない日々が続きますが、
いろんな人たちの小さな活動の場を、
少しずつ広げていければと思っています。


2020/09/09(水)
養父市八鹿にあった製糸業の文脈


先週の土日はまた、豊岡に行っていました。
豊岡の話はまたそのうちに書きますが、
今日は帰りに寄った養父市八鹿について。

JR山陰本線で豊岡駅から南に3駅、
各停だと20分程のところに八鹿駅はあります。
駅前には旅館と土産物屋だった建物があり、
近くにはグンゼ系列のメリヤス工場がありましたが、
いずれも今は閉まっているようです。

駅から40分バスに乗り、20分歩いて大屋町大杉集落へ。
ここに木造3階建の養蚕住宅が数多く残されています。
これをどうしても見たくて、はるばると。
https://www.city.yabu.hyogo.jp/soshiki/kyoikuiinkai/shakaikyoiku/1/denken/1631.html

現地に着いた頃には、台風の影響で大雨でしたが、
逆にそのことで、養蚕住宅に住んでいる男性が
外で作業をしていたので、話を聞くことができました。

 ここで養蚕をしてたのは、わしらが子どもの頃、
 50年ほど前までや。蚕を平飼いで飼うようになり、
 家の中では飼わんようになった。

調べてみると、それ以前には棚飼いといって、
10段もある棚を作り、その上にかごを載せて
蚕を飼っていたようです。だから2、3階部分が
高くなっていたんですね。
https://www.watarase-museum.net/heritage/yosan/yosangyo/

大杉集落は伝建地区に指定されていて修景補助が出るので、
最近手を入れた家では壁を漆喰に直していましたが、
横なぐりの雪を受け続けると壁がはがれてくるため、
本当はトタンの方が合理的なのだそうです。

帰りには乗ろうと思っていたバスが土日運休で、
タクシーを駅前から呼んで、どうにか帰って来れました。
行きのバスに「八鹿グンゼ」というバス停があったので、
運転手さんに「八鹿グンゼってあるんですね」と尋ねると、

「昔は江原グンゼ、日高グンゼもあった。 
 今はやってなくて、これから公共施設がそこに建つ」と。

駅前にもメリヤス工場があったし、この辺り一帯で
肌着を作っていたのかと思って聞いていたのですが、
あとで調べてみて、グンゼ(郡是)がそもそも
製糸業から発祥し、メリヤスに、そして肌着ブランドへと
発展していった会社だったと知りました。
https://www.city.yabu.hyogo.jp/soshiki/kyoikuiinkai/shakaikyoiku/1/1/1650.html

なるほど、大杉集落の養蚕住宅で育てた蚕は、
ここで絹糸になって、八鹿駅から出荷されていたのかと。
八鹿駅前の衰退は、地域を支えた産業が失われたことによるものでした。
工場跡地には現在養父市文化会館が建設されており、
2021年秋に開館の予定。跡地に残されているグンゼ工場の事務所棟は、
近代化遺産として整備されるようです。
https://www.tajima.or.jp/furusato/161420/

次に豊岡に行く時には、八鹿グンゼ辺りを探ろうかと。


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