過去の日記 49

2010/12/02(木)
一般論と個別解
うまく整理できていないままに書くのですが...

たとえば、あるビール工場の撤退が決まり
その跡地に、ある大学の移転が決まったとします。

その後、別のビール工場や食品工場の撤退が決まり
その広大な跡地の再開発を考える必要に迫られたとします。

この時に必要なのは、
「今や別の工場や大規模商業施設も需要が薄いので
 大学の誘致を最優先に考えるべきです」という
大学の先生やコンサルが言いそうな一般論のお墨付きではなく
この跡地に関心を持ってくれそうな勝ち組大学に
水面下で交渉して契約を勝ち取るという素早いアクションです。


別の例でいいましょう。

かりに「関西の大衆演劇の文化を活性化させましょう」
と行政が考えたときには、劇場の整備や広報ツールの充実、
活動団体への助成金の適用、などの施策を展開します。

でも、実際の活性化は、梅沢富美男が一人出てくれば
それだけで達成されてしまったりします。

資源が限られているジャンルにおいては
一般論から施策を立ち上げるより
一つの特殊な成功事例を作り出す方が、効率が良いのです。


一般論がネガティブな結論しか導かない場合には
一般論を信じることが、マイナスにすらなり得ます。

 大阪で発祥した企業が、どんどん本社機能を東京に移す
 大阪のメーカーが、製造拠点をどんどん海外に移す
 大阪の経済は、ますますジリ貧になっていく...

これは、典型的なネガティブ一般論です。
そんな大阪でも奮っている企業やクリエイターは
いるのですが、それは例外と見なされ
多くの人は相変わらずため息をつき続けるのです。


今ある現状から、一般論を超えて
誰にでも出せない個別解をひねり出してくる
という所作は、一種のプロデュースになります。

市場が縮減し、資源が有限になってくる今からの時代には
実はこの、個別解をひねり出すプロデュース能力が
今まで以上に求められるようになるのでは。

今日一日、いろんな人の話を聞く間に
そんなことを思うようになりました。


僕が以前書いて今眠っている「カフェ進化論」は
そういう意味では、カフェ経営の一般論でした。

カフェ経営がどんどん厳しくなってきている今の時代に
必要なのは、一般論ではなく、燦然と輝く個別解なのではと。


2010/11/29(月)
維新史の奇跡
『龍馬伝』、終わりましたね...

近江屋で刺客に襲われて亡くなるという結末を
知って観ているわけですが、一年間希望を紡いで
続いてきた物語が主人公の非業の死で終わる
というのはやはりショック大です。
また数時間前には『竜馬がゆく』も読み終わったので
ダブルパンチを食らった感じです。

さてそんなインパクトを残した坂本龍馬について
今日は物語論としてではなくプロデュース論として
語ってみたいと思います。

そもそも『竜馬』をわざわざ読もうと思ったのは
「大政奉還って何?」という疑問からですが
『龍馬』と『竜馬』では、描かれ方が全然違います。


『龍馬伝』では、龍馬は平和主義者で
倒幕戦を回避するために大政奉還を推し進めています。
それがために、佐幕派だけでなく討幕派にも
恨みを買ってしまった、という展開になっています。


一方『竜馬がゆく』では、竜馬の大政奉還は
討幕派、佐幕派がともに頷ける、魔法のような案になっています。

 もともと竜馬の大政奉還案というのは、一種の魔術性を持っていた。
 討幕派にも佐幕派にも都合よく理解されることができる。
 たとえば後藤像二郎が理解したのは
 「徳川家のためにもなり天朝の御為にもなる」
 という矛盾統一の案、ということであった。
 この点、勤王か佐幕かの矛盾になやむ山内容堂にとっては
 これほどありがたい案はない。
 一方、中岡慎太郎のような倒幕急進派にとっても
 大政奉還の気球をあげることによって
 合法的に倒幕勢力を京に集中できるのである。
 要するに、政治がもつ魔術性をこれほどみごとに
 帯びている案はないであろう。

(司馬遼太郎『竜馬がゆく』8巻より)


史実により近いのは、後者です。

そして徳川慶喜は、大政を朝廷に返上しても
実利は失わず、逆に新体制の中で更に存在感を
発揮できると考え、またほぼ同時期に
急進派の公卿と反幕諸藩が進めていた
倒幕挙兵の動きを牽制する意味から
山内容堂の建白を受け、大政奉還を実行しています。


「薩長同盟」でもそうですが、龍馬は、
他の志士たちが理念で人を結びつけようと
するのに対し、そこに両者の利害の一致という
オプションを付け加えています。


司馬遼太郎氏は、別の場所で、こう書いています。

 竜馬は、維新史の奇跡であるといわれる。
 維新という革命は尊皇攘夷の思想をもって徳川幕府を倒し、
 日本の潜在的主権であった天皇家を興してこの国に
 近代的統一をもたらしたものだが、竜馬はその志士のなかに
 立ちまじりながら海運業をおこし、株式会社の構想を考え、
 同時に上院、下院による議会制度を献策し、ほとんど
 共和制にちかい政体をまで考えた。こういう先進思想が、
 幕末の一介の剣客の脳裏にうかんだという点が、
 奇跡であるといわれるひとつである。


どうやらこの人は稀代のプロデューサーで
他の人にはなし得なかったであろう歴史上の魔法を
見せてくれた、ということなのかなと。


2010/11/27(土)
竹山との別れを惜しむ







『龍馬伝』最終回まであと1日。
『竜馬がゆく』は現在7巻、船中八策あたり。

さて、家の前にある2千坪の竹山が宅地造成でなくなる
と昨年3月に書いていましたが、その後地価低迷により
これまで開発を免れてきました。

が、12月にはとうとう工事が始まると聞き
最期の別れを惜しむべく、中に入ってみると
いつの間にやらイノシシの親子が住んでいました。
おそらく地中にいるミミズやドングリの実でも
食べているのでしょう。

竹山と書きましたが、奥のほうは雑木林で
家の前にはハンミョウやカミキリムシ、
クワガタムシなどもやって来ました。
夏になるとセミの大合唱で
この季節は、朝夕に多くの鳥が鳴いています。

僕が芦屋に住むのを決めたのは
ひとえにこの家の前の豊かな自然環境に
惚れ込んでのことだったので、とても残念です。


2010/11/26(金)
最終選考作を語る








『竜馬がゆく』現在6巻、薩長同盟成立のあたり。
2日後の『龍馬伝』最終回までに間に合うかどうか。

さて、24(水)の夜には、第17回OMS戯曲賞
最終選考作を語る会を開催しました。参加者は10名。
本や芝居をかなり観ている「博覧強記の会」メンバーが
ベースになっていたので、感想を語る会というより
作品に対する批評の場として成立していました。

最後には、大賞・佳作についての予想もしました。
圧倒的に評価の高い作品が、一つありました。
どの作品かは、ここでは書きませんが。

なお、授賞式・公開選評会は、12/7(火)19:00〜
@精華小劇場にて開催されます。
http://www.ogbc.co.jp/oms.htm


2010/11/23(火)
イストワール(歴史=物語)









高座の滝あたりも、すっかり色づいてきました。
こんな風景が楽しめるのも、11月一杯ぐらいでしょうか。

さて、

作家における自分軸と他人軸。

この視点から、昨年度OMS戯曲賞の大賞を受賞した
『山の声』を見てみるとどうでしょう?

他人軸であることは間違いないですが
単に他者を描いているというだけでなく
歴史上実在した人物を描いています。

若い作家は、こういう作品を書きたがりません。
禁じ手にしている作家さえいます。
なぜならそこでは普遍性のあるドラマを描けても
作家としての独自性を発揮できる余地が少ないからです。

でも、前にも書きましたが、
実在した人物や事件に取材して
その上にフィクションを構築した物語は
往々にして時代を超えて語り継がれる名作になります。

実際にそんな人物が存在したと認識することは
人の心を突き動かす大きな力を持つようです。


フランス語のhistoire(イストワール)という語には
「歴史」と「物語」の2つの意味があるそうです。

僕らは普段、事実としての「歴史」と
フィクションとしての「物語」を分けて考えますが
過去に流れ去ったものは想像力で補うしかないし
フィクションも含めて神話化した人物や事実は
多くの人を駆り立てる力を持ち得ます。

実際、この間の『山の声』の朗読公演を観た後に
六甲全山縦走路を完走し、そのまま家まで歩いて帰ったという
加藤文太郎の伝説を追体験した方がおられましたが
つまりそれがイストワールの力なのです。

そして先にスティグレールの時に
サンキュロットというフランスの過去を
自ら取り入れることで「われわれ」になる
というのが出てきましたが、この「われわれ」を
担保しているのは、イストワール(歴史=物語)です。

『龍馬伝』であり『竜馬がゆく』にはつまり
そういう効果があるわけです。


現代演劇の世界にも、松本雄吉さん、坂手洋二さん、
マキノノゾミさん、わかぎゑふさんのように、
この「イストワール」に意識的に取り組んでいる
作家さんはおられます。
大竹野正典さんも、まさにそうでした。
でも若手、中堅の作家には、ほとんど見受けられません。

作家としてのアイデンティティを確立するまでは
書こうとは思わないが、他者が、そして「われわれ」が
必要としている物語。

これを書く役割を、引き受けること。
これもまた、作家における他人軸な話です。


2010/11/21(日)
作家における自分軸と他人軸
先にお伝えいたしましたが、24(木)には、
OMS戯曲賞・最終選考候補作を語る会をやります。
11/24(水)19:30〜@淀屋橋DINGHYです。
http://www.ogbc.co.jp/oms.htm

若き劇作家は今、何をどう書こうとしているのか。
8作品を読むと、そういうことが見えてきます。

例え話として書いてみますと...


村上龍のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』。

基地の町、福生にあるアパートの一室で
クスリ、LSD、セックス、暴力、米軍兵士との交流などに
明け暮れ生活している主人公と複数の男女を描き
群像新人文学賞、芥川賞を受賞したこの作品は
村上龍の実体験をもとに書かれています。

若い作家は、自分の手持ちの札を使って勝負します。
それしか書けないから、当然そうなります。

ただ手持ちの札は、そのうちなくなります。
となると新たな札を増やし続けるしか
作家として書き続けることはできなくなります。

自分の中には今ない他者に興味を持ち
それを取材して自分の中に取り込み
自分のフィルターを通して表現する。

この、自分軸から他人軸への飛躍が
作家として評価され続ける人になるための
大きなポイントのような気がしています。


若さを特権に、現代の若者の先端的徴候や
アブノーマルな部分を描くことで、
作家としての独自性を確保するというのは
一つの戦略です。

また、自分はこういう人間で
こういうものしか描けないし描かないと割り切り
自身の内面世界や心象風景を描くというのも
一つの方法論です。

この、自分軸から始まった作家性を
他人軸を意識した方法論への飛躍。


こういう視点で、若き作家の作品を見てみると
なかなか面白いですよ。


2010/11/19(金)
龍馬と竜馬
高校の歴史の授業で「大政奉還」を習ったときに
なぜ徳川慶喜は政権をいとも簡単に返上したのかが
どうにも理解できませんでした。

「龍馬伝」をここまで見続けてきて
なるほど坂本龍馬という不世出のプロデューサーが
この歴史的偉業を仕組んだのだとやっと理解しました。

で、今度は龍馬が本当にそんな大立者だったのかが
とても気になりだし、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を
突然読み始めました。現在は2巻の終わり、
吉田東洋暗殺の話が出てきたあたりです。

「竜馬がゆく」もフィクションなのですが
司馬遼太郎という人は、この本を書くために
龍馬に関する本や文書を読み漁り、徹底的に事実を調べて
その間を補うように物語を構成しています。
そしてどこまでが記録に残る史実で
どこからがフィクションなのかが
だいたい分かる書き方をされています。

こういう仕事を司馬さんがしてくれていたおかげで
フィクション性をさらに高めた「龍馬伝」がある
ということがよく分かりました。

「龍馬伝」の放映は、あと2回。
「竜馬がゆく」は、全8巻なので、あと6冊。
ほぼ同時に、クライマックスを迎えてみようかと。


2010/11/17(水)
dialogue in the holder









今日は伏見まで行って、ガスホルダーに入りました。

ガスホルダーというものは、10年に一度
開放点検をすることになっていて
中のガスを抜いて、中に人が入って
強度を検査していきます。

高さ31メートル、ほぼ真球形のホルダーは
高度な溶接技術によって作られているのですが
この継ぎ目の部分が弱っていないかを確認するわけです。

ホルダーの中に入って、「あッ」と声を出すと
「あッあッあッあッあッあッ」とずっと響きます。
日常にはない不思議な音響空間です。

内面には天井まで足場が組まれているのですが
この頂上に上がった人と底にいる人とは
ささやくような声ででも会話ができるそうです。


帰りに七条新千本を通りかかった時に
市場の中にある「nasu」という名前の
ジャズ喫茶に立ち寄りました。

1965年から続くお店。
サイフォンで珈琲を淹れています。
店主は少し背中が曲がりつつもいかり肩で
それがこだわりの筋を通して星霜を重ねてきた
店主のありようを現しているように見えます。

かかっていたのは、レッド・ガーランド・クインテットと
ジョン・コルトレーンの「dig it!」。

レッド・ガーランドの転がるようなピアノの音色を
市場の片隅の喫茶店で味わうというのも、また一興。


2010/11/14(日)
『山の声』朗読公演、終了。









ということで、昨日の『山の声』朗読公演
盛況のうちに終了することができました。
お越しいただいたみなさま、ありがとうございました!


この戯曲には、加藤文太郎の手記『単独行』からの
おそろしく長い引用が、何ケ所かあります。

これをホンを外して言い切るのは大変なので
朗読公演として企画したのですが
今回かなり稽古を重ねたことで
掛け合いの部分は、完全に芝居になっていました。

ホンを見るのか、外すのか
このバランスの取り方が難しかったようですが
最後にはこれがピタリと合っていました。

日活JOEさんと、山本忠さん。
一日だけの復活公演、ということで受けていただいたお話です。
が、何らかの形で、また実現できればと思っています。


2010/11/12(金)
明日は中崎町ミュージアムスクエア








明日は六甲山上で『山の声』朗読公演なのですが
コモンカフェでは、石原正一さんプロデュースの
『中崎町ミュージアムスクエア』をやっています。
http://www.talkin-about.com/cafelog/?itemid=1162

山上で16時半の回を観ると、18時過ぎに終わるので
20時からのコモンカフェの夜の回には間に合います。
何名かはこのコースをたどるそうです。

僕は残念ながら、どうやっても観ることができません...
こちらの方も、ぜひ足をお運びください。

*写真は今日夕方に撮った、NMSの役者・スタッフの
 コモンカフェでの食事風景です。


2010/11/12(金)
通し稽古









『山の声』朗読公演まで、あと2日。
今日の夜は、土居商店街にある山忠さんのお店
「お好み焼やまもと」で通し稽古を行ないました。

あくまでも朗読公演ということでスタートしていて
ホンは手元にあるのですが、完全に芝居として
出来上がっています。

JOEさん、山忠さんはともに、舞台に立つのが10年ぶり
一緒に立つのは十数年ぶりだそうですが
絶妙に息が合っています。

クライマックスは、かなりきます。
うっかり落涙しそうでした。

今回音響効果として、ギターの角谷芳徳さん、
ヴァイオリンの西村恵一さん(19時の回のみ)が参加、
さらに16時半の回の前段には、リピート山中さんが登場し
「加藤文太郎の歌」を歌っていただく予定です。

今朝現場を確認してきましたが、70名は入れます。
ですので16時半の回も、まだOKです。

これはたぶん、伝説の舞台になります。
お時間ありましたら、ぜひお越しください。
http://www.talkin-about.com/cafelog/?itemid=1157


2010/11/09(火)
孤高の登山家に再び脚光
きてますよ、加藤文太郎。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003591737.shtml

13(土)の朗読公演は、16時半の回がほぼ満席です。
19時の回は、まだ若干お席が残っております。
ご予約はお早めにお願いいたします。
http://www.talkin-about.com/cafelog/?itemid=1157


2010/11/08(月)
歴史的な喫茶店









僕の職場である淀屋橋のガスビルから
歩3分のところにある平岡珈琲店。
大正10年(1921)から続く老舗です。
http://www.hiraoka-coffee.com/yume_shop2.html

このお店のメニューは、自家焙煎コーヒーと
カフェオレ、ミックスジュース、手作りドーナツの4種類。

お店に行くと、店主はたいてい
常連のお客さんと話しながら、
手を止めることなくドーナツを揚げています。

カウンター席とテーブル席の配置が絶妙で
常連さんと、一般のお客さんが、ともに
居心地の良い空間を共有できるお店です。


さて、その平岡珈琲店の三代目店主・
小川清さんが、今年一冊の本を出しました。
それは喫茶店の本ではなく、今からちょうど百年前に
新淀川の開削に尽力した人物の伝記です。

「淀川の治水翁 大橋房太郎伝」
http://www.tohoshuppan.co.jp/2010ho/10-08/s10-165-7.html

小川さんは、北船場界隈をはじめとする
大阪の歴史や、淀川の治水史に精通しておられます。

以前は珈琲やドーナツやお店の雰囲気を味わいに
立ち寄っていたのですが、最近は小川さんに
歴史についてご教授いただくために時々
午前中の忙しくなさそうな時間帯を狙って
カウンター席に座るようになりました。

サボっているんじゃありませんよ。
僕の今の仕事にはなぜか、ガスビル周辺の歴史を調べたり、
淀川クルージングを企画運営したり、デザイン塾のテーマで
淀川のイメージアップを考えたり、というのがあるのです。

平岡珈琲店で過ごす仕事的時間。
これもまた乙なものです。


2010/11/07(日)
有馬温泉ラン







トレイルランというものはつまり山を走るわけで
麓から始めると、まず辛い登りが最初にあって
心が折れそうにもなるのですが、
中盤から後半には楽勝な下りが続くので
終わる時の後味が良いのです。
これが病みつきになる原因なのではと。

今日は芦屋川から、有馬温泉まで。

開森橋から高座の滝まで11分で上がり
六甲山カフェでキッシュを頂いて世間話をし
そこから一軒茶屋まで1時間11分で上がりました。

途中負けず嫌いの外国人が休憩していて
僕が抜かすと、ものすごい速さで抜き返していき
さすがはパワーが違うと感心しながら走っていると
しばらくしてまた休憩していて、追いつくと
また走り去り、というデッドヒートを展開しました。
最後には彼はバテていましたが。

一軒茶屋から有馬温泉までは33分で下り
金の湯に浸かって炭酸煎餅を買って
阪急バスに乗って芦屋まで帰ってきました。

最後に温泉で終われるコースは格別です。
家から2時間で行けるとは思いませんでした。
これがまた病みつきになりそう。


2010/11/03(水)
淀川クルージング







さて、以前チラシを自慢するためだけに
この日記で告知していた「淀川クルージング」
本日開催いたしました。

枚方船着場から天満橋八軒家浜までを
水上バスをチャーターして下ってゆくこの船旅
楽しみのポイントはいろいろあるのですが
今日はそういう薀蓄を軽く省略して
この2枚の写真のみご紹介。
とても気持ちの良い風景でした。

*このコースは定期航路ではないのですが
 大阪水上バスが時々イベント的に企画しており
 今月は19日までやっています。
 http://suijo-bus.jp/event/detail.aspx?NewsID=225


2010/11/03(水)
第17回OMS戯曲賞・最終選考候補作を語る会
先日、第17回OMS戯曲賞の一次選考会が行なわれ
最終選考候補作が、以下の8作品に決まりました。

 小原 延之〔AI・HALL+小原延之共同製作〕「oasis」
 棚瀬 美幸〔南船北馬〕「それでもワタシは空をみる」
 田辺 剛〔下鴨車窓〕「人魚」
 土橋 淳志〔A級MissingLink〕「無神論者は幽霊を見ない」
 中村 賢司〔空の驛舎〕「祈らなくていいのか」
 はしぐちしん〔コンブリ団〕「ムイカ」
 山崎 彬〔悪い芝居〕「嘘ツキ、号泣」
 横山 拓也〔真夏の會〕「エダニク」


最終選考会は12月7日(火)の昼から行なわれ
授賞式・公開選評会は、同日19時より
精華小劇場にて行なわれます。


さて、今年はもうひとつ趣向がありまして...

この最終選考候補作を語る会を
11月24日(水)19時30分より
淀屋橋のDining & Bar DINGHYで行ないます。

最終選考候補の8作品は、以下のサイトに
PDFファイルを載せており、誰でも読めます。
http://www.ogbc.co.jp/oms.htm

これらの作品をお読みいただき
11月24日にお越しいただいた方々で
作品について語るというのが、上の会の趣旨です。

この会は、ふだん本紹介のサロンをしている
「博覧強記の会」がベースにあり、芝居の見方を
よく知っている方々が集まります。

自身でお話しいただいても、聞くだけでも結構です。
参加無料ですが、お店なので、各自の飲食代はかかります。
ご興味ありましたら、お越しください。


2010/10/31(日)
摩耶ケーブルとリュックサックマーケット
10月25日の神戸新聞夕刊に
「絶景の『まやビューライン』が存廃の瀬戸際」
と題した記事が掲載されています。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003557701.shtml

1925(大正14)年に、摩耶山天上寺の参詣客を
乗せる路線としてスタートした摩耶ケーブルは
最盛期には年間99万人の乗客を集めていましたが
阪神・淡路大震災で長期間休止。
その後経営が六甲摩耶鉄道(株)から
神戸市都市整備公社に移り2001年に再開しました。

その摩耶ケーブルが、存廃の危機を迎えています。
年間1億円の赤字、そして古くなった設備の更新には
17億円がかかるため、神戸市は事業継続は困難と判断し
13日には矢田市長も市議会で表明しています。

摩耶ケーブルの存続問題を聞くといつも、
OMSのことを思い出します。

年間数千万の赤字を抱え、かつ老朽化のため
存続のためには1億を超える設備投資が必要。
こういう状況をひっくり返すのがいかに難しいか
ということを、身をもって知りました。


さて、摩耶山掬星台で、リュックサックマーケットが
始まったのは、2006年2月のことです。
仕掛けたのは、灘区水道筋に事務所を構えるデザイナーであり、
ナダタマを運営している慈憲一さん。

まだ寒い時期にスタートした摩耶リュックの
第1回目の参加者は、8組だったそうです。

それが継続していくにつれて参加者も増え
新聞、雑誌、テレビなどでも情報が広まり
今では200組がわざわざ山に登るところまで
このイベントは成長しています。

リュックサックマーケットの醍醐味は
商売っ気ではなく、価値観の近い人たちと出会える
というところにあります。

出店料も予約もいらない、自由な雰囲気の中で
自然に親しむことのできるフリマ。

おそらく商品の多くは出店者の間で回っていますが
商品がお金に、お金が商品に変わっていく間に
知り合いと思い出がどんどん増えていく
その感覚が、このイベントの魅力なのだと思います。

もし摩耶ケーブルが廃止されてしまうと
摩耶リュックの存続も、かなり難しくなります。


自分たちにとって大事なものを
無理せずに維持していくための方法論。

それが今、摩耶山で求められています。


2010/10/30(土)
山ガールと六甲山









現在発売中の女子アウトドア誌「ランドネ」に
高尾山と六甲山が特集されています。
http://www.sideriver.com/ec/products/detail.php?product_id=14499

「山ガール」という言葉がここ1,2年流行っていますが
六甲山でもお洒落なアウトドアファッションの女子たちが、
ここのところ目立つようになってきています。

数年前までは、登山といえば中高年の方々が中心でした。
若い人に山の魅力を伝えるために、都会にあるカフェを
山に持ち込もうと「六甲山カフェ」活動を2004年に
始めたのですが、こんな風にブームが来るとは
思ってもいませんでした。

ただしやはり東京の雑誌ですね。
高尾山に比べて、六甲山にかけている力が
弱いのが残念なところ。


最近発売された山と渓谷社の「関西ハイキング2011」。
こちらは毎年秋に出ているムックで、
関西の山のメインルートが載っている
オーソドックスな造りです。
http://www.yamakei.co.jp/products/detail.php?id=923560

この本の後半には、六甲全山縦走の体験記事が数ページあり
その中に、加藤文太郎の紹介が1ページ入っています。
こちらはぜひ一度お読みいただいたいところです。


2010/10/27(水)
今後の社会学サロン
江弘毅さんとの「スティグレールを読む」が
昨日終了しました。参加者は10名。
http://www.talkin-about.com/cafelog/?itemid=1124

今回は12ページのレジュメを作りましたが
江さんにマシンガントークを繰り広げていただいたので
レジュメを全て読むのではなく
大まかに内容を追いかける展開になりました。

実際、スティグレールは同じことを何度も言っていて
論点はとてもシンプルなので、そのポイントを
一人一人がどう受け止めたかを話し合うことに
今回のサロンの意義はあったようです。
実際だいぶ熱い議論になりました。


江さんからは、次回は
エマニュエル・レヴィナスの「時間と他者
でいきましょう、とのご提案をいただきました。

これ、社会学というより哲学です。
レヴィナスに挑むには時間がかかりそうですが
ここはやはり受けて立つでしょう。
来春あたりになるかと思いますが。


そしてその前に、僕のソロ企画として
「柄谷行人『世界史の構造』を読む」をやります。
来年1月25日(火)を、今のところ考えています。
また近日中に正式告知いたします。

このサロンのために、迂遠にも思えますが
マルクスの「資本論」を今日から読み始めています。


2010/10/24(日)
ぶじ完走!









ということで、六甲縦走キャノンボールラン
行ってきました。

午前6時を過ぎると続々とランナーが集合し
駅前はこんな感じに賑わっていました。
このイベントに参加した人は30名ほどでした。

スタートは午前7時、みんな自分のペースで
どんどん進んでいきました。
先頭集団はトレールランナー達でしたが
みんな登りの階段は走らず、平地になってから
それぞれのペースで走り出しました。

僕も最初は走っていたのですが
昨夜3時間しか眠れなかったためにパワーが出ず
高取山の途中から歩き出し、菊水山の階段で
完走できないのではと弱気になり
鍋蓋山の登りで足がつりそうになったので
鍋蓋山の山頂の草原で一眠りし
摩耶山を登ってから掬星台でも一眠りし
そこに出されていたエイドでコーヒーを頂き
元気を取り戻しました。

六甲全山縦走コースがきついのはこの摩耶山までで
ここから宝塚までは、きつくない登りか平地か下りです。
なので基本的にはずっと走っていました。
途中から雨が降り出し、大平山のところで道を間違え
2kmほど余計に走ってしまうなどのトラブルもありましたが
どうにか午後5時45分に阪急宝塚駅に着きました。

これで加藤文太郎と並んだ、と思いたいところですが
彼はこの縦走の後に、宝塚から神戸の和田岬の寮まで
電車に乗らずに歩いて帰ったという伝説が残っています。
走行距離は100km以上、午前2時に寮に着いて
次の日に普通に会社に行ったそうです。
この真似は、ちょっとムリです...

今日のイベントでは、この56kmの縦走路を、
早い人は5時間40分で駆け抜けています。
これもちょっとムリそう...


2010/10/23(土)
『孤高の人』の虚実皮膜
新田次郎氏が加藤文太郎をモデルに描いた『孤高の人』と、
加藤文太郎の手記『単独行』を、今日読み了りました。

大竹野さんが『山の声』をどういうスタンスで書いたのかを
探ってみようと思ってのことで、それはそれでよく分かったのですが
今度は新田次郎の力量に圧倒されました。

長野に生まれ、気象庁に就職し。富士山測候所に
勤務していた時に、新田は加藤と出会っています。

厳冬期の富士山をさながら平地を歩くような速さで
登ってきた加藤に驚き、いつかは彼をモデルにした
小説を書きたいと構想を練り、神戸に住む花子未亡人と
加藤の世話をしていたかつての上司・遠山豊三郎から
回想を聞き出し、『孤高の人』をまとめています。

加藤自身による手記『単独行』があることもあり
『孤高の人』はかなりの部分、事実に基づいています。
その上で、フィクションを通じて加藤文太郎の真実に
迫っているのですが、そのための道具立てが秀逸です。
ここに作家の力量が見て取れます。


読んでいてよく分かってきたのですが
実在した人物や事件に取材して、その上にフィクションを
構築した物語って、時代を超えて語り継がれますよね。

タイムリーな例でいえば坂本龍馬でしょうし、
『曽根崎心中』や『忠臣蔵』も『水戸黄門』も
『大岡越前』も『鬼平犯科帳』もそうです。


浄瑠璃注釈書「難波土産」の中に記された近松門左衛門の言葉に
「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也」
という名句があります。虚構と事実との微妙な間にこそ
真の芸術が存在する、という意味です。

これは近松の意図とは少し違う話ですが
実在した人物をモデルにしたフィクションにおいて
「この人はこの局面において、こう思ったに違いない」
と感じられる場面が描かれると、観ている側の心の揺れは
100%のフィクションを観ている時よりも
振れ幅が大きくなるように思います。


ところで『孤高の人』において一番ワリを食っているのは
宮村健として描かれている吉田富久です。

宮村は加藤に憧れ、加藤の山行の業績を追いかけ
失恋の痛手を背負い、最後の登山に加藤を誘い
無茶な行動で加藤を道連れにしてしまう人物として
描かれていますが、『単独行』の中には、
実際の遭難の2年前に、岩登りのうまい吉田を
加藤の方から冬期登山に誘い、結果吉田が手指を
凍傷にしてしまったことを悔いる文章が出ています。

物語において、主人公のヒーロー性を際立たせるためには
ヒール(悪役)の登場が必要になりますが、これを
実在した人物に仮託すると、可哀想な人が生まれます。

『龍馬伝』でいえば岩崎弥太郎は、坂本龍馬に強い
コンプレックスを抱き、周囲に悪感情を抱かせる人物として
ことさらに描かれていますが、つまりこういう人物が
物語を強くするためには必要なのでしょう。


こうして事実を超えてフィクションが大きな力を持つと
次に「本当にそうだったの?」という興味が
観ている側に湧いてきます。
「加藤は、吉田は、本当にそんな人物だったの?」
そういう疑問や興味に答えるノンフィクションや
別の切り口から真実に迫るフィクションが
次なるコンテンツとして登場してきます。

加藤文太郎については、谷甲州氏が最近
『単独行者』という本を出しています。
http://www.yamakei.co.jp/special/densetsu/allein.html

また新田の『孤高の人』の映画化の話が進んでいたり
よりフィクション性の高い漫画として『孤高の人』が
登場したりしています。


実在した人物をモデルにしたフィクションの秀作。
ここには大きな可能性があるのだなと、改めて感じています。

ということで、明日は早朝から六甲全山縦走です。
もうすぐ寝ます。


2010/10/20(水)
映画の現場に興味ある方は








先々週からコモンカフェの水曜夜に
CO2・コネクト・カフェというサロンが開かれています。
http://www.co2ex.org/2010/10/co2-1.html

これは、CO2(シネアスト・オーガニゼーション・大阪)
という、若手映画監督を数名ピックアップして
映画を実際に撮ってもらい、劇場公開するという
企画の一環で開催されているものです。

今年の映画監督は5名が決定。
1名を除いては大阪で撮影を行なうので
役者や映画制作スタッフ、また見習いとして
現場で動いてくれる人を大募集しているそうです。

ということで、映画の現場に興味ある方は
このサロンを覗いてみてください。


2010/10/17(日)
軽い告知
明日の夜、僕はコモンカフェに入っています。
common styleという懐かしいタイトルですが
外国人が来るわけでも英語で喋るわけでもないので
お気軽にお越しください。

そして木曜夜は御堂筋DINGHYにて「博覧強記の夕べ」
(本を持ち寄って紹介するサロン)です。
こちらも興味ありましたら、どうぞ。


2010/10/16(土)
D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
江さんとのセッション企画を10日前に控え
この週末はレジュメ作りを進めています。

課題図書のスティグレール『愛するということ』と
同じくスティグレールの『象徴の貧困』は
2回ずつ読んでみました。


 文化産業が発展した現代においては
 ある特異性をもった「私」と、その「私」が集まり
 歴史や空間を共有する「われわれ」はともに瓦解し、
 「みんな=誰でもない主体」となる。
 この事態が生み出す「生きにくさ」こそが問題だ。

スティグレールが述べているのはこういうことですが
これは歴史意識の問題として重要なポイントを突いている
ということが分かってきました。


スティグレール自身のルーツはドイツにありますが
フランス共和国に生まれ、サンキュロットという
フランスの過去を自分の過去の一部とみなしている
と語っています。

これはつまり、自分が属する社会の過去を取り入れ、
そして未来を共有するという作為こそが
「われわれ」を作り出すということです。

ここではたと気がついたのですが
この「われわれ」のナルシシズムこそが
歴史を学ぶ意味なのではと。

当日は、そんなセッションを仕掛けていこうかと。
興味ありましたら、ぜひご参加ください。


*今日の日記のタイトルは、フランスの画家
 ポール・ゴーギャンの絵から取ってみました。

われわれはどこから来たのか われわれは何者か
 われわれはどこへ行くのか



2010/10/11(月)
一軒茶屋ラン
先日、JRの終電が1時間止まっていた日に
芦屋で電車を降りてから、心斎橋ウイングフィールド(劇場)
スタッフの寺岡さんに何年ぶりかに会いました。

帰り道が一緒だったので話しながら歩くうち
彼もロックガーデンを登っていると聞きました。
今は亡き、くじら企画・大竹野さんの影響だそうです。

そういえば僕も、六甲山カフェに関わっていたとはいえ
今のようにがっつり登るようになったのは、大竹野さんや
加藤文太郎の影響を間違いなく受けています。


今朝は阪急芦屋川北の開森橋に自転車を留め、そこから
六甲最高峰直下にある一軒茶屋(標高880m)まで駆け上がりました。

開森橋から高座の滝まで11分。
そこから一軒茶屋まで1時間19分。
決して速くはないのですが、
これ位のことはできるらしい。
帰りも走って下りてきました

24日の「六甲縦走キャノンボールラン」は
この3倍ぐらいあります。
http://chinta1103.exblog.jp/11197039/

今回は加藤文太郎の歩いた道を完走することを
とりあえずの目標に置いています。



2010/10/08(金)
11/13(土)『山の声』朗読公演について









六甲ヒルトップギャラリーでの加藤文太郎展
(10/22(金)〜11/17(水))のチラシが上がりました。
かなりインパクトのあるデザインです。

そして以前にお伝えしておりました
『山の声』の朗読公演の予約受付も開始いたしました。
あらためて概要を、以下に紹介いたします。

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第16回OMS戯曲賞大賞受賞作『山の声』朗読公演

登山家・加藤文太郎と、彼のパートナーである吉田登美久の
遭難を描いた二人芝居。非情の山に取り憑かれた男たちの、
人生の喜びや孤独を力強い台詞に乗せて綴っている。

日 時:2010年11月13日(土) 16:30〜/19:00〜
会 場:六甲ヒルトップギャラリー
作 :大竹野正典(くじら企画)
出 演:日活JOE・山本忠
入場料:1000円
定 員:各回50名(要予約)
お申込み・お問合せ:
 六甲ヒルトップギャラリー Tel・Fax 078-891-0371
 http://hilltop-g.com/
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ここであらためて、登山家・加藤文太郎(写真)について。

加藤文太郎(1905-36)
・浜坂に生まれ、神戸・三菱重工の技師として働く一方、登山に目覚める。
・当時の主流であったパーティによる大掛かりな登山ではなく、軽装備での単独行で数々の偉業を成し遂げた。
・槍ヶ岳冬季単独登頂や、富山県から長野県への北アルプス単独縦走によって、「単独登擧の加藤」、「不死身の加藤」として 一躍有名となる。
・昭和11年1月、槍ヶ岳・北鎌尾根で遭難し、30歳の若さでその生涯を終えた。
・登山に対する精神と劇的な生涯から、新田次郎氏の小説『孤高の人』のモデルとなった。
・須磨から宝塚までを走破する「六甲山全山縦走」を始めた人物としても有名。

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そして作家、大竹野正典氏について。

大竹野正典(1960-2009)
・大阪市生まれ。日本映画学校シナリオ科を卒業後、82年に大阪で劇団犬の事ム所を設立。
・テアトロインキャビン戯曲賞佳作、スペースゼロ大賞等を受賞。関西を代表する劇団として活躍。
・97年に劇団を解散。同年からプロデュースユニット「くじら企画」を設立。2004年『夜、ナク、鳥』でOMS戯曲賞佳作を受賞。
・2008年末に上演した『山の声』がOMS戯曲賞大賞を受賞。
 しかし本人は、2009年7月に不慮の事故で亡くなり、同作品が遺作となった。

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今回の朗読公演に出演する日活JOE氏、山本忠氏はともに、
90年代に関西小劇場演劇界で活躍、人気を博していた。
二人の共演は「これっきりハイテンションシアター」
(劇団ファントマの前身)以来の実現となる。

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今回の朗読公演は1日限りで、100名しか観られません。
ぜひこの機会を、お見逃しなきように。

*同朗読公演とは別に、大竹野正典追悼公演として
 「くじら企画」による『山の声』再演が、1/21(金)-23(日)に
 日本橋のインディペンデントシアター2ndで行われます。
 こちらの方にも、ぜひお運びください。
 http://www5c.biglobe.ne.jp/~kujirak/menu.html


2010/10/05(火)
おせっかい教育論









大阪大学総長の鷲田清一さん
神戸女学院大学教授の内田樹さん
浄土真宗本願寺派住職の釈徹宗さん
大阪市長の平松邦夫さん。

この錚々たる方々のセッションが
おせっかい教育論」という本になりました。

この本のもとになったのは、昨年10月1日に
大阪市中央公会堂で開催された「ナカノシマ大学」の
キックオフシンポジウムです。

この「ナカノシマ大学」の動きに関わっていたことで
僕はこのシンポジウム全体の司会進行をしていました。

本番中は楽屋のスピーカーで聞いていましたが
なぜみんなアドリブで喋っているのに
こんなに絶妙なセッションになるのかと驚きました。

釈さんは懐徳堂の時代を見てきたかのように語り
平松市長が生活保護を受けながら少年野球を教える人への
ジレンマを語ると、内田さんがサリンジャーの小説から
同じような事例を即座に出してきて持論につなげ、
鷲田さんは自身の経験談をそこに乗せてくる。
そして「教える」「学ぶ」ということの通念を
軽やかに解き放っていく。

これがすべてアドリブで起こっていた
その奇跡のような現場に立ち会っていたのですが
隣にいた140Bの中島さんは、このセッションを
本にするという構想を、すでにその時持っておられました。

ただし1冊の本にするには分量が少ないということで
今年1月18日に、梅田のル・コントワール・ド・ブノワで
続きとなるセッションが行なわれました。

幸運なことに、僕はこのセッションにも立ち会っています。

この第二夜も、お酒を飲みながらの放談なのに
無駄なところがまったくないセッションでした。

こういうハイパーな方々が目の前にいたこと。
それは自分自身のあり方に、影響を与えずにはいません。
つまりそれが「学ぶ」ということなのだと思いました。

本になったものを改めて読み直して、
みなさん確かにこんなことを
言っておられたなと確認するとともに、
教育についての自分自身の指針が
このセッションの内容にいかに影響を
受けていたかに驚きました。

「おせっかい教育論」は、そのように生まれました。
語りをそのまま起こしているので読みやすく、
かつ人生に効く本です。
ぜひ一度お試しください。


2010/10/03(日)
カフェ本の苦悩









LマガジンもHanako Westもぴあ関西も休刊する
という関西情報誌界の逆風の中
京阪神エルマガジン社がこの9月に
「CAFE BOOK」というムック本を出しています。
http://www.lmagazine.jp/magazine/mook/cafe_book.html

目を通してみて、想像できること。
それは「カフェはコンテンツでしか売れない時代になった」
と編集者が考えているということです。

ドーナツカフェ、パフェカフェ、パティスリーカフェ、
和菓子カフェ、植物カフェ、多国籍晩ごはんカフェ。

店主の紹介もいくつか出ていますが、それはあくまで
珈琲カフェや男子カフェの店主という
記号的コンテンツとしての紹介です。


多分それはマーケティング的に正しくて
でも自分のやりたいカフェを夢見る人たちにとっては
溜息のでる結論なのだと思います。
カフェとはコミュニケーションの場だと思っている
僕のような人も「生きにくい時代になってきたな」
と感じるわけです。


さて、この日記に以前、カフェの本を書いていると
何度も書いてきましたが、実はその後出版の話は
宙に浮いた状態になっています。

いくつかの出版社とのやり取りをしている中で

「文章をもっとポップに」
「『僕らは自分のお店を持てるようになりました』
 というトーンで書きましょう」

「あなたの文章は抑制が効きすぎていて、学者っぽい。
 売文業としてやっていくなら、韜晦のスタンスはいらない。」
 
「引用が多い、また取材した事例が適当でない」

といったご意見をいただきました。


なるほど、社会学ではだめなのか、とか
面白い、売れる本でないと話にならないのかと
発見することも多々あったのですが
これを続けていくと、自分が書いた文章や
自分自身にどんどん自信がなくなっていくので
精神衛生上、よろしくない。


僕がこの本を書き上げたのは、去年の2月。
もう1年半以上経っていて、カフェ経営をめぐる状況も
その間にまた随分と変わってきています。

世界同時不況以降、一般的にはお客さんは
明らかに減っていますが、一方で新規出店も盛んです。
それは閉店したお店が居抜き物件として出回るからです。
安く開業することができるので、実力のある人にとっては
朗報ですが、リストラされて仕方なく開業する人たちもいて
準備をせずに開業したため、半年で閉めてしまった
という話もよく耳にします。

また2〜3年ほど前までは、思いを持った店主がいて
その思いを雑誌が紹介し、共感するお客さんがお店に集まる
というサイクルがあって、そこに希望が持てていたのですが
今はかなりコンテンツ志向が強くなっていると感じています。


カフェ経営は、よっぽどの技術と人間力があり、
いい物件に巡り会わない限り、やめておいた方がいい。

でも、みんなにとって励みになる本でないと、売れない。
このギャップにも、悩むわけです。


自分がカフェについて世に問うべきことは何なのかを
改めていろいろ考えていますが、今まで書いてきたことは
もしかしたら、お蔵入りにしてしまうかもです。


2010/10/02(土)
リュック@Mt.Rokko、終了!







リュックサックマーケット@Mt.Rokko。
ぶじ終了いたしました。お越しいただいたみなさま、
ありがとうございました。

今日は天気に恵まれすぎて、山上なのにとても暑く
日陰の少ない会場で、出店者の方々は日差し対策に
苦労されていました。
僕も一日ですっかり灼けました。

みなさん最初は会場の外周に沿って出店していましたが
そのうちに木影を求めて移動し、最後には写真左のような
感じに落ち着きました。
密集感があった方が、リュックらしく見えます。

出店者は25組ほど。天覧台ではこれがギリギリでした。
今回は、摩耶山でリュックの勝手が分かっている人たちを
中心に、六甲山だとどんな感じになるのかを試してみた
という感じでした。

運営上の課題もいろいろ見えてきましたが
六甲山上をより面白い場所にするために
必要な役者たちが揃いつつあると実感でき
とても有意義でした。

写真右は、摩耶山リュックで売られている
ROKKOTシャツを着た面々の集合写真。
このTシャツが、六甲山を愛する人たちの中で
もっとメジャーになるといいなと。

p.s. 10/24(日)に水道筋チンタが主催する
「六甲縦走キャノンボールラン!」にエントリーしました。
http://chinta1103.exblog.jp/11197039/

今の体力で、須磨〜宝塚54キロを踏破できるのか?
挑戦は続きます。


2010/10/01(金)
ヴィヴァ!正宗屋







最近お酒を飲むと、その後数日は体調が悪いので
自主的に飲み屋に出かけることが少なく
不義理をしてしまっているお店が多々あります。

東通りの正宗屋が9月末で閉まる、と
半月ほど前から噂には聞きつつも
実際に足を運ぶのが最終日になってしまいました。


僕が始めて足を運んだのも、南河内万歳一座の
公演後の打ち上げでした。14年前のことです。

大将の中尾さんは元柔道選手で、讃岐から出てきて
この地で商売を続けてきましたが、
お店がOMSのすぐ近くにあったことで、
ブルーカラーな人々だけでなく演劇人のたまり場になったり、
桂雀三郎さんが落語会をしたり、まんぷくブラザーズが
「ヴィヴァ!正宗屋」というこのお店の歌を唄ったりと
独特の存在感を発揮するお店になっていきました。

OMSが閉館してからは人の流れが変わりましたが
演劇人たちはこのお店を愛し続けてきました。
今回の閉店は、大将の健康上の理由だそうです。


午後7時半頃にお店に入ると、お店はすでに
混み合っていましたが、閉店の張り紙はどこにもなく
閉店を惜しんで来た客と、そんなことは何も知らない
飲み客とが共存していました。

そのうちに、ミュージシャン、音楽プロデューサー、
演劇関係者、そして正宗屋のすぐ裏にある
シングルズのマスター達が、お店にどんどん集まってきました。

体調の心配もあるので、ちょっと1,2杯飲んで、
大将に挨拶して失礼、ぐらいに考えて寄ったのですが
大将が人生を賭けて守ってきたお店の最後の日には、
人生を賭けて臨まないと失礼だと思い直し
閉店まで飲み続けていました。

11時になると、大将が、集まったお客さん、
お店を支えてきてくれたお客さんに感謝の言葉を述べ
「残ったビール、ワイン、焼酎、みんな飲んでいってくれ!」と。

店内には「ヴィヴァ!正宗屋」がエンドレスで流れ
笑いながら、泣きながら飲むお客さん、
踊りだす店員のおじちゃんがいました。
その風景は楽しくもせつなくもあり
もう一つのOMSの閉館に立ち会っている
そんな気分になりました。


 ♪ま・さ・む・ね・や
  君と踊れば
  セラヴィセラヴィ宴もたけなわ
  人生をバラ色に酔わす店
  ヴィヴァ ラ ヴィータ ヴィヴァ正宗屋
  マスターは 元柔道選手



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