過去の日記 5

2003/10/24(金)
だんだんと変わっていくということ
火曜日からMebic扇町に
デザイン専門学校の学生さんが
インターンシップで来ています。

この土曜日の「Ogimachi Collection」
日曜日の「グッドデザイン博覧会」までを
お手伝いいただきますが
むりやりいろんな会議や打ち合わせに
同席してもらい、そこで何を感じ取っているのかを
見ています。
いろんな面で参考になります。


夕方に南船場の「ビスポークテイラーDMG」へ。
社長の小西正仁さんとお会いしました。

過去にはピチカートファイブの衣装を手掛けていたり
今は生地から作り、パターンを起こし、
縫製して仕上げる、という
究極のオーダーメイドスーツを作ったりしておられます。
(それは100万円ほどするそうです)

最初から百点のものを作る、ではなく
何年もかけて、センスを磨いていって
だんだんいいものが作れるようになる。
1回きりのコラボレーションではなく
何年も一緒にやっていく中でお互いを知り
そこで熟成されていくものづくり、という視点を
大事にしておられる方でした。


2003/10/23(木)
編集という作業は本や雑誌にとどまりません
Mebic扇町での講座企画
「扇町クリエイティブカレッジ(OCC!)」。

昨日はぴあ関西版編集長の
安藤義隆さんにお越しいただきました。
タイトルは「雑誌編集の醍醐味」。 
OMS時代と合わせると既に3度目で
とても安定したいい講座でした。
安藤さんにMebic扇町の空間を
とても気に入っていただきました。

今日は関西シー・エスの
高木伸浩さんにお越しいただきました。
タイトルは「本1冊“まるごと”企画編集術」
実体験から編み出した独自の企画・編集のノウハウを
独特のすばらしい語りで伝えていただきました。
講座が終わってから1時間も
高木さんと受講者の方々はロビーで喋っていました。

扇町のこの場所から徐々に何かが立ち上がっていくのを
見ていきたいと思っています。


2003/10/21(火)
なぜ同じ日に、と
今朝の新聞で
遠藤寿美子さんが亡くなったことを知りました。
京都で活躍しておられた演劇プロデューサーです。

強烈なバイタリティをもって
多くの人材を育ててきた方です。
私財を投げ打ってまで
小劇場の公演をプロデュースしていたことが
あまり知られていないのは残念です。

夜にはHEP HALLの福田昌治さんの
勇退を記念するパーティが行われました。
オレンジルーム時代から
関西小劇場を支えてきた方です。

一つの時代の終わりを感じさせる一日となりました。


2003/10/21(火)
本と出版を学んだ日
昨日は昼に北堀江のシャムアを覗いたところ
詩のワークショップで来られていた
永井宏さんにお会いしました。

小説家であり写真家、画家であり詩人、そして編集者
多才な方です。
新たに出版を始められたとのことで
いろいろお話を伺いました。

その後エルおおさかにて
出版ネッツ関西主催のシンポジウムに出席。

「関西出版界再生のために
 〜いま、そしてこれからを探る〜」

関西における出版の状況が
大変よく理解できました。

その後南船場のセレクト古書店「Berlin Books」へ。
シングルズのお客さんだった松下さんと八木さんが
はじめたお店です。
5坪ほどの、こじんまりとして落ち着いた
いいお店でした。

その後南船場の「タピエスタイル」へ。
シングルズマスターの川上さん、山根さんがはじめた
「Jumelle」というブランドがグループ展に参加。
オープニングパーティにお邪魔してきました。


2003/10/18(土)
日本人の「暮らし」を見直す
昨日はプロダクトデザイナーとして
世界的に活躍されている喜多俊之さんと
立命館大学でデザインマネジメントを教えられている
佐藤典司さんにお会いいたしました。

主には喜多さんのお考えと
現在されている活動について伺いました。
いろいろ面白い話を拝聴することができました。


戦後の復興にあたって産業を最優先し
暮らしや文化を置き去りにしてしまった日本。

夜の街とゴルフ場しかなかった戦後の経営者文化。
バブル以降は百円ショップ・ラーメン。
生産の拠点が中国に移転し
付加価値のあるものづくりをしていかないと
生き残っていけない現在のシビアな状況においても
デザインの重要性が理解できない経営者たち。

こなごなになってしまった
暮らしや文化を何とかすること。
お金で交換できるもの=経済に向きすぎた価値観を
見直していくこと。
それなくしては日本の未来はない。

一人でも多くの人に
聞いていただきたいお話でした。


2003/10/18(土)
ネットワーカーの真髄
新今宮のあいりん労働センターの1Fに
朝5時頃に行くと
仕事を求めて多くの人が集まってきています。

仕事がなくても
そこで多くの人たちが喋っています。
人恋しさも多分にあるのでしょうが
そこでいろんな情報を集めておかないと
生きていけないからこそ
いろんな人と喋るのでしょう。

富山の薬売りは、全国各地に
薬を売り歩きつつ、コミュニティから情報を集め
それを編集し、他に伝えていたそうです。
そうして伝わった情報から
新たな経済や文化が生まれていったそうです。

いろんなカフェや雑貨店に行くのを
趣味にしていますが
お店の人によく聞くのが
自分はお店から離れられないので
お客さんから情報をもらうことが多い、という話。

雑貨が好きでお店を始めて
雑貨を売るからには情報が必要なのに
他の雑貨店に行けないという人にとって
お店にやってくるお客さんは
情報提供者でもあるわけです。

情報を必要として入手できない状況にある人や
閉じたコミュニティの中にいる人に
外からの情報を伝えるネットワーカーが
重要な役割を果たす時代です。
もしかしたらこのあたりに
現在の大阪の閉塞状況に風穴をあける
ヒントがあるのではないか、という気がしています。

そうして情報を集めておかないといけない程
僕らは危機的な状況に置かれている
という認識がまず必要なのかもしれませんが。
(そのことに気付いていない人が多すぎます・・・)


2003/10/16(木)
役者は揃ったようです
今日は19:30からMebicロビーでTalkin'About。
「大阪発CMを考える」と題して
大手広告代理店頼みでない
また素人系・お笑い系・社長出演系・紙芝居系でない
新たなCMの可能性について話し合いました。
参加者は4名でしたが、とても充実した内容となりました。
詳しくはまたどこかで。


そして21:00からは、同じくMebicロビーで
中崎町物件での「Common Cafe SINGLES」の可能性について
話し合いました。

今回お集まりいただいたのは
ライブハウスのブッキングを
長らく務めてきた岸田コーイチさんと中沢聡さん
演劇ライターの吉永美和子さんと
そのお兄さんで一級建築士の吉永健一さん
大工の下野さん
シングルズマスターの小夜子さん、
今井ケンさん、岡さん、八幡さんと僕の10名。

今回吉永さんに設計を、下野さんに施工を
それぞれお願いすることができ
岸田さんにはスケジュールブッキングをお任せする
という形がみえてきたことで
あとはほぼ純粋に資金調達の問題となりました。

ここで「20坪の劇場」に1万円出資いただける方が
500人いれば、問題は解決なのですか
さて、どうなるでしょう。

乞うご期待。


2003/10/13(月)
どうせならラウド・マイノリティ
夕方に神戸・栄町に行き
いくつかの雑貨店とカフェをまわりました。
内装と雰囲気をみるために。

フレンチなお店は
フレンチ好き以外は入りにくい様子。
内装をきれいにしすぎてスキがなく
いま一歩好感の持てないところも。
輸入雑貨のセレクトが面白かった雑貨店で
洋服の比率が上がっているのは
雑貨では客単価が取れないからでしょう。

そんな中で一番しっくりきたのは
「ハオスダイニングルーム」。
http://www.equiv.net/shop/data/sk014/

空気感、というあいまいにしか表現できないものが
どんなしつらえや工夫から生まれているのだろうかと
いろいろ観察していました。


その後で中華街と大丸の近くを通りましたが
通っている人の数のケタが違いました。

カフェや雑貨店が好きで
栄町や堀江や中崎町をめぐる人も
しょせんはマイノリティなのでしょうかねえ。


2003/10/12(日)
パラナウェ パラナウェ 
5歳になった息子を連れて
昼3時頃に住吉大社へ。
カポエイラの昇段式を見に行きました。

カポエイラとは、16世紀以来
アフリカからブラジルへ奴隷として連れてこられた
黒人たちが、農園主の虐待から身を護るために
あるいは休み時間に仲間とふざけ会うために
編み出した護身術/遊びです。
そのアクロバティックな動きは
最近のブレイクダンスにもかなり取り入れられています。

2人が並んで側転するところから始まり
回し蹴りの応酬になったり
逆立ちをいろいろ変形させた動きになったり
アクロバティックな空中技を繰り出したりしますが
技を相手に当てることはないので
偶然に当たってしまわない限りは安全な格闘技です。

が、今日はちょっとびっくり。

住吉大社の中の、池の上に架けられた
橋の上に設けられた石舞台が会場だったのですが
武道家の一人がバク宙して着地した途端に
床にめりこんでしまいました。
150人ほどいた人は、一瞬何が起こったかわからず
呆然としていましたが、その後すぐに
「これはヤバイ」とめりこんだ穴を覗き込みました。
しばらくしてから、その穴に落ちた武道家が
泥水に濡れつつも無傷で這い上がって来たときには
拍手喝采が沸き起こりました。

つまりは石舞台を組んでいた御影石の石材の一つが
着地の衝撃で抜けてしまい、武道家はその穴から
池に落ちた、ということでした。
昇段式はすぐに会場を講堂に替えて行われましたが
その場にいた人たちのほとんどが
そこで起こったことを十分咀嚼するようでもなく
当然のように次の行動に移せることが不思議でした。

みんなが移動してからも
しばらく石舞台の様子を見ていると
事故の瞬間をみた人、ということで
新聞記者にインタビューを受けてしまいました。
恰好悪いので名前は出さないようお願いしました。

講堂でのカポエイラをしばらく観て
家に帰ってから近くの公園に行き
息子と2人でカポエイラの真似をして遊んでました。


2003/10/11(土)
何かしらを見てしまう
午後2時に神戸アートビレッジセンターに行き
レ・アポストロフィというヌーボーシルクの公演を観劇。
京都のアートコンプレックス1928の小原さんが
招聘されたカンパニーです。

フランスから招聘された
音楽演奏とジャグリングの
2人のパフォーマーのセッション。
とても素晴らしい作品でした。
お客さんも一杯でしたが
予算的には大丈夫だったのだろうかと
いらん心配をしてしまいます。

小一時間ほど神戸のカフェで原稿を書き
それから京都芸術センターへ。
京都ビエンナーレ2003演劇公演
「宇宙の旅、セミが鳴いて」を観ました。

宇宙船での業務を終えて
地球に帰る途中に伝えられるクーデター
トラブルにより地球に帰れなくなる宇宙船
そして最期の時間。
現実世界と重ね合わせて見ていたのは
僕だけではないと思います。
なじみの深い役者さん達が
舞台に立っているのを見て懐かしく感じました。

帰りの電車の中で
金融関係の本を読んでいました。
金融畑の人たちって、これまでの金融政策の失敗や
不良債権処理の方法論
金利政策やインフレの話について饒舌ですが
これからのリーディング産業は何か
付加価値を生み出す企業が今後どれほどあるのか
といったことについてはほとんど語らないんですね。
それがとても不思議です。


2003/10/11(土)
みんなで維持する劇場
昼休みに岸田コーイチさんと
中崎町の不動産物件を見に行きました。

都島通り沿い、交通至便
もともとは喫茶店で最近までギャラリーだった
20坪の物件です。

ここをどうにかシングルズで活用できないか
そんなお話をいただいております。


保証金や改装費など
何百万かかかるであろう初期費用を
どうやって捻出するのか
家賃・水光熱費を払って黒字で回せるのか
いろいろ難しい点はあります。

が、ライブイベントができる空間を
日替わりマスターのシクミを応用して
運営していくことができないだろうか?
(OMSの閉館が決まった時にそんなことを考えました)

大家さんとの交渉期間は1〜2週間。
(他にもずいぶん引き合いのある物件のようで)
今回実る話になるかどうかは不明ですが
頭の体操のような気楽な感じで
SINGLES PROJECTメンバーと話し合ってみようかと。


2003/10/10(金)
ABOUT SINGLES PROJECT
今日は夜から
SINGLES PROJECTのミーティングを行いました。

基本的にはWEBリニューアルの打ち合わせでしたが
Common Bar、Talkin'About、Common cafe、
プチ貿易、グッドデザイン、ドミトリー計画、
コラムページといった、それぞれのコンテンツについて
現状の問題点と今後の方向性について話し合い
WEBリニューアルの方向性を固めていきました。

参加者はWEBマスターの西原隆さん、
WEBチームのマツオさん、桐谷美紀さん、
シングルズマスターの宮地泰史さん、梅田メメ子さん、
実験哲学カフェの中田敬史さん、
街並フェティッシュの吉岡史樹さん
そしてシングルズのお客さんの中井さん
そして僕の9名。

いろいろと行き詰っていた部分が
みんなと話し合うことで整理されてきて
とてもありがたいミーティングになりました。


このあと楽園食堂で岸田コーイチさんと会いました。
ここでの話は、もしかしたら
今後のプロジェクトに大いに影響のある話に
なるかも知れません。
まだ分かりませんが。


2003/10/09(木)
理想・ミッション・自己実現
今日は北区・菅原町の「雲州堂」にて
実験哲学カフェ。
大阪市大大学院・創造都市研究科の
塩沢由典教授が企画・進行をつとめて下さいました。
参加者は15名。
詳しくはこちらを。
http://www.talkin-about.com/xoops/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=162&forum=15

僕は1時間50分も遅れて参加したので
話を振られたときにちゃんと話せなかったのですが
その後考えたことです。


「理想」という言葉には
社会を変革する、といった
大きなイメージが含まれています。
この言葉ではしっくりいかないのですが
僕自身は「ミッション(社会的使命)」のようなものを
ずいぶん意識しています。
こんなものが世の中にあればいいよね
というレベルのものですが。

とはいえ、いくら社会的に必要だからといって
自分が楽しくなければ動けない性質なので
「自己実現」の欲求と「ミッション」を
どこかで摺り合わせています。

しかしながら、世の中には
「理想」も「ミッション」もなく
「自己実現」でしかないのに
「理想」や「ミッション」の皮をかぶったものが
いっぱいあります。

個人的にはこのあたりに違和感を感じています。
(抽象的すぎて分かりにくい書き方ですが)

サロンが終了したらまたすぐ仕事に。
忙しい一日でした。


2003/10/08(水)
周辺とは中央を相対化する視点を持ち得る場所
今日は扇町Talkin'Aboutで
「ユースホステル計画」というサロンを
南森町のグリニッジというカフェで開きました。
参加者は8名。

八幡さんの沖縄ドミトリー報告
桐谷さんのイタリアドミトリー報告
今城さんの沖縄&海外事情などを聞き
僕の方から日本のユースホステルの現状と
大阪の安宿事情などを紹介し
みんなで大阪の安宿はいかにあるべきか
大阪以外から来た人といかに交わるか
みたいなことを話し合いました。

安宿を実際に運営したい人
ルームシェアを始めたい人
すでにある安宿を応援したい人
大阪に来た人をもてなし、大阪の良さを伝えたい人
など、みんなのモチベーションが
一つではないことが分かったのがいちばんの収穫です。

とりあえず次の展開を考えるためにも
中津の「SUMO BACKPACKERS」を応援しましょう
というところに今日の結論をみました。

このサロンは、今後2ヶ月に1回程度
「SUMO BACKPACKERS」のリビングで行おうかと思います。
http://www.sumobackpackers.com/jap.html


その後シングルマンという
シングルズの初代マスターと
かっつんという、初期シングルズからの常連さんと
3人で飲んでました。

扇町という場所から
または中津・中崎町・扇町・南森町まで含めた
「はぐれ梅田」から強烈な文化発信をしたいなと。
今自分たちがかかわっている場所を
まず何とかすること
そこしかないと考えることが
大事なんじゃないかと。

そんなことを話してました。


2003/10/07(火)
ピンチマスターというシクミ
夕方6時に、今日のシングルズマスターの
古賀真紀さんより電話が入り
高熱のためお店を休ませてほしい、と。

その場はそれで終わったのですが
シングルズには平日8000円、週末1万円のノルマがあり
お店を休むと当日のマスターがその金額を
支払わなければならなくなるため
6時半にマスターのメーリングリストに
「今からお店に入れる人」ということで
急遽ヘルプをお願いしました。

その結果、何名かの方に手を挙げていただき
7時半から小夜子さんと川上さん
9時前からイマイケンさんに入っていただき
10時半から僕が替わり
11時50分に後片付けをミゾさん&ケンさん&五条さんの
3人にお願いしました。

こんな感じでどうにか1日回りました。
売上もノルマにほぼ近い額がありました。

こういう互助システムが働くのが
シングルズのありがたいところです。

古賀さんのお客さんも何人か来られ
心地よく過ごしていただきました。


2003/10/05(日)
アンプラグド
今日は須磨の海釣り公園へ。
サビキ釣りでアジを釣っていました。
群れがちょうど回遊してきたらしく
隣の親子連れはソウダガツオを何本もあげていましたが
うちはアジばかり。
同じサビキなのに何が違うのだろう。

結局20匹ほどのアジを釣り
家に帰って塩焼きにして食べました。


2003/10/05(日)
大阪市を24の都市と考えてみる
芸術・文化がもつ創造性を
まちづくりに活かしていくことが
都市に活気を与え、また住民の活力を生み出す
源泉となっていく・・・

都市から創造性を引き出す
「クリエイティブ・シティ(=創造都市)」
という概念は、世界から注目を浴び
現在世界の多くの都市で、都市政策や文化政策に
取り入れられるようになっています。

「創造都市」についてはまた改めて書こうかと
思っていますが、今日は「創造都市」の規模の話を。

「創造都市」としてイメージされているのは
人口が10万人程度の中規模の都市だそうです。
人の顔がある程度見える規模、ということでしょうか。

大阪市の人口は262万人。
普通はこれを東京・横浜よりも少ないと見るのでしょうが
そこに暮らす人たち全体を見渡せない都市
まちの持続的発展にむけての求心力が生まれにくい都市
とも見れるのではないかと。

新しいお店や娯楽施設ができるたびに
マスコミや消費者が殺到し
それが流行軸として消費され
しばらくしたら見向きもされなくなる、というまちは
適正規模を超えている、ということなのではないか
限られた資源しなかい地方都市が
その資源をどれだけ大事にしているかをみると
そんなことを考えます。

大阪市の各区の人口は10万人前後。
もしかしたら、ひとつひとつの区を「創造都市」と考えて
それぞれの区レベルでそこにある文化的資源を大事にし
有効に活用して持続的発展をはかっていく。
そう考えた方がいいのではないかな、と。


今日は昼過ぎに船場丼池での「せんばまつり」
シングルズマスターの小夜子さんに誘われて
大槻能楽堂での能楽会
そのまま小夜子さん達と大阪城の豊國神社での重陽の節句
夕方に大阪市大大学院の研究会
夜に「SUMO BACKPACKERS」の取材(ミーツ)立会い
そして松本秀浩さんのシングルズと
フル稼働な休日でした。


2003/10/03(金)
具現化する才能を応援する、というプロジェクト
こんなものがあればいい、とか
こんなものが必要だ、と思うことを
形にすることができないもどかしさを
ひしひしと感じる今日この頃。

Talkin'Aboutとシングルズまではできたのですが
仕事をしながら形にして
回すことには限度があります。
また企画を実現するためにリスクを負うことも
これ以上となると大変です。

プチ貿易プロジェクトのために雑貨店をつくること
Common Cafeプロジェクトとして
日替わりカフェをつくること
そして扇町・中崎町界隈にドミトリーをつくること
これは現時点では無理かな、と。

そうしたことをひしひしと感じながら
こんなことを考えます。

ぼくらが考えているようなことを
実際に形にしている人
または形にするであろう人がいるなら
その人、そのお店を応援する、ということを
プロジェクトにできないだろうか、と。

すでに中津のドミトリー「SUMO BACKPACKERS」を
ほぼ勝手に応援しはじめていますが
もし個人輸入を支援する雑貨店や
日替わりカフェを形にする人がいたら
そんなバックアップができれば、と。


2003/10/02(木)
ルサンチマンの昇華なのか
今日のシングルズは「説教バー」でしたが
実習を受ける方はおらず
8時過ぎになっても
誰もお客さんが来なかったので
RINO'S POINT時代からの先輩の
タロウさんに電話して寄っていただきました。

来ていただいた頃から
お客さんも何人かお越しいただき
賑わってきましたが
年配のお客さんにも
地唄舞や料理の話で話題を合わせることができる
すごい人だと再認識。

タロウさんから
そういえば、小説は書いているか、と。
何年か前に、飲みながら小説を書きたい、という
話をしていたのですが
その言葉を頂いて
今自分の中にそのモチベーションがないということ
そして何年か前には、小説を書こうと思わなければ
自分の中の安定が得られなかったことに
改めてびっくりしました。

物語よりも奇なる現実に翻弄されて
現実を何とかすることばかり考えて
この2〜3年過ごしてきましたが
もしかしてそれは
答えがきちんと割り切れる世界を作って
ラクして生きていた時間だったのではと
思い返しているところです。


説教バーには約10名の方にお越しいただき
とても充実したサロンとなりました。


2003/09/30(火)
無名性と有名性
10/25(土)にMebic扇町で
扇町ショウケースVol.1「Ogimachi Collection」
というイベントを行います。

これは「ファブリック(=布)」にかかわりのある
ものづくりをしている方々にご登場いただき
作品や商品を展示・紹介していただき
また特に繊維の産地とデザイナーが
一緒にものづくりをした事例について
トークセッションでお話しいただくというものです。

今回ご登場いただくのは
grafの増地孝泰さん(インテリア)
Louleの甲斐みのりさん・山本祐布子さん
(イラスト・デザイン)
BookLuckの山村光春さん(ファッション)
チェルシーガーブの小松昇平さん(ファッション)
そして紀州高野口の繊維産地の方々です。

これらの方々のほか
雑貨店のカナリヤさん、AD-EYESさんにも
作品を出展いただきます。
そして当日ロビーは、オーガニックフードを出す
カフェになる予定です。

※こちらも近日中にサイトアップいたしますので
 ご期待ください。
 http://www.mebic.com/event/index.html


すでにお気付きの方もおられるかも知れませんが
この企画は「グッドデザイン博覧会」を
ベースにしています。

優れたものづくりをしている方の作品展示と紹介を
ファブリックという限定されたテーマで行うこの企画。
これは過去8回行ってきた「グッドデザイン博覧会」での
イメージと運営の訓練の集大成です。

この関係は「扇町クリエイティブカレッジ!」と
「扇町Talkin'About」の関係に似ています。

無名性と有名性、という大きな違いが両者にはあります。
その両者が車の両輪のように存在して影響し合うことが
大事なことのように思います。
ほぼ直感的にですが。


2003/09/30(火)
コンセプトは「もはやビッグヒットに頼る時代ではない」
今日はcolla discのひらはらこまきさんと一緒に
昼に南森町のグリニッジで
FM802DJの土井コマキさんと打ち合わせ。
夕方には編々草のデザイナー
三澤敏博さんと打ち合わせ。
夜はdigmeout cafeに行き
イベントをやっていたSYFT RECORDS店長の
藤井智浩さんにご挨拶。
colla discのフカミマドカさんにも会いました。

これらはすべて11/9にMebic扇町で行う
「音楽生活最前線!」というイベントに関連した動きです。
近日中に情報をサイトにアップいたしますので
ご期待くださいまし。
http://www.mebic.com/event/index.html


今日のシングルズは川上明子さん。
彼女も今日「SUMO BACKPACKERS」に泊まるそうです。
なんか流行ってきましたね。


2003/09/29(月)
この週末はこんな感じ
昨日の夜に一心寺シアターで
少年王者舘「それいゆ」を観ました。
OMSでしか観たことがなかった王者舘。
OMSだったらこんな芝居になっただろうなと
思いながら観てしまうのが職業病。
悲しいものです。

今日は「グッドデザイン博覧会」。
出品者がほぼ身内しかいなかったので
来ていただいた方には常設展示を見ていただき
デザイン関係の本や雑誌を見ていただき
いろんな話を聞かせていただきました。
表に出した看板に「コーヒー・紅茶100円」と
貼り紙をしていたら
通りがかりの方が何人も立ち寄られました。
まさに「デザインカフェ」といった雰囲気でした。

夜に辻本マスターのシングルズに寄ると
八幡さんがいました。
中津のドミトリー「SUMO BACKPACKERS」を紹介すると
今日はそこに泊まるというので
僕も一緒に行ってみました。

1Fのリビングでビールを飲みながら
オーナーの奥田さんと八幡さんとで喋っていると
今日の宿泊客のベトナム系フランス人が帰ってきたので
一緒に喋ってました。

聖闘士星矢とモーニング娘が好きなフランス人。
それが好きで日本にやって来て
日本橋に行って電化製品とDVDを買うというスタイル。
特殊な例なのかも知れませんが
大阪への観光客を知る、という意味では
この宿で飲むのはいい経験になります。


2003/09/26(金)
本にまつわるエトセトラ
昨日発売のエルマガジンは「本屋特集」。
そのトップで紹介されている「Berlin Books」は
シングルズの古くからの常連の八木さんと
松下さんが開いた古本のセレクトショップです。
昨日の「ワカリカ」のシングルズでは
そのことが大きな話題になっていました。

同じページに掲載されている
中津の「古本喫茶 伽羅」は
梅田古書倶楽部の光国屋書店と提携してできた
古本を置いている喫茶店だそうです。
光国屋書店の倉竹さんは元演劇人で
「柴田&葉狩」のシングルズによく来られます。

Talkin'Aboutの企画者の一人の
暗黒番長樋口ヒロユキさんが
共著で宝島社から本を出すそうです。
『「酒鬼薔薇聖斗」への手紙/生きていく人として』
 定価:本体1400円+税
 編著者:今一生
10月1日から本屋に並ぶそうです。

9月29日には
『OMSとその時代』という本が
ぴあから発行されます。
定価:本体2000円+税 
ぴあの安藤編集長、仲本さん
編集者の小堀純さん
元OMSスタッフの吉田君をはじめとした
多くの方々のご尽力により
いよいよ出版の運びとなりました

大阪ガスエネルギー・文化研究所が主宰する研究会で
来年3月に大阪の文化資源をまとめた本を
発行する予定です。
僕もいくつかの文章を書く予定ですが
『SINGLES PROJECT』についても紹介しようかと。

いつかは単独で出したいものですね、本。


2003/09/23(火)
自分探しの旅(おわりに)
今、20代の人たちの
就職せず、または会社を辞めて
自分のやりたいことを探す
という動き方が、とても気になっています。

今の時代に起こっていることは
単なるバブル後の不況などではありません。
一人一人が新たな価値を生み出す努力をしない限り
僕らが生活する基盤は今後ゆるやかに失われていきます。

彼らの自分探しが
自分を大事にするためのステップであれば
大いに賛成ですが
ここではないどこかといった幻想の追求であれば
その幻想を捨てるために動いてみることを
薦めたいと思います。

どうすれば仕事における自己実現と
それなりの生活が両立し得るのか。
僕なりの答えは書いてみた積りです。
どれだけ一般的な参考になるのかは疑問ですが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
では、また明日から普通の日記に戻ります。


2003/09/23(火)
自分探しの旅(5)
僕が製造所に勤務したのは3年間。
その後、社内のチャレンジ制度に応募して通り
念願の複合文化施設の仕事に就くことになりました。
まず1年3ヶ月は神戸アートビレッジセンターへ
その後異動して扇町ミュージアムスクエアへ。

これは、はた目には華やかな世界に行き
自己実現を果たしたサクセス・ストーリーと映るでしょう。
確かにそうなのですが
そこに行けば今度はどんな苦悩がはじまるのかを
きちんと伝えておいたほうがいいように思います。
幻想を排して現実をみる、ということは大切です。


異動当初。
いくらか勉強をしていたとはいえ
演劇や映画や美術のネットワークが皆無に近い中
何も知らない歯痒さ、居心地の悪さを半年は味わいます。

ようやく表現者とつき合うのに慣れてきて
自分のペースをつかむことができると
それなりに幸せな時代が訪れます。
有名な人と飲み会で喋れたり
対等に喋れる同年代の表現者が見つかったりして
自分の居場所を見つけられたと感じます。
しかしそれはとてもまったりとした幸せです。

毎日朝から晩まで働き
夜遅くに始まる飲み会に顔を出し
プロデュース公演ともなれば1ヶ月以上休みなく走り続け
偉い人が来れば気を使いまくって兵隊としてひたすら動く。
それが楽しいうちはいいのですが
ステップアップを考え始めたときに
その先には道がないということに気付きます。

一番いいポジションは既に
昔からそのジャンルにかかわっている人が占めていて
そこには何年、何十年かかってもおそらく辿り着けない。
若さを費やすだけ費やしてそのことに気付き
このジャンルから離れていった人は多いのです。

ここにはソフトな覇権争いの構図があります。
そこではきちんと育ててもらえる
引っ張り上げてもらえるなんてことはあまり期待できず
時には足を引っ張られることだってある。

この世界にただ長くいても何も残らないだろう。
そうしたことに気付きはじめてからは
「自分を大事にしよう」と考えるようになりました。

それは「自分をいたわる」ということではなく
「自分の価値を一番高く評価してもらえる方法を探す」
ということ。

そのために必要なのは
誰もやっていないこと
誰も真似できないものを始めること。
そう考えました。


いくつかの試行錯誤を経て形にした「扇町Talkin’About」
そしてその延長線上にに生まれた「Common Bar SINGLES」
この2つの企画を実際に形にして世に問い
それがある評価を受けたことが
僕の今の立場につながっています。


2003/09/21(日)
自分探しの旅(4)
今の居場所が自分の本当にいるべき場所ではなく
自分が100%調和できる場所が
どこかにあるだろうと
ユートピアを探すような気持ちで
いろんな世界を覗いて回りました。


が、インドに行ったことが
自分にとって大きな転回点となりました。

デリーの貧民街を歩くと
2畳位のテントの中に5人ぐらいで住んでいて
大人も子供も何の囲いもないところで用を足している。
子供たちの物乞いの手が無数に差し出される。
酷暑のなかペプシを飲んでいると
乳飲み子を抱いた母親が泣きながら訴えかけてくる。

ヒンドゥー教の聖地のバラナシでは
ガンジス川の河原で子供の死骸を
犬がくわえて引っ張っている光景に出くわし
金を持っている日本人からいくらかせしめようと
日本語の単語を次々に口にしながら
近づいてくる子供たちに疲れ
川で沐浴したのが良くなかったか
体調を完全に崩しての帰国。

(いわゆるインドにはまる人、というのは
 所詮恵まれた立場の日本人、というジレンマを
 どう解消しているのかと思いました)

ここではないどこかに
自分にとってのユートピアなどない
幻想を排して自分の居場所を探すしかない。
この旅以降、今いる場所をどれだけ楽しめるかと
考えるようになりました。

所内のレクリエーション担当としては
さまざまな新しいイベントを企画・運営し
マナーアップキャンペーンにかこつけて
仕事として新聞やビデオの編集をしていました。
300人の製造所員の勤務状態が
把握できる立場だからこそできる配慮
それを大事にしようと考えました。


2003/09/21(日)
自分探しの旅(3)
マスコミに就職しようと、テレビ局・新聞社など
何社も受けましたが全てアウト。
特に高校の時から入りたいと思っていたNHKも
試験で落ちました。
社会学科にいたものの
ろくに勉強しなかったツケです。

大阪ガスに就職を決めたのは
地元の企業で環境にやさしい会社だということと
(卒論のテーマは環境問題でした)
OB訪問の時に会った先輩が
白TシャツとGパンというラフな恰好で現れ
ブレイクダンスをやる僕を面白がってくれたから
なんて理由だったりしました。


会社に入り、2週間の研修の後に
2ヶ月間エアコンを売り歩く実習を受けました。
日に100件の家をアポなしで回り
ガス器具の調子を伺いながら
エアコンを薦める毎日。

自分がその商品に100%惚れ込んでいないと
人に物を薦められない性質なので
営業という仕事は向いてないなと思いました。
(どうにか目標は達成しましたが)

実習後に配属になったのは
堺・高石の臨海工業地帯にある製造所の総務。
300人いる所員の勤務管理や
レクリエーション、マナーアップのキャンペーン
事務所整理整頓キャンペーンなどを担当。

独身寮と製造所を往復する毎日
閉じたコミュニティの中での関係性
狭い世界で通用する論理に従うことを要求される環境
そこでは、自分が生きたいように生きればいい
という覚醒はかえってあだになりました。

あらためて社会学の本を何冊も読み
自分が正しいという実感を得ようとしましたが
自分が正しいと実感すればするほど
現実との調和に苦労しました。

この間にやったこと。
中小企業診断士の勉強。
週末にはミナミで朝まではじける。
現場の面白い人たちとの
ランニング、空手を通じての交流。
独身寮近くのバー「RINO'S POINT」に入り浸り。
GWに10日近い休みを取ってインド旅行。

そういうことをしていないと
自分の中でのバランスが保てませんでした。


2003/09/19(金)
自分探しの旅(2)
大学に入り、半年間明大前のスパゲッティ屋の
ホールのアルバイトをした後に
原宿にある「パーソンズ」の本店で販売員。
そこで8ヶ月働いたあと
池袋パルコに新規オープンする
インポートブランドのショップの仕事に。
そこでは大学卒業までの3年間働きました。
合い間にテレビのエキストラの仕事や
センチュリーハイアットの配膳の仕事など。

時給が良いからとほとんどの同級生が
家庭教師のバイトをする中
いろんな世界を見たくて
無理矢理いろんな世界に飛び込んでいきました。

サークルではブレイクダンス。
スタジオにも通い始め
大学4年の夏から半年間は
上野の歩行者天国で知り合った黒人ダンサーと一緒に
週末には路上パフォーマンスをしていました。
パフォーマンスが終わったら帽子を持って回り
投げ銭を集めていました。

路上に座り込んで行き交う人を眺めるのが楽しくて
それが特権のように思えました。

同じく大学4年の夏から
下宿近くのラーメン屋「どさんこ大将」に
毎日のように通い始めました。

カラオケがあり
午前2時まで常連が唄っているラーメン屋。
そこで近所に住む40代、50代の経営者や
旅館の従業員などの不良中年達と仲良くなり
彼らに合わせるために演歌を何十曲も覚えて
一緒に唄ってました。

自分たちのスタイルを楽しんで
生きている、いろんな人たちと接することで
自分が生きたいように生きればいい、と
思えるようになっていました。


2003/09/18(木)
自分探しの旅(1)
20代の人たちの
就職せず、または会社を辞めて
自分のやりたいことを探す
という動き方が、今とても気になります。

世の中が世知辛くなればなるほど
雇用という受け皿は貧弱になっていきます。
長時間こき使われ、しかも低賃金。
自己実現とはほど遠い職場で無為に過ごすよりは
自分のやりたいことを信じて飛躍することを
選ぶ精神を健全だと思います。

しかし、この時代の最良の精神達が
自己実現という選択をした途端に
経済的には決して豊かとはいえない
道を歩き始めることが
傍からみていて歯痒く感じるのです。

どうすれば仕事における自己実現と
それなりの生活が両立し得るのか。

そのことを、一度自分の経験を振り返って
考えてみたいと思います。
一般的な参考になるかどうか分かりませんが。

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今日のシングルズは「説教バー」。
今日も4名の方が新たなマスターとなりました。


2003/09/15(月)
お店はちょっとした同窓会に
今日はシングルズマスターの
タイラケンタロウさんと
セシャケレイコさんが入籍、というニュースが
メーリングリストを流れました。

この日替わりマスターのお店で知り合い
結婚するカップルが出てくるとは思いませんでした。

今日は2人がお店に立つ日。
開店時間前にお店に行きましたが
すぐに何人ものお客さんがやって来ました。

残念ながら長居はできませんでしたが
きっとお店は盛り上がっていることでしょう。

お二人のこれからの人生が
素晴らしいものになりますよう。


帰りにJR大阪駅近くで
大勢の人がもみくちゃになっていました。
どうやら阪神優勝の号外を取り合っていたようです。


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