過去の日記 50

2011/02/20(日)
大阪から考える『移行期的混乱』









2/18(金)の夜は、ナカノシマ大学の司会。
今回は「大阪から考える『移行期的混乱』」と題し
リナックスカフェの平川克美さんと
大阪市長の平松邦夫さんが登壇されました。
http://www.nakanoshima-univ.com/seminar/1102/1102_university.html


平川さんが昨年9月に出された『移行期的混乱』。

現在の不況は一時的なものではない。
今後進む人口の減少により、
それは一層深刻なものになるであろう。
この人口の減少は、民主主義の進展、
それにより実現した女性の社会進出、
消費の時代の到来と家族の崩壊により
必然的にもたらされたものである。

だから、今必要なのは、
どうにか経済を成長させることではなく
経済成長なしでもやっていける社会を
デザインすることである。

平川さんの主張は、明快です。
そしてこういうことは、多くの人は、
すでに薄々気づいていることでしょう。
ただし、これを認めてしまうことは、難しい。


現政権は、昨年6月に「新成長戦略」を閣議決定しています。
http://www.kantei.go.jp/jp/sinseichousenryaku/

これを受けて、大阪市も昨年12月に
「大阪市経済成長戦略」中間とりまとめを行なっています。
http://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000098865.html

冷静な観察者の目で見ると、わかる。
でもそれを前提に指針を定めると、元気は出ない。
そんなことをすると腑抜けと言われてしまう。

ここには、薄々無理と分かりつつも
黒船に対して刀で戦おうと主張した
土佐勤皇党的状況があるのかも知れません。


今回のナカノシマ大学は、ことほどさように
かなり難しいテーマに取り組んだものでしたが、
議論は終始なごやかなペースで進みました。

お二人の紳士的な話し合いの中から見えてきたのは
経済合理性をいったんカッコに入れて
「人」のための社会をどうデザインするか
という視点をしっかり持つことが大事、ということです。

そういえば、「経済」という言葉の語源は
「経世済民:世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」ですね。

なお、当日のセッションの音声は
後日「ラジオデイズ」からダウンロードできます。
参加できなかった方は、ぜひご活用ください。
http://www.radiodays.jp/


この後、平川さん、平松市長と
江さん、中島さんをはじめとした140Bの方々
また内田樹さんも合流され、西天満で打ち上げました。

ナカノシマ大学が始まって、1年半。
時代の知性と良心が集まるサロン場が
着実に形成されてきているのを感じます。


2011/02/17(木)
語り継ぐべき物語のための方法










現在発売中の「山と渓谷」19ページに
「加藤文太郎を題材にしたラジオドラマが放送決定」
という記事が出ています。
http://www.yamakei-online.com/magazine/

漫画化、小説化、戯曲化、そして
実現しなかったものの映画化構想と
加藤文太郎への注目が一気に集まる中
ラジオドラマ放送へと展開できたことは
幸運でしたが、この先に「山の声」を
どう語り継いでいくか、そこに課題は残されています。

「孤高の登山家に再び脚光 但馬出身の故・加藤文太郎」2010.11.8 神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003591737.shtml

で、一つの実験として、石原正一さんにお願いして
3/22(火)の「ヨミすぎ!」(朗読ワークショップ)で
「山の声」を取り上げていただくことにしました。
http://www.talkin-about.com/cafelog/?itemid=1242

写真右は、前回2/15(火)の「ヨミすぎ!」。
チェーホフの「かもめ」を読んでいる風景です。
僕もはじめて参加。トリゴーリン役でした。

「語り継ぐべき物語のための方法」

それはつまり、誰かに演じてもらって観るだけでなく
多くの人が自分で読んだり演じたりしてしまう
ということです。

「山の声」は、圧倒的な長セリフが
あるものの、二人いれば成立します。
感情の流れが豊かで、役者の力量を盛り込むことの
できる戯曲なので、多くの人に取り組んでいただき
その可能性を様々に引き出していただければ
と思っています。

で、例えば、六甲山カフェのある
芦屋ロックガーデン・高座の滝前で
「『山の声』を読む会」が定期的に開かれる。

そういう形で、今後ともずっと、この作品を
語り継いでいくことはできないかと妄想しています。

ただ僕もそうですが、一般人にとっては
人前でセリフを読んだり演技をしたりすることへの
心理的な壁は、そうとうに高い。

この壁をどう取り除いていくのか。
それが、今、目の前にある課題です。

ということで、「山の声」に挑んでみようという方は
3/22(火)19:30〜の「ヨミすぎ!」にお越しください。


2011/02/16(水)
まやビューライン、一転存続へ
本日のasahi.comに「まやビューライン、一転存続へ」
という記事が出ました。
http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK201102150056.html

さっそく、ナダタマの慈憲一さんに聞いてみました。
「外されていたハシゴが、一本つながった状態」だそうです。

まだ予断を許さない状況かと思いますが
調査費までつけて、ムゲにはできないだろうと見ています。

これも慈さんはじめ、関係者の方々の尽力の賜物です。
リュックサックマーケット効果もあったに違いないと
ここは過大評価しておきたいところです。

以下、ご参考までに、昨年10月25日の神戸新聞。
180度転換した様が吟味できます。

「絶景の『まやビューライン』が存廃の瀬戸際」
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003557701.shtml


2011/02/15(火)
御堂筋界隈の記憶
御堂筋ODONA2Fにある「アイ・スポット」で
行きがかり上開催することになった「御堂筋Talkin’About」。

一人では誰も来ないと淋しいので
生駒ビルの生駒さんと、平岡珈琲の小川さんに
お声かけして、ユニットを結成してみました。

この3人だけで喋っていても楽しく
さらに人が増えればまた楽しいといった
寄り合い的雰囲気をキープしたまま
イベント化してみようかと。

今回のテーマは「御堂筋界隈の記憶」。

生駒さんと小川さんのお話を伺う間に
2時間は軽く過ぎてしまいそうですが
いいネタをお持ちの方がおられましたら
ぜひお寄せください。

*先着10名様までは、小川さんのご好意で
 平岡珈琲店のコーヒーを提供させていただきます。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

御堂筋Talkin’About inアイ・スポット

「御堂筋界隈の記憶」

2011年2月28日(月)7:00p.m.〜9:00p.m.
場所:アイ・スポット(淀屋橋ODONA2F) 
参加料:無 料

ナビゲーター:生駒 伸夫(生駒ビルヂングオーナー)
       小川 清(平岡珈琲店店主)
       山納 洋(大阪ガス)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 幾多の企業が本社ビルを連ねるオフィス街
 百貨店やブランドブティックが立ち並ぶショッピング街
 通りを一歩奥に入れば、商人の町・船場のたたずまいを残す街並み
 そして近年には住宅も増え、居住地としての発展を遂げつつある街

 そんな御堂筋界隈には、バックグラウンドの異なる多くの人たちが日々集まっています。
 そこには面白い発想を持った人、様々な知識やノウハウを持った人、新しく何かを始めたいと思っている人がいっぱいいるはずです。
 しかしながら、そうした人たちが、組織や現在のネットワークの壁を超えて出会う機会は、それほど多くはありません。

 「御堂筋Talkin’About」は、あるテーマについて興味・関心を持った人たちが集まり語り合う“サロン”です。
 思いある人たちが自由に集い、情報を交換し、ネットワークを広げ、そこから自然なかたちで新しいアイデアやコラボレーションが生まれていく、そうした場づくりを目指しています。

 今回のテーマは「御堂筋界隈の記憶」。
 大阪のメインストリート・御堂筋とその界隈について、実際にそこに暮らす人、働く人たちの話しを聞きつつ、界隈の重層性について考えていきます。


*ちなみに明日16日(水)には、19:30から御堂筋DINGHYで
 本を紹介するサロンを開催しています。


2011/02/14(月)
守山市からの来客
守山市のまちづくり会社「みらいもりやま21」の
石上僚さんが、「common cafe」「扇町Talkin'About」
についての詳しいレポートを書いて下さいました。
http://miraimoriyama21.shiga-saku.net/e567342.html

自分では今さら感があって書けなくなっているので
こうした記事は、有難いです。

*記事の中にさらっと出てきますが、守山市では、
 旧宇野本家(元宇野首相実家の造り酒屋の建物)を
 歴史文化拠点として整備し、今年12月にオープンさせるそうです。
 http://www.city.moriyama.lg.jp/pub/submit.nsf/0/9508d70608d6688d49257823000064d3?OpenDocument


2011/02/13(日)
姫路ゲストハウス









大阪21世紀協会時代に一緒だった松岡京子さんが
姫路でゲストハウスを始めようとしています。
今日、現場を見に行ってきました。
http://himejimarukatsu.blog24.fc2.com/

駅前から北に伸びる商店街のはずれ
姫路城の程近くにあった、築60年の食堂跡を
現在改修しておられます。

観光の目玉である姫路城も目下改修中で
完成が2015年なのだそう。
いい形でこの宿が立ち上がり継続することを願い
押しかけアドバイスをいろいろしてきました。

姫路を愛し、この街の魅力を発信したい
という方は、ぜひ応援してあげてください。


2011/02/11(金)
大谷茶屋の雪景色









家を出て、開森橋を経て城山山頂、
そこから高座の滝に下り、六甲山カフェへ。
コーヒーで一服してからまた家まで
というコースを最近よく走ります。
今朝は見事な雪景色でした。

左:城山山頂から麓を臨む
右:大谷茶屋前


2011/02/10(木)
松山カフェ紀行(序)
伊予三津浜。

松山市の中心から北西に3キロほどの所に位置し
司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも頻繁に登場する
この港町に、木村邸という、明治14年に建てられた
古い商家が残されています。
http://www.kimuratei.com/

隣家が建てた商家を、三津浜で10代にわたり
廻船問屋を営む木村家が買い取ったもので
現在はボランティアの方々が補修をしつつ
月2回、カフェを開いているそうです。

再来週末に、僕はここを訪れます。

今の職場の旅行で松山に行くのですが
現地集合現地解散で、道後温泉の大和屋本館に
泊まる、ということしか決まっていない
野放図な旅行なので、この機会にと。

実はこの木村邸を買い取ったのは、僕の曽祖父です。
(僕の母方の姓は木村で、松山の出身です)

ただ松山には、子供の頃に一度行ったきりで
今ではつながりはほとんどありません。
この機会にと、ボランティアの方に
はじめて連絡を取ってみました。

カフェは冬季は休業していて、オープンは3月から。
26日は大掃除の予定だったそうですが
せっかくだからと、大掃除を1週間早めて
この日にプレオープンイベントとして
どぶろくパーティーを組んでくださいました。

話が、もう一つ。

松山城の近くには、WAKUWAKUという名前の
フェアトレードカフェがあります。

このカフェでは、もともとコモンカフェの木曜昼に
入っていた瓜生さんが現在働いているのですが、
同じく26日、ここでコモンカフェの話を
させていただくことになりました。
http://fairtradcafewakuwaku.blog72.fc2.com/

このお店では現在、日替わり店主というシクミの
導入を考えているのだそうです。

まったく、不思議なご縁です。
野放図な社員旅行に、感謝。


2011/02/10(木)
加藤文太郎せんべい
今日はMBSでラジオドラマの打ち合わせ。
再来週の収録の段取りと、それまでのホンの修正について
日活JOEさん、MBSディレクターの島さんと確認しました。

島さんは昨日、加藤文太郎記念図書館と
文太郎の墓を訪ねて浜坂まで行ってきたそうで
おみやげに加藤文太郎せんべいを頂きました。

「山の声」のラジオドラマは、3/19(土)19:30-21:00放送予定です。


2011/02/09(水)
男がしゃべりで
さて、1/28(金)に開催した「サロン文化考」、
その後レポートできていませんでしたが
都市工学情報センターの紀本さんが
いい感じにまとめて下さっていました。
http://blog.goo.ne.jp/cite-osaka/e/2602caa619519eecdadebdee92d3b519

集まったのが、男子ばかり10名。
みんなようしゃべっていました。

後日、大阪市の方から、
「今後も継続していただけませんか?」と。

昔、扇町Talkin'Aboutをやっていた時には
サロン主催者が15名ぐらいいたので簡単だったのですが
今からもう一度、あんなことができるか、どうか。

まずはサロン的な場に関心をお持ちの方に
コアメンバーになっていただき、月1回程度
集まりながら、徐々に進めていこうと思います。

御堂筋Talkin'About構想。
興味あるという方がおられましたら
またお声かけください。


2011/02/06(日)
時代おくれ








今の携帯が使えなくなるので、
スマートフォンにしてみようと、auショップを訪れる。

店員は「高くつきますから」と安い機種ばかりを勧める。
結局スマートフォンは止め、デジカメ程度の写真が撮れる
サイバーショットにする。
テレビも観られる。ビックリする。

写真は、その新携帯で撮った、家の前の元竹山。
さいきん雨が降らないので、砂埃がきつい。


2011/01/29(土)
歴史好きはなぜうっとうしいのか?
30代後半あたりになってくると
歴史に目覚める人が多いと言われますが
今の僕の身の回りには、歴史世界の住人が
4人に1人ぐらいの割合で存在します。

社員食堂の横のテーブルからは浅井長政
京都府庁を出るときには松平容保
大津街道を歩きながら津田三蔵
こうした歴史トークが折に触れて
仕事中に差し挟まれます。

数年前まではこういうのが嫌いだったのですが
3年前に世界史と日本史の参考書を読み返してからは
この応酬がむしろ楽しくなってきました。
むしろ仕事中に公然と趣味の話ができるので
モチベーションを落とさずに済む
という効用があると気づいてきました。

しかし、これは、歴史的興味のない人には
うっとうしいこと至極です。
自分がそう感じていたので、よく分かります。


ここで、歴史的な情報を、5W1Hで考えてみます。

明治24年5月1日、ロシア帝国皇太子・ニコライは
京都から琵琶湖へ日帰り観光をした帰り道
人力車に乗り大津市街を通過中、警備を担当していた
滋賀県警巡査の津田三蔵によりサーベルで斬りつけられた。


上の文章には、When(いつ)、Where(どこで)、
Who(誰が)、What(何を)、How(どのように)
は書かれていますが、Why(なぜ)だけが抜けています。

このWhy(なぜ)は、Who(誰が)の内面にあり、
外からは見ることができません。
そのためさまざまな憶測が、ゴシップが、
そして物語が生まれます。

自分とは全く住む時代も世界も違う人に
思いを馳せる時の駆動力は、おそらくこの
Why(なぜ)から生まれる物語への共感にあります。
人が歴史を好きになる時には
一度はこの経路を通るはずです。

でも、いったん入ってしまった歴史情報が
それを共有する人の間で、why(なぜ)抜きにやり取りされると
知らない人が聞いた時に、うっとうしい話になります。

この点、ミイラ捕りのミイラ化には注意が必要だなと。


ところで、高校時代の歴史の授業は
上の5W1Hのうち、どこに力を入れていたのか。

ここにWhy(なぜ)が抜けていたとすれば
子どもたちが歴史に興味を持つのは難しいでしょう。

そしてあらかじめ失われたWhy(なぜ)を
司馬遼太郎さんのような人に教わったかどうかが
歴史世界に耽溺する人になるかどうかを
分けているのではと。


2011/01/26(水)
2/10(木)放送の「ビーバップ!ハイヒール」において
今日、朝日放送「ビーバップ!ハイヒール」の
収録に立ち会ってきました。
http://www.asahi.co.jp/be-bop/

この番組の中には「知られざる なにわ偉人伝」
というコーナーがあるのですが、今回そこで
アメリカ村のママ・日限萬里子さんが紹介されます。
放送は、2/10(木)23:17〜24:17です。

アメリカ村が誕生するきっかけになったカフェ
「LOOP」を始めたこと、「VANヂァケット」の社員が
出入りし、おシャレなお店として人気を博したこと
そこで働いていた間寛平さんを吉本興業に紹介したこと、
また衰退していた堀江の街でカフェ「MUSE大阪」を
始めたことで、堀江が若者の街として活性化したこと
などが、6分程度の再現ドラマで紹介されています。

ハイヒールのお二人も、萬里子さんをよくご存知で、
「めっちゃ気さくやけど、めっちゃオーラ出てた」(モモコさん)と。


映画化に向けての、はじめの第一歩です。
ぜひご覧いただければ。


2011/01/24(月)
『世界史の構造』、売れ行き好調 !
柄谷行人さん『世界史の構造』売れ行き好調 http://mainichi.jp/enta/art/news/20110120ddm014070099000c.html

そして「『世界史の構造』を読む」は
明日夜7時半〜@common cafeです。
http://www.talkin-about.com/cafelog/?itemid=1195

レジュメはどうにか間に合いそうですが
これは入れないと、と思う部分を全部抜き出したら
A4で45ページに達してしまいました。

これをどう1時間半で読むのかを
今晩研究してみたいと思います。


ちなみに今日、僕は40歳になりました。


2011/01/20(木)
『山の声』演劇公演とラジオドラマ









あす21(金)-23(日)の3日間、日本橋の
インディペンデントシアター2ndにおいて
くじら企画による『山の声』公演が行われます。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~kujirak/k_index/k_tuikou3.html

故・大竹野正典さんの作・演出で
戎屋海老さんと、遊劇体の村尾オサムさんが演じる
オリジナルバージョンです。
お二人が加藤文太郎と吉田富久をどう演じるのか。
ぜひ多くの方々に、お楽しみいただければと思います。

写真は初回公演時の舞台写真です。


そしてまた、11月に朗読公演としてお届けした
日活JOEさん、山本忠さんによる『山の声』は
ラジオドラマとして放送されることが決定いたしました。

大阪ガスpresents
MBSラジオドラマ「イストワールhistoire」

第1回:大竹野正典『山の声』
 2011年3月19日(土) 19:30−21:00
 出演:日活JOE、山本忠  
 ナビゲーター:リピート山中


六甲山上まで行かないと聴けなかったドラマを
ご家庭でも、お楽しみいただけます。
お聴き逃しなきように。


2011/01/19(水)
サロン文化考
もう3年前のことになりますが、大阪商大で
「余暇文化社会学」という講義をしたことがあります。

余暇文化といいながら、実際はサロンについての講義にしました。

 18世紀イギリスのコーヒーハウス
 アンシャン・レジーム期のフランスのサロン文化
 19世紀・20世紀のフランスのカフェ文化
 室町・江戸期の日本のサロンとしての寄合・会所・連
 戦後の東京・新宿の風月堂・ゴールデン街文化
 そして現在につづくサードプレイスや
 ソーシャル・キャピタル、創造都市論

今レジュメを読み直してみて
よくこんな話をしたよなとびっくりしました。
そしてその総括を、全然していなかったなと。


先日、大阪市計画調整局の方から
御堂筋ODONA2Fにある「アイ・スポット」で
サロン的な企画をやってくださいという
依頼をいただいたので、この「サロン文化社会学」の
総括を兼ねて、サロンを開くことにしました。

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御堂筋Talkin’About 実験企画「サロン文化考」

2011年1月28日(金)7:00p.m.〜9:00p.m.
参加料:無料
ナビゲーター:山納 洋(SINGLES PROJECT)

会場:アイ・スポット Tel 06−4866−6803
   大阪市中央区今橋4−1−1 淀屋橋odona2階
   http://www.city.osaka.lg.jp/keikakuchosei/page/0000018184.html


あるテーマについて、参加者自身が語り合うトークサロン企画「扇町Talkin’About」。

2000年4月に扇町ミュージアムスクエア(OMS)の企画としてスタートし、扇町近隣のカフェ・バー・ギャラリーなど10ヵ所を巻き込んだ「界隈企画」として展開した企画です。2007年までに約700回を開催してきました。

同企画のテーマは演劇・映画・お笑い・文学・哲学・サブカルチャー・デザイン・まちづくりなど、さまざまな分野にわたっていました。ジャンルを越えての交流の橋渡しとなる「サロン」を媒介として、さまざまなジャンルに関心を持つ人、また関心はなくとも偶然に足を運んだ人が新しい刺激を受け、自らの視野を広げ、そこから新しいものを生み出していく、そんな仕組みを大阪・キタを中心に根付かせていきたいという思いが、そこにはありました。

 来る1月28日(金)に 、御堂筋odona2Fにある、まちづくりの情報発信施設「アイ・スポット」において、御堂筋Talkin’About実験企画『サロン文化考』 を開催いたします。「サロンは現代において、大阪において可能か?」という、扇町Talkin’About当初からのテーマに立ち戻り、当日会場にお越しいただいた方々と話し合いたいと考えています。

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急な告知ではありますが
興味とお時間がおありでしたら、お越しください。


2011/01/18(火)
雪だるまジャック









東北地方では、昨年のクリスマスは、
新聞一面が雪だるまにジャックされていた模様。

秋田から送っていただいた情報です。
これを見て東北に行ってみたくなりました。


2011/01/16(日)
柄谷行人トークイベント「世界史の構造」
1/18(火)に近畿大学で柄谷行人トークイベント「世界史の構造」がある。
進行は奥泉光・いとうせいこう。
忍び込みたい、が、どうやっても行けない時間帯なのである。
http://ameblo.jp/heavym/entry-10737671895.html


2011/01/16(日)
想像力養成講座
今朝の新聞に出ていた昨日のセンター試験を
解いてみたところ、日本史60点、世界史51点でした。
微妙...


実はこの4月から1年間、ある大学で
実験的に歴史の授業をします。
タイトルは「想像力養成講座」。

それは「享保の改革では何が行なわれたか」
みたいな暗記物ではなくて、歴史的や文化を
自分たちの今の生活と地続きのものとして
再発見するための“問い”を起動させる
というワークショップです。

たとえば、帯刀を許された武士=軍人が統治しつつも
260年間も戦争がなかった時代には
武士はアイデンティティをどこに置いていたのか
と考えてみる、といった作業をイメージしています。

自分がその場にいたら、どう感じるか、どう行動するか。
そういう観点から、歴史や文化を捉えなおしてみる。
いわば歴史を題材にした「気づきのデザイン」です。

このあたりに、ここ数年とても関心があって
ライフワークとして取り組んでいこうと考えています。


そんな話を、別の大学の歴史の先生にしてみたところ
「歴史好きの学生、多いですよ。だいたい萌え系です」と。

それもまた微妙...


2011/01/09(日)
厄年と私
今年は前厄だからと、お正月早々に
門戸厄神でお祓いを受けたのですが
厄年は旧暦でみるものだそうで
1月生まれの僕は今年が大厄だったと
今更ながらに知りました。

この数年、胃腸の調子が芳しくなく
お酒を飲むと5日はしんどいので控え気味でしたが
ストレッチで腰の周りをよく伸ばすと
具合が良くなるということに最近気づき
飲酒をぼちぼち再開しています。

ただしストレッチを始めたのと厄払いに行ったのとが
ほぼ同時で、どちらが効いているのかは、不明。

そして胃弱のために、1ヶ月ほど休んでいた
トレランを、年明けから再開しています。

昨日は芦屋川から打越山までの往復を
2時間近くで走りましたが、その時に
左足が肉離れを起こしてしまいました。

これもやはり大厄のせいなのか・・・


2011/01/04(火)
WHY HISTORY?









今年のお正月は、世界史の研究を。

25日の『世界史の構造』サロンに向けて
レジュメを作りつつ、3年前に一度通読した
世界史の参考書を読み直していましたが
今朝は届いたばかりの
NATIONAL GEOGRAPHIC VISUAL HISTORY OF THE WORLD
を読み耽っていました。

僕らが中学高校で習う世界史が
記憶物に偏りすぎているというのは
よくご存知のことと思いますが
では海外では一体どう学んでいるのか
と気になり注文してみました。

この本は百科事典ほど分厚く
ビジュアルがふんだんにあるので
とても見やすいです。ただし英語ですが。

で、日本の世界史の本とどこが違うのか?

うまく説明できませんが、民族の誇りというか
地続き感とでも言うべきものが、行間から漂ってきます。
私たちはここからやって来て今があるのだ
という感じでしょうか。

確かにそれ抜きで歴史を学んでも
空疎にしか思えないわなと。

こんな感じで寄り道が多いので
25日に間に合うかどうか...

写真は今朝の東おたふく山。
元旦の雪がまだ残っています。


2011/01/01(土)
謹賀新年







みなさま

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今朝はロックガーデンで初日の出を拝み
高座の滝に下りて焚火にあたり
六甲山カフェでコーヒーを飲んできました。
清々しい年明けです。

昼過ぎには宴会になるらしいので
もう一度登ってくる積りです。


2010/12/30(木)
7年目のゲシュタルト







すっかり年の瀬ですね...

今日お昼に、コモンカフェの大掃除をしました。
14名のスタッフに集まっていただいたので
2時間半で終わり、その後はミーティングを。


コモンカフェを始めたのは、2004年4月。
もう7年近くになります。

相変わらずお店には日々顔を出していますが
逆に最近は、ゲシュタルト崩壊気味です。
同じ文字を書き続けているうちに、
自分が何を書いているのか
分からなくなるというあれです。

日替わり店主というシステムのおかげで
僕は日々お店に張りつくことなく
会社生活とカフェを両立できているのですが
とはいえこの二重生活は楽なものではないので
あれ、何で自分はこんなことをしているんだっけと
折にふれて思ったりするわけです。

今日のミーティングは、実は、
コモンカフェの今後についての話し合いでした。

実際、どこかの時点でお店を閉めるとか
誰かに任せてしまうとかいう考えが
頭をよぎることもあるのですが
それは切実な経済問題や
仕事とのバランスというよりは
お店を近視眼的に見続けたために起こる
ゲシュタルト崩壊らしいということが
みんなと話し合っていてよく分かりました。

コモンカフェはすでに、関わってくれている
メンバーの共有財産になっています。

自分一人が頑張って心折れて、にならないよう
みんなで支えるシクミに移行していくべきだな
改めて、そう思いました。


2010/12/19(日)
co-design成果発表、終了。







昨日のお昼に中之島BANKSに行くと
前にラバーダックがいました。
グッズ売場に行列ができていました。

さて、その中之島BANKSでは
大阪デザインセンター主催のビジネスデザイン塾
co-design」の成果発表が、昨日行なわれました。

この塾については、日記に全く書いていませんでしたが
6月末に入塾式があり、デザイン有識者による講義、
塾ごとの円卓会議、そして成果発表に向けての
ワークショップと続いてきて、昨日がその集大成でした。

成果発表のテーマは「大阪のイメージアップ大作戦」。

僕が受け持ったプロデュース塾では
本業は企業のインハウスデザイナー、プランナー、
デザイン専門学校の職員という4名とともに
「淀川のイメージアップ」をテーマに
大阪市水道局が販売している高度浄水処理水「ほんまや」の
パッケージデザイン提案を行ないました。

具体的には「歴史」「環境」「治水」「観光」の
4つのテーマについて、それぞれビジュアルデザインと
300字のコピーにして、協賛企業のメッセージとともに
「ほんまや」のパッケージに掲載する、というものです。

プロデュース塾の場合、単にデザインしました
提案としてまとめました、で終わっては、
プロデュースを教えたことにはならないので、
今後実際に大阪市水道局に提案し、協賛企業を募り、
限定版「ほんまや」を世に出すところまで
取り組んでみようかと思っています。

今お見せできないのが残念ですが
世に出た暁には、ああ、このことを言っていたのかと
思い出していただければ。

今回のプロデュース塾では、僕が経験上知っている
プロジェクトを具現化するための方法論を伝え
それを実際に使ってみる、という形を取りました。
多くのデザイナーは「提案」の段階で終わるので
この方法論はわりと大事らしい、ということに
改めて気づきました。

この塾は、あと4年続くそうです。
せっかくの機会なので、いろいろ試してみようかと。


2010/12/13(月)
出かけるのを、やめなさい
もう十数年も前。
博多に出張する機会があったので、
その二日前に家を出て、対馬に渡ったことがある。

50キロ先は朝鮮半島という島の北端の地に
宿を取り、夕食の後に市街地へ。
市街地といっても、店は数軒しかない場末。
「入船」という名のスナックに足を踏み入れ
カウンター席に座った。

若い一見客は、物珍しかったのだろう。
ママは一見客である僕に、親しげに話しかけてくる。
「この間まで、福岡の巡査さんが来ていたの。
 話が上手で、器用な人だったわ。
 こんな折り紙なんかを作ってくれて。」
還暦に近い歳のママは、微妙な秋波を送ってくる。

店には他に、中年のカップルが一組。
その女性が声をかけてくる。
この街にいるのは、一体どんな人たちなんだろう。
好奇心から、僕はテーブル席に移って色々話をした。
が、男の機嫌が次第に悪くなり、無理やり女性を連れて
帰っていった。

「嫉妬してんのよ、若い子に。」
そう言って、ママはビールを注いだ。
「あの二人、不倫なのよ。」

それから程なく、女性だけが戻ってきた。
「まったくもう、あの男、しつこいんだから。」

男は島の出身で、若い時分には島を離れ、また戻ってきた。
ろくに仕事もせず、チンピラのように過ごしている。
女性には旦那がいるが、この男との関係が続いている。
「こんな狭い島で不倫なんてできるんですか」
あけすけに聞いてみると、
「島には、昼過ぎに、誰の目もなくなる時間があるの」と。
そんな話に打ち興じていると、男から電話。

「あいつ、店に戻っとるやろ」
ママは「いませんよ」と、相手にせず電話を切った。
僕らはまた話を続けたが、しばらくして、店の扉が開いた。
「なんや、やっぱりおるやないか!」

電話で「いない」と言ったのに本人がいる以上
これは全員グルと思われても仕方のない状況だ。
猛然と向かってくる男に対して、僕は反射的に、
目の前にあったビール瓶を片手に
半身に構えて向かい合い、睨み合った。

かなり酒が進んでいたので、その後のことは
手品でも見ていたかのようにしか覚えていない。
ママが二人を手際よく店の外に追い出し
僕一人だけが店に残っていた。
少しだけお店でママと飲み直した。
秋波は、さすがにもう消えていた。
「そろそろ大丈夫。あんたも気をつけて帰りなさい。」


そこに行けば、何か起こるかもしれない
面白い出会いが待っているかもしれないと思うと
心がジリジリとしてきて、一人で場末に繰り出してしまう。

このジリジリ感に従うこと自体は、悪いことじゃない。
ただ、その対価が高くつきすぎることがある。

「出かけるのを、やめなさい。」
海老蔵のコメントを聞いて、そんなことを思ったのでした。


2010/12/12(日)
『世界史の構造』を読む









さて、その後告知が遅くなりましたが
次回の社会学サロンです。

「柄谷行人著『世界史の構造』を読む」
 2011年1月25日(火)19:30〜 @common cafe 
 ナビゲーター:山納洋 

詳細はこちらを。
http://www.talkin-about.com/cafelog/?itemid=1195


2010/12/11(土)
百手詰めの第一手
実はOMS戯曲賞は第15回をもって終わる予定だった
という話を、書いたことがありましたっけ。

そういう方針が決まり、時の担当者は
選考委員の方々に挨拶に回りました。

が、大阪ガスの常務会で報告した時に
「やめるばかりが能じゃない」との
鶴の一声が下り、終了が中止となりました。
そして逆に、この賞をより意義あるものとして
継続するためのリニューアル案を検討せよ
との指令が下りてきました。
このあたり、味な会社だなと思います。

その検討には僕も加わり、結果として
再演支援金の支給と、最終選考作のネット公開を
行なうことになりました。

前者については、賞を取った作品を多くの人が
舞台で観る機会を作ること、後者については
より多くの人が選考のプロセスを共有できることと
才能発掘の機会を増やす、ということを意識しています。


ところでこのリニューアル案には、
もう一つ大事な企画がありました。
それは「ラジオドラマのプロデュース」です。

これは、最終選考に残った作家の中から、
ラジオドラマを書き下ろしてもらう作家を選び、
製作した作品を在阪ラジオ局の協力を得て放送する
というものです。

この企画で意識しているのは
自分が書きたい作品を書くだけでなく
クライアントのある仕事を受けることにより
作家自身の作品世界を広げる機会をつくる
ということです。

そしてもう一つには、この企画を
ゆくゆくテレビドラマや映画に発展できる
シナリオ開発のための実験場にする、ということです。

物語コンテンツの開発、という視点に立ってみると
映画では数億円、テレビドラマでは数千万円という
大きな投資が必要となりますが、これに比べると
演劇公演(数百万円)、ラジオドラマ(数十万円)、
朗読公演(十数万円)などは、投資額が桁違いに
少なくて済みます。

つまり、作家の成長支援と物語コンテンツの開発を
具現化しようというのが、第三のリニューアル案としての
ラジオドラマ企画だったのです。

実は今年度、この企画にも予算がつきました。
そしてある在阪ラジオ局との提携が決まりました。
で、具体的にはこんな感じでいこうかと。


「イストワール histoite」

 一般的に、歴史は事実に則したもの、物語は架空のものと
 分けて考えられていますが、「事実か嘘か」ではなく、
 その時代を生きた人物にとっての「真実」を描き出すところに
 ドラマの妙味を見出していきたい。

 この番組では、関西に実在した人物、関西で実際に
 起こった事件などに取材したドラマを紹介していきます。
 ここから後世に語り継がれる力のある作品を
 生み出していきたい、そう考えています。


今年度の第1回目は、この企画にそのまま当てはまる
大竹野正典さんの『山の声』を、この間の朗読公演の
バージョンでお届けいたします。

そして来年度の第2回目には、日限萬里子さんの物語を
ご紹介できればと考えています。


詳細については、また追って。


2010/12/10(金)
日限萬里子さんの映画の話
『アメリカ村のママ・日限萬里子』の
映画化の話に関わっていると、この日記に
何度か書いたことがありますが
この話が現在、暗礁に乗り上げています。

ある在阪のテレビ局に話を持っていった時に
「これは面白い。在阪4局の会議にかけてみます。」
という話になり、期待は大いに膨らんでいたのですが
これが実らず、その局との交渉が終わってしまいました。
で、今日、原作者、製作会社、広告代理店が集まり
いったんプロジェクトを解散することを確認しました。

*ちなみにこの、在阪の準キー局が局の垣根を超えて
 製作委員会を作り、映画製作を行うというパターンは、
 今秋の「さらば愛しの大統領」(在阪5局)や
 来夏の「阪急電車」(関テレ・読売)など
 いくつか形になってきています。

 東京のキー局が決めた企画に出資するだけではなく
 大阪でも映画製作を独自に進めていきたいという
 現場の思いと、広告料収入が落ち込み
 新たなコンテンツ開発に取り組まないといけない
 という局の事情が、こうした流れを生んでいます。


しかし関わってみて、映画は難しいと実感しました。
製作と宣伝に数億円がかかるため、テレビ局を軸に
製作委員会を立ち上げないと、お金も集まらず
また配給会社もついてくれません。
そして今のテレビ局には余裕がないので
勝算の高い企画でないと乗ってくれません。

今のままの材料で、このハードルを超えることは
できなかった、というのが実際です。


ということでチームはいったん解散したのですが
百手詰めの遠大なプランが、僕の手元にあります。

街外れにできた一軒のカフェ。
お店の中心にいたのは、今は亡き日限萬里子さん。
儲かるからではなく、面白いからお店を始め
その感性と情熱が多くの若者を巻き込み
多くの人たちが、そこでお店を始めた。
やがてそこはアメリカ村と呼ばれるようになった。
大阪が今よりもずっと元気だった時代の話。

このイストワールを、一足飛びにではなく
一歩一歩階段を登るように、立ち上げていくという方法。
これを探っていこうかと。


2010/12/08(水)
第17回OMS戯曲賞の結果
昨日(12/7)に行われました第17回OMS戯曲賞の結果は、

大賞:はしぐちしん(コンブリ団)「ムイカ」
佳作:山崎彬(悪い芝居)「嘘ツキ、号泣」

となりました。

受賞作は来年3月に出版される予定です。
こちらでもしばらくの間は読めます。
http://www.ogbc.co.jp/oms.htm


2010/12/04(土)
アメリカ村は新しい文化を発信できるか?
放送作家の寺崎要さんに依頼を受け
6(月)に心斎橋スタンダードブックストアでの
トークイベントに出ることになりました。
http://www.standardbookstore.com/archives/65932480.html

お題は「アメリカ村は新しい文化を発信できるか?」
今見ると、一般論的な問いの立て方ですね...

なので、日限萬里子さんの個別解について
お話しして来ようと思っています。


以下以前に書いた日記より。
............................................................................................................

“アメリカ村のママ”故・日限萬里子(ひぎり・まりこ)さん。

彼女は69年6月、大阪市中央区炭屋町に
「ループ」という一軒のカフェをオープンしています。
(今で言うとアメ村三角公園のすぐ近く)

「夜遅くにおいしく熱いコーヒーが飲めるところが欲しかったんや。
 見つからへんので自分でつくることにした。」

このお店ができたのは、周囲には倉庫のほかには
デザイン事務所や印刷屋ぐらいしかなく、夕方を過ぎると
客足が潮の引くように閑散としてくる場所でした。

オープン当初は夜になると客足が途絶えていましたが、
9月になると夜な夜な学生が訪れるようになり、
やがて口コミで多くのお客さんが訪れるようになりました。

そしてしばらくすると、「ループ」の前にウエスタンの店が
でき、アメリカ製のTシャツや中古のジーンズ・レコードを
売る店が集まってきました。

そしてこの街にはファッションや音楽で尖った感性を持った
若者たちが集まり、「アメリカ村」と呼ばれる
情報の発信地となっていきました。

<参考文献:日限満彦著「アメリカ村のママ 日限萬里子」>


実際に70年頃にアメリカ村でお店を始めた
オーナーの方々を中心にお話を聞いてみると
これがだいぶ面白い。

 当時そもそもTシャツというものがなかった。
 あったのは、グンゼや福助の肌着。
 ヘインズの3枚入りぐらいはあったが
 下着に文字や絵をプリントしてそれだけで着る
 ということ自体が新鮮だった。

 ループの近くにはすでに「VANヂャケット」があった。
 そして60年代にはアイビー・ブームが起こっていた。
 ダンガリーシャツ・ヘインズTにコットンパンツ。
 でもそれは、アメリカでいえば40〜50年代のファッションだった。

 アメリカに憧れて、1ドル360円の時代に西海岸に行った。
 当時のアメリカはヒッピー・サイケデリックの時代。
 ウッドストックの風景がそのままそこにあった。
 そんなアメリカを、そのまま大阪に持ち込もうとした。
 アメリカと日本のファッションが、この時初めて同軌した。

 70年代初頭にアメリカ村にあったお店は7〜8軒。
 それがNHKに取り上げられ、アンアン・ノンノ・JJに
 取り上げられ、お店の数が50軒、100軒と増えていった。

 当時有名だったのは、アウアハウス・マイウェイ・ラハイナ。
 アウアハウスはアメ村をリードするファッション性で
 マイウェイは大掛かりな商売で、ラハイナは
 くじらのマークのオリジナルトレーナー・Tシャツで
 有名になったが、いずれもその後長続きしていない。

 若いオーナーたちはお金が儲かると使ってしまい
 その後お店が増え、商品が売れなくなった時に
 どうしようもなくなった。
 マリファナで店員全員が捕まったお店もあった。
 みんな結局、商売人ではなかった。
 
 メディアに取り上げられて注目されてから
 多くのお店が倒産するまでが2〜3年。

 東京ではビームスやシップスのように
 海外からの並行輸入から製造小売に移行して
 成功したところがあったが、メディアが弱い大阪では
 その道で生き残ったところはなかった。

今でもアメリカ村は、健在です。
しかしこうした逸話は語り継がれないまま
当時のオーナーは60代、70代を迎えています。

............................................................................................................

アメリカ村は、そろそろ生誕40年。
こんな伝説を語り継ぎつつ、一人一人が
新たな挑戦を繰り返していくこと。

それが上の問いに対する答なのではと。


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