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2018/09/24(月)
Walkin'About@Lynn(3)


駅から北東のユニオン通りを進んでいくと、
ヘルスセンター、デイケアが並び、高齢化が進む街のように見えます。

が、その先に進んでいくと、ラティーノ感が漂い始めます。
左の写真の真ん中に写っている「MI GUATEMALA BAKERY」。
名前の通り、グアテマラのパンやスウィーツを売っています。


2018/09/24(月)
Walkin'About@Lynn(2)


かつて靴の産業で栄えたことがわかるアイコンも、
街中に残されています。


2018/09/24(月)
Walkin'About@Lynn(1)


都心部がジェントリフィケーションを起こした時に、
高家賃を負担することができない人たちはどこに住むのか?

ホームレスになるという選択をしない限り、
郊外に住むことになるだろう。
そこに仲間がいれば、仕事が見つけられれば、
むしろ快適かもしれない。

この単純な仮説から、郊外のリサーチを始めています。
つまりは「ひとりWalkin'About」です。
おとついの金曜日には、Lynn(リン)を訪ねました。

リンはボストンの北約10マイル (16 km) に位置しています。
製靴産業で栄えましたが、数十年前に数回大火に見舞われ、
その後に中心部の工業用ビルをロフトスペースに転換し、
アートを活用したコミュニティ活性化プロジェクトが進行しています。
https://gatewaysmag.org/lynn-murals/

たしかにリン駅前の建物には、あちらこちらに壁画が描かれています。


2018/09/22(土)
アメリカの住宅・都市活性化政策が問題にしていること


ハーバードケネディスクールでの受講はその後、
住宅政策・都市活性化政策についての3講座に絞っています。

この分野の政策において、アメリカは日本とは
イシューが大きく違っています。
ごく簡単にいうと、人種、移民、高家賃という難題が、
まず横たわっているのです。

そもそもイギリスから新天地を求めて移り住んだ
ピューリタンが、アメリカという国を興したわけですが、
産業革命期にはヨーロッパからの新たな移民と、
南北戦争で奴隷から解放された黒人が都市に流入しました。
そのことで、衛生環境が劣悪なスラムが形成されています。

第二次世界大戦後には、郊外住宅が大量に建設され、
都心と郊外を結ぶ高速道路も必要とされました。
アメリカは日本と違い空襲を受けていないので、
都心部の再開発には、既存開発地の撤去が必要でした。
その候補地として選ばれたのは、移民や黒人が多く居住し、
投資が行われなくなり劣化した住宅地域でした。

その中には、居住の権利を主張して撤去を免れたところと、
撤去され、住民が移住を余儀なくされたところがありました。
撤去する代わりに生活環境を改善した住宅を提供しようと、
大型の公営住宅の開発がなされましたが、低所得層を
一ヶ所に集めたことで致し難い治安の悪化を招き、
いくつかの住宅では、開発から十数年で撤去されるという事態となりました。
またいくつもの暴動や数々の犯罪行為をつうじて、
黒人・白人間の分裂が深まっていきました。
さらにアジアや中米からのヒスパニックの移民も増加し、
人種にまつわる問題がさらに複雑化していきました。

その後、連邦政府は、みずから住宅を提供せず、
家賃補助という形で低所得層の住宅所得を支援し、
また特定地域に低所得層が固まってしまわないよう
配慮した政策を取っています。

1980年代からは、都心部の環境が改善され、犯罪が減少し、
白人富裕層が都心に回帰するようになります。
そして2000年頃から、都心部への投資が急激に増加し、
ジェントリフィケーションを引き起こすようになりました。
現在では住宅プラス交通の費用を、低所得層でも賄える程度に
抑える政策をいかに実現するかが、大きな政策課題になっています。

ここですごいと思うのは、すべての教授が、
こういう話を社会的正義の観点から強く語ることです。
そして微妙だなと思うのは、それを学ぶ生徒の中には、
黒人もヒスパニックも存在しているということです。
(たまに黒人の学生が不満そうな表情を示すこともあります)

肌の色が違うので差別の構造が明らかであること、
人種間の分断が引き起こすマイナスが甚大であることが、
「この問題から目を背けない」というスタンスに
つながっているのだと思います。

写真左:19世紀のスラムについての説明
写真右:南アフリカの富裕層居住地とスラムの写真


2018/09/22(土)
トレモント通りの小さな不幸


先週、BLOCK PARTYイベントで紹介した
トレモント通りに人が集まっていたので、
今度は何のイベントかと思って行ってみると、
街路樹が倒れて、車2台を直撃していました。
幸い、けが人はなかったようです。

イベントでお会いした方もおられ、原因を聞きましたが、
雨も風もなかったのですが、ただ落ちてきたのだと。
「この間のイベントの日だったら大変でしたね〜」

警察も来ていて、車の持ち主と喋っていました。
持ち主が笑いながら喋っていたので、みんな安心した様子でした。
「きっと市が弁償してくれるだろう」と言いながら。

ご参考までに、落下前の写真と並べておきます。
右に同じ木の折れる前が写っています。
まちの歴史が古いと、ガス管も街路樹も老朽化しているんですね…


2018/09/21(金)
渾然一体問題


ケンブリッジに来た当初は、お店に行くのが苦痛でした。
店員が何を言っているのか分からないからです。

この「分からない」には、「言葉が分からない」と、
「従っているシステムが分からない」とがあり、
それが渾然一体となってやって来ます。

カフェに入ると、まず「For here, to go?」。
「店内?テイクアウト?」ということですが、
慣れていないと固まります。

スーパーでは「You need a bag?」と聞かれます。
「Yes」と答えると袋に入れてくれて、5セントほど取られます。
「No」と答えると、自分のカバンに入れて帰ることになります。
そして次回からは、マイバッグを持参するようになります。

お金を払うのに、どれが5セント、どれが10セント、
どれが25セントかが分からないので、
「2ドル39セント」と言われて固まります。

そのため、アメリカで口座を開いてからは
もっぱらデビットカードで支払っていますが、
「You need cashback?」と聞かれて、また固まります。

これは金額を指定すると、その額を一緒に口座から
引き落として、現金を渡してくれるというシステムです。
実は便利なので、最近よく使っています。

こういう渾然一体問題に疲れていた頃に、
セルフレジがあったので、そっちを選んだところ、
前のお客が残していた情報を決済してしまい、
あわてて店員に取り消しを依頼したことがあります。

その店員は、レシートを持って一緒に店内を回り、
前のお客が買おうとしていたものをピックアップして
レジマイナスの手続きをしてくれました。
「この人、レッドブルばかり買おうとしてたのね」と笑いながら。

この種のストレスからはそろそろ解放されつつありますが、
こんな苦しみがあったことを忘れないように、メモ。


2018/09/19(水)
譲られる服


ケンブリッジは学生街なので、毎年やって来る学生と、
卒業して出ていく学生がいますが、この街では、
出て行く人たちが家具や電化製品や洋服などを
譲って出て行くという振る舞いが、普通にあります。

9月初めの新学期には、ハーバードの校庭に、
冷蔵庫やソファや絨毯がいっぱい並べられていました。
うちのアパートの前には「TAKE FREE」と書かれた紙袋があり
パスタ、オリーブオイル、鍋などが入っていました。

ときどき、道に服が落ちていることがあります。
この写真のように、ちゃんと畳んで置いてあると
譲り物だろうと思えるのですが、この間は
道に無造作にグレーのセーターが落ちていて、
見てみると商品タグが付いていました。
買うかもらうかして、着なかったのでしょう。
面白いので持って帰って洗濯してみました。

そんな感じなので、古着は安く手に入ります。
この古着屋の1階では、1ポンド(450g)2ドルで
量り売りをしていて、若い子たちに人気です。
https://garmentdistrict.com/

家賃と外食費は高いのですが、だからこそでしょうか、
生活費を安くするための知恵とシクミが充実している街です。





2018/09/18(火)
街の見巧者
今朝の京都新聞の「凡語」で、
Walkin'Aboutのことを紹介いただきました。
https://www.kyoto-np.co.jp/info/bongo/index.html

紹介いただいたものの、日本で開催できるのは、
来年7月以降になってしまいますが…


2018/09/17(月)
TREMONT ST BLOCK PARTY


今日はボストン3週目の日曜日。近所の教会に行く途中で、
「TREMONT ST BLOCK PARTY」と書かれたポスターを見つけました。

行ってみると、持ち寄りパーティが開かれていました。
テーブルも椅子も料理も、すぐ前の住民が持ち寄り、
集まった人たちで食べながら喋るというシンプルスタイル。
"Why don't you join us?"と気軽に誘ってもらえたので、
輪の中に入り、話を聞いていました。

トレモント通りのこのイベントは、毎年春と秋に開催され、
もう20年近く続いているそうです。
もともとは家の敷地の中で行っていたものを、
ケンブリッジ市の『MEET YOUR NEIGHBOR DAY』という
傘の下に入ることで、往来を止めて、
路上で開催できるようになったようです。

僕が耳にしたのは、並べてある料理や今読んでいる本の話、
近所にある料理屋の話、フットボールの今年の見どころ、
あの人は最近どうしている、ニューヨークに住む娘の話、
2年前に降った大雪の話など、とりとめのないご近所話です。

「うちの旦那、料理好きはいいけど、作り過ぎるのよね」
「あの人、本を貸してくれたけど、『あたなにはこれ』って
 なんかむきになってたわよね」
奥さんたちの無邪気な噂話にニヤニヤしながら
その場の雰囲気を楽しんでいました。

Meet Your Neighbor Day
https://www.cambridgema.gov/Departments/peacecommission/meetyourneighborday


2018/09/16(日)
Gas Explosions, Fires In Massachusetts(6)


ローレンス、アンドーバー、ノースアンドーバーでは現在、
コロンビアガスの方々が、ガスと電気の復旧に向けて、
懸命に作業を続けておられます。

今回の爆発や火災で亡くなられた方の
ご冥福をお祈りするとともに、
被害に遭われた方々に対し、お見舞いを申し上げます。
多くの方々の生活が、早く元通りになることを期待して、
このレポートを締めくくりたいと思います。


2018/09/16(日)
Gas Explosions, Fires In Massachusetts(5)


マリメック川の北側では、電気もガスも供給されており、
お店が普通に営業されていました。
スーパーや飲食店には、多くの方が食料や昼ご飯を
買いにきていて、車も普通に走っていました。

さらに北に進んでいくと、街の雰囲気がカリビアンになります。
個人経営の床屋や洋服屋やネイル屋、食料雑貨店が並び、
街で聞こえてくるのはスペイン語です。

その食料品店に入ると、中はイートインスペースで、
ご飯に煮込み料理をかけて出していました。
一番小さなご飯に、ホルモンの煮込みを頼むと3ドル(これが美味しい)。
僕以外のお客さんはすべてヒスパニック系で
子どもにご飯を食べさせていたり、
仕事中に昼食に来たりしていました。

もともと産業革命期に移民を受け入れて
発展してきたローレンスには、1960年代から
キューバ、プエルトリコ、ドミニカ共和国など
ラテンアメリカ諸国からの移民が入ってきました。
安い住宅費と移民に寛大な気風が彼らを惹きつけましたが、
1984年には、白人労働者とヒスパニックの若者の間で
対立が深まり、暴動に発展しました。
そして2010年には、ヒスパニック系の人口は
ローレンス全体の74%を占めるまでになっています(以上、Wikipediaより)。

郊外に存在するために、現在のローレンスは、
とても見えにくい存在になっています。
今回の爆発がなければ、僕も行くことはなかったかと。
このまちにどんな人たちが住んでいて、どんな産業があり、
インフラは、コミュニティはどういう状態にあるのか、
そういうことが、とても気になるようになりました。


2018/09/16(日)
Gas Explosions, Fires In Massachusetts(4)


マリメック川南側の住宅地近くには
家に住めなくなり、街角でたたずむ人たちがいました。
また住めるけれど、お店がすべて閉まっているので、
川の北側に買い出しに行く人たちが列をなしていました。

あまり寄った写真ではないので分かりにくいですが、
はっきりと分かるのは、白人がほとんどいないということです。


2018/09/15(土)
Gas Explosions, Fires In Massachusetts(3)


19世紀半ばに工業のためのインフラが整ったことで、
ローレンスには、工場所有者と労働者が集まり、
工場建設が始まりました。建設に当たったのは、
主にアイルランドからの労働者でした。
そして完成した工場には、ヨーロッパやカナダからの移民、
ニューイングランドの農園の少女などが働き手として集まりました。

今回のガス爆発が起こったマリメック川南側の丘陵地は、
もともとはこれらの工場の労働者向けの住宅地として
開発されているようです。開発時期は分かりませんが、
インフラ整備はかなり昔になされているようで、
今回の事故では、ガス管の老朽化が指摘されています。



2018/09/15(土)
Gas Explosions, Fires In Massachusetts(2)


ローレンスは、ボストンから北に40kmのところにあり、
MBTAという鉄道では、ボストンから55分かかります。

その情報だけだと、ボストンの人口増にともない
開発された郊外住宅地だと思えます。
行ってみても、ゆったりと建てられた邸宅が
並んでいるのでそう思えてしまうのですが、
地域の真ん中を流れているマリメック川を見てみると、
ここが産業革命期に工業で興った街だと分かります。

調べてみると、このグレート・ストーン・ダムは、
1840年代に開削され、水力発電による電力を活かして、
毛織物加工の中心地となっていた、と分かりました。


2018/09/15(土)
Gas Explosions, Fires In Massachusetts(1)


日本でもニュースで流れていたようですが、
昨日13日(木)夕方に、マサチューセッツ州の北の方の、
ローレンス、アンドーバー、ノースアンドーバーで、
70ヶ所でガス爆発が起こりました。
https://www.npr.org/2018/09/13/647621382/multiple-explosions-and-fires-reported-across-3-massachusetts-towns-at-least-3-i

今日は講義がなかったので、現場に向かいました。
ボストンの北駅からローレンス方面の電車に乗りましたが、
鉄道は途中のレディングまでしか行かず、
そこからはuberを使って車でアンドーバーまで行き、
現場近くまで歩きました。

これらの地域では現在、ガス、電気の供給が止まり、
住民は避難を要請されています。
当然ながら、お店はすべて閉店していました(つづく)。


2018/09/14(金)


ハーバードケネディスクールの秋学期が始まって2週間。
お昼はほとんど、学内のカフェで取っています。

サラダバー、ピザ、ハンバーガー、サンドイッチ、
スープなどがありますが、最近は自作のおにぎりを持ち込み
サラダだけ頼むスタイルに落ち着いてきました。
こうすると昼食代が3ドル代で収まります。
ケチっているわけではなく、グルテンから身を守ろうとすると
こういう生活パターンになっていくのです。

また、朝食や昼食を取りながら講義を聞いたり、
ディスカッションをしたりというプログラムもあり、
そうすると、一食分浮いたりします。
なんか苦学生みたいな生活です。


2018/09/12(水)
ノースエンドのお菓子屋さん(3)


ボストンでは、1991年から2006年にかけて、
交通渋滞解消のため、都心部の高速道路網を
再構築する工事が行われました。

このプロジェクトは、ノースエンドとダウンタウンを
分断していた高速道路の地下化を伴っていたことから、
通称「Big Dig」と呼ばれています。
最終的に150億ドルもかかったために、
否定的にとらえる向きが多いようですが、
ノースエンドへのアクセスは、格段に向上しています。
地下化された高速の上には公園が作られ、
市民の憩いの場となっています。

Maria's Pastry Shopで、お店に立っていた女性に、
「このプロジェクトで街はどう変わりましたか?」と尋ねると、
「観光客が増えた」と。

このお店について調べていて、ノースエンドにある
「Maria's Pastry Shop」と「Mike's Pastry」という
2軒のイタリア菓子店の食べ比べの記事を見つけました。
https://nomnomcat.com/2013/04/22/cannoli-boston/

そしてMike's Pastryの方に行ってみると、
ものすごくいっぱいのお客さんでごった返していました。

昔からの建物や街並みを住民が守り続けてきて、
高速道路の地下化よってアクセスが改善された時に、
「イタリア移民の昔ながらの暮らしが残された街」
というオーセンティシティが、観光客を呼び込んだようです。

Maria's Pastryで、毎回見かけるおじいさんに、
同じく「このプロジェクトで街はどう変わりましたか」と尋ねると、
「店が増えた。今は170店ある。
 この近くにもともとあったのは、クリーニング屋や
 肉屋だったが、飲食店ばかりが増えた」と。
「そのことは、あなたにとって良いことですか、それとも?」
と尋ねると、その方は「もう疲れたよ」と。

僕がハーバード大にフェローで来ていて、
またしばしばこのお店に来ます、と伝えると
「またここで会おう」と。

マリアさんのお店や、そこに集う常連さんが求めているのは、
“顧みてくれるお客さん”なのでしょう。

ノースエンドは、今、そんな感じです。


2018/09/11(水)
ノースエンドのお菓子屋さん(2)


ジェイン・ジェイコブズは「アメリカ大都市の死と生」
の中で、ノースエンドについてこう触れています。

 異様に幸運な状況のおかげで、
 ノースエンドは奇跡を成しとげました。
 住民や実業家やその親戚、友人の中にたまたま
 石工、電気工、大工、請負業者のような
 建設業に携わっている人がたくさんいたのです。

 こういった人々がサービスを無料で提供したり、
 またあるときは物々交換で提供したりすることにより、
 ノースエンドの建物を近代化し、改修したのです。

 かかった費用はおもに建材の費用だけだったので、
 貯金からその都度払いて資金を都合できました。
 ノースエンドでは、後に元が取れるだろうと思われる
 改修の資金調達をするには、実業家や家主はそのお金を
 事前に持っていなければならないのです。

 つまりノースエンドは銀行システム以前に働いていた、
 物々交換と蓄積という原始的方法に戻ったのです。
 これが持続的な脱スラム化とコミュニティ存続の前提条件でした。

1950年代、大規模再開発のプロジェクトが
各地で展開されていた中で、ノースエンドは
近隣地区の人たち自身が建物を持続させるという方法で
その姿を現在に残しています。

ただ、ノースエンドと、それよりも西側の地域は
郊外化を進めるために必要とされた高速道路建設により、
完全に分断されてしまっていました。



2018/09/11(火)
ノースエンドのお菓子屋さん(1)


ボストン・ノースエンドの入口に当たる場所に、
Maria's Pastry Shopというお菓子屋さんがあります。
http://mariaspastry.com/

創業は1982年。イタリアのお菓子を売るお店で、
ノースエンドの入口にあるので観光客も訪れますが、
地元の人向けというスタンスを変えない感じが面白く、
この2週間ですでに3度も足を運んでいます。

ノースエンドは、19世紀半ば以降に、
イタリアからの移民の人たちが集住していた場所で、
1950年代には再開発が必要なスラムとして
クリアランスの危機を迎えつつも生き残った町です。

昔からの街並みが残っていることで、飲食店が増え、
今は多くの観光客を集めるようになっています。
(この話、もう少し続きます)


2018/09/10(月)
ケンダルスクエアの再開発


昨日話に聞いた、製薬・IT会社が集まっているという
ケンダル駅近くにBlueBikesで行ってみると、
ものすごく再開発をしているエリアだと分かりました。
http://www.cambridgeredevelopment.org/kendall-square-3/

そしてその再開発の種地は主に、運河沿いに立地していた
ケンブリッジ・ガスライト社の工場跡地だということが、
運河のところに掲げられていた看板から分かりました。

かつては石炭を熱してガスを作っていましたが、
1951年にテキサスから天然ガスパイプラインが敷かれ、
製造設備が不要になったことから、遊休地を活用した
再開発計画が立ち上がり、50年以上をかけて
脱工業化時代の新産業の集積を生み出してきたようです。
そしてその開発が遠因となって、地域の家賃相場が上がっていると。


2018/09/10(月)
いま、興味を持っている記事は?


昨日の朝もbarismo364へ。
大きなテーブルの席でコーヒーを飲んでいると、
年配の男性が来て、隣の席に座り、新聞を読み始めました。

しばらく経ってからその男性に、
「いま、興味を持っている記事は何ですか?」と尋ねました。

男性は、カバノー米最高裁判事候補をめぐる共和党と
民主党の攻防と、オバマ氏が退任後に初めて
トランプ大統領を批判する演説を行ったこと、だと。

とっさに思いついた割には、いい方法でした。
これを続ければ、アメリカ国内のニュースを
自分にとって身近に感じられるようになりそうです。

この男性から、興味深い話を聞きました。
ケンブリッジ市のこのあたりに家賃が高いのは、
20年ほど前から、マサチューセッツ工科大学の周りに
製薬会社やIT企業が移転してきているからだ、と。

これらの企業の社員は高給取りなので、
彼らが住むようになると、不動産価格や家賃が上がる。
私は1975年に家を買ったが、今の価値は当時の30倍近い。

家賃の急上昇により、大学教授の暮らし向きが厳しくなり、
大学が補助金を出したりもしていると聞く。

なるほど、そんなことが、わがアパートの近くでも起きていたのかと。

ハーバードケネディスクールは世界的に素晴らしい学校ですが、
うちの近所のカフェも、僕にとっては素晴らしい学校です。


2018/09/09(日)
“Take into account" のための構造


ハーバードケネディスクールでの講義を聴講していて、
喋っていることは半分ぐらいしか理解できていませんが、
はっきりと分かったことがあります。

それは、個々の講義が、
“Take into account(考慮に入れる)"のための構造を
意識している、ということです。
手前味噌なことをいうと“Talkin'About”なのです。

僕がこれまでに参加した講義のテーマは、
「カリフォルニア高速鉄道建設の政策的妥当性」
「国際システムの決定要因としてのエネルギー」

教授は、4分の1円状の教室の中心にいて、
トピックを提供し、学生たちは疑問や感想があれば、
すぐに手を挙げて教授に質問をします。

彼らはやみくもに質問しているわけではなく、
「それは僕の理解ではこういうことだが、合っているか?」
「その場合、こういうことが問題になるのではないか?」
と、全員が認識を深めていくために有効な
“場に貢献する問い”を投げかけています。

中には国内外の政府機関や企業に在籍している人もいて、
「うちの国ではこういう問題にこう対処している」
という知見が共有されます。

教授の多くは、政権内部で政策を担ってきた方々で、
当然ながら、具体的な落としどころを持っていますが、
決まった答えを教えるというスタンスではなく、
ポリシーメイキングにおいて考慮すべき
さまざまな切り口と可能性を共有すること、
学生たちが自発的に作り出す創造的混沌の中から、
学びを深めることを望んでいるように見えます。

そしてそこから、ハーバードケネディスクールの
リベラルな気風が生み出されているように。

これはとても、貴重な経験です。


2018/09/08(土)
近所にあった居場所


ボストン・ケンブリッジに来てから、
スターバックスやcoffee house1369など、
地下鉄の駅近くや交差点にあるカフェで
毎日のように勉強していたのですが、
昨日初めて、アパートから徒歩3分のところにある
「barismo364」というカフェに入ってみました
http://www.barismo.com/

入ってみて、ここが他の自習系のカフェではない、
ということにすぐに気がつきました。
店員はお店の真ん中にあるカウンターの中にいて、
カウンター席に座った女の子が店員と話をしていました。

周りにはテーブルがゆったりと配置され、
主婦同士が話をしたり、おばあさんが一人で
新聞を読んだりしていました。
当たり前のように聞こえますが、こんな感じで、
地域コミュニティの結節点になっているカフェに
これまで出会っていなかったのです。

このカフェの向かいには、小学校があります。
マーティン・ルーサー・キング牧師の教えに
もとづく教育を行う、公立の小学校のようです。
だからこの客層なのかと、入ってから気づきました。

僕は大きなテーブルの一角に座り、
新聞を読んでいたおばあさんに話しかけました。
想像通り、ゆっくり話をされる方でした。
緊張することなく英語で話ができる方と
ここでやっと出会うことができました。

また、別のテーブルにおられた親子が
日本語で話をされていたので、話しかけました。
旦那さんの仕事がこちらになり、家族でやって来て、
子どもを小学校に通わせるようになったそうで、
日本人のママが他におらず、心細い思いをされていました。
そして、お互いに助け合って暮らしていきましょうね、と。

このカフェは、僕にとっても大事な居場所になりそうです。

*「barismo364」は、2008年に創業したコーヒー焙煎屋さんが
 2012年に満を持して始められたカフェで、2015年には
 数々の賞を受賞された、地元では有名なお店のようです。
 http://www.barismo.com/our-story/


2018/09/06(木)
英語慣れのための基礎連


ということで、英語慣れのための基礎連です。
今は「ラジオボストン」を部屋でずっと聞いています。
http://www.wbur.org/radioboston

これはアメリカの公共のラジオ放送「NPR」の
ローカル加盟局で、NPRのニュースプログラムと、
ボストンローカルの情報を伝えてくれます。

記事を読む時は、NPRのサイトに行きます。
https://www.npr.org/

そして飽きてきたら、日常会話の勉強を兼ねて
ネットフリックスのドラマを観ています。
https://www.businessinsider.jp/post-171433

どれがどんな風に効くのかを、実地に試していきます。




2018/09/06(木)
ハーバードケネディスクールの授業


昨日から、ハーバード大学の秋学期の授業が始まっています。

最初の授業は“Shopping Day”といって、
受講を決めるためのショーケースになっています。
なので多くの学生が、それぞれの授業にやって来ます。

僕が所属するのは、ハーバードケネディスクール。
公共政策大学院と呼ばれ、政治や経済、
リーダーシップなどが教えられます。
https://toyokeizai.net/articles/-/88416?page=3

僕はフェローという立場で、学位は取れないのですが、
せっかくなので、いろんな授業を覗いています。

“都市環境における政策決定”
“輸送についての政策とプランニング”
“なぜ多くの国は貧しく、不安定で、不平等なのか”
“エネルギーの地政学”“アメリカにおける住宅と都市化”

これがみんな、面白いのです。
僕の英語能力は、ネイティブスピードの英語を聞き取ったり、
英語でディスカッションするには不十分なのですが、
そこに臆していたら貴重な学びの機会を失ってしまうし、
キャンパスをうろうろしながら誰とも喋らない日々を
10ヶ月続けてしまうかもしれません。

“アメリカにおける住宅と都市化”では、
いきなりディスカッションが始まりました。

1750年に都市居住を始めたジョシュア、
1880年のナサニエル、1950年のマイケル、
2017年のジェシカは、それぞれなぜ都市に出てきて、
どんな家族構成で、どこに、どんな家に住んで、
どんなニーズを持っているかを、
グループに分かれて話し合う、というものでした。
そこから住宅政策・都市政策の意味を掘り下げて考える。

これは英語力なんて言っていたらもったいないです。
この講義を受けるために、英語力をむりやり上げよう。
そういうモードになっています。


2018/09/05(水)


台風21号の惨禍をネットニュースや
みなさんのSNSで拝見し、心を痛めています。
帰れるものなら帰りたいです。

おかげさまで、T-MobileのSIMカードを購入し、
ネットはどこでも繋がるようになりました。
そしてそのおかげで、BlueBikesというシェアサイクルを
使えるようになり、機動性が上がりました。
https://www.bluebikes.com/

そんな感じで、アーバンサバイバル継続中です。
みなさんの方がよっぽどサバイバルかもですが…


2018/09/04(火)
アーバンサバイバルな日々


アメリカで生活していくためには、
当然ながら英語力が必要なわけですが、
思わぬところに知識の抜けはあるものです。

例えば、洗剤を買いに行った時に、
どれが洗剤でどれが柔軟剤でどれが漂白剤かが分からない、
というレベルでフリーズしてしまいます。

携帯は格安スマホなので、海外では使えません。
アパートに帰るとWiFiは繋がるのですが弱く、
どうにか日本語で検索してこんな情報を得る。
https://americalifejapan.com/2017/10/10/laundry-detergent/

そんなアーバンサバイバルな日々が続きます。

アパートを紹介してくれた不動産屋さんが、
「有線LANが部屋に来ているなら、ルーターを買って、
 部屋をアクセスポイントにすれば改善されますよ。
 リッチメアにあるベストバイに行けば買えます。
 あ、こっちでは『ラウター』ね。」

その情報のおかげで、ネット環境は劇的に改善しました。
そして自宅アパートがベースキャンプになっています。
引きこもり生活のようでもあります。


2018/09/03(月)
ボストン1週間


9/2(日)。ボストンに来てから1週間。
朝から1時間ほどジョギングしたり、
教会に行ってみたり、部屋やカフェで勉強したり、
パスタを作ったりして過ごしました。


2018/09/02(日)
チャイナタウンにて


今日は昼にボストン・チャイナタウンへ。

入口の門のそばに、中国の人たちが集まって
トランプにうち興じている広場があったので、
そこのベンチに座って雰囲気を味わっていると、
隣に座っていた若い男の子が話しかけてきた。

「北京語とか、広東語とか喋れるの?」
「いや、僕は日本人。大阪から来た。」
「大阪!僕が好きなバンドが大阪でコンサートしてたよ。」

僕がハーバード大のフェローで来たばかりと言うと、
「僕はハーバードの研究室で映像関係の仕事をしてきた。
 フリーランスで。ただし、先週末で辞めた」と。

彼は24歳。ベネズエラ出身で10年前にマイアミに渡り、
映像の仕事に携わり、3年前に偶然会った教授の縁で、
ハーバードの仕事をするようになったそう。

母国語はスペイン語で、英語も映像制作の知識や技術も、
学校で習ったわけではなく、実地に身につけたそうだ。
当時14歳の少年に、そんなことができたのかと。

両親はベネズエラ、兄弟はマイアミにいるらしい。
「国に帰ったりは?」「いや。今は状況がよくないので」
「国に送金は?」「送金しても、向こうの会社が
お金を取ってしまい、家族に渡らないかも知れない」

ボストンでの3年間は、まったく休みがなかったらしい。
毎日夜遅くまでの仕事で、休みなく3年間。
疲れたので、少なくとも1ヶ月はゆっくりするんだ、と。

合法的にこの国にやって来たのかは聞かなかったが、
答えがどちらであっても、苦労してやって来て、
自分の生活を獲得してきたことに変わりはないだろう。
そして彼なら、次の進み先を見つけていけるのだろう。

トランプ大統領の不法移民不寛容政策により、
こういう立ち回りは難しくなっているのだと思いますが、
こんな風に、如才なく異国での生業を作り出す若者が
この国にやって来ていることに、かなり驚きました。



2018/09/01(土)
アメリカ生活とスーパー


僕は今住んでいるケンブリッジのアパートは、
ハーバード大学から徒歩20分ほどの所にありますが、
最寄り駅のセントラルスクエアには、
Hマートという韓国系のスーパーがあります。
1982年にニューヨーク市クイーンズ区で創業した、
街角の食料品店が大きくなったものです。

この近くに住めば、日本の食材が手に入りやすいだろう、
というのが、物件を決めた大きな理由です。

そしてアパートと駅のちょうど間には、
ホールフーズマーケットというスーパーがあります。
1978年に大学を中退した男性と恋人が
テキサスで始めた自然食品店が大きくなったもので、
日本における成城石井やイカリスーパーに似ています。

少々高くても、外食するよりはマシだろうと、
このスーパーも多用しています。

また、アパートとホールフーズの間にはセブンイレブンもあります。
ここは1927年にオープンした氷販売店が発祥なのだそう。
その後食料品や調理器具などの日用品も扱うようになり、
1946年には店名を「7-Eleven」と変えました。
今はセブン&アイグループ傘下になっているようです。

本当はノースエンドに住みたかったと前に書きましたが、
この場所にして正解だったなと、今は思っています。


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shiromuku(hu1)DIARY version 3.10