過去の日記 4

2003/09/15(月)
旅とは多様性に出会うためのもの
今日はTalkin'About大正ツアー。
14名の方が参加されました。

午後2時過ぎにJR大正駅を出発し
泉尾商店街を歩き、甚兵衛渡船で川を渡り
チャイ工房でチャイを飲み
夕方5時に平尾公園でのエイサー祭りへ。

いろんな地域からあつまる
ウチナー(沖縄出身者)たちのエイサーを見ながら
ビールを飲み、沖縄ソバを食べ
フィナーレの、みんなが参加する
カチャーシにまじって踊ってきました。

その後は南恩加島の「うるま御殿」へ。
ここでも沖縄料理を食べ、泡盛を飲み
島唄を聞き、カチャーシを踊りました。
参加者の方々には、大阪を新たに発見する
いい経験になったようです。

大阪で暮らす人たちが
訪問者として大阪を再発見することが
ゆくゆく大阪の良さを訪問者に伝えることに
つながっていけばと思います。


(何年か前からの沖縄ブームで
 大正区もすっかり有名になりましたが
 観光客を迎えるウチナーの思いは複雑です。
 他者に出会うこと、地域のもつ多様性に触れることが
 本当の観光の目的になるべきだと強く思います。)


2003/09/14(日)
アウトサイダー同士だとわかる距離感、というものが
僕には「内輪がダメ」という
大いなる弱点があります。
内輪の飲み会には3時間といられません。

もろにサラリーマンな生活をしていた時は
上司のノリに合わせていたり
上司の悪口で飲んでいたりする場に立ち会うわけですが
窒息しそうになるので外の世界に触れるために
一人で寮近くのバーに寄っていました。

予定調和の中にいることに耐えられないために
外に出て行っていろんな人に会って
自分だけのネットワークを作っていく。
あまり幸せなことではないんですね、これは。

今日、あるパーティに参加しました。
なぜ他の人たちは幸福のうちに
ネットワークを構築できるのか
不思議でなりません。

その後シングルズへ。
歩未さん&圭さんのお二人がマスター。
イラストレーターの福田さんと
サーバーを作っている山際さんと飲んでました。

あまり良く知らない人と話していて
その人が何者なのかがわかってくる状況。
そんな時間の流れにホッとします。


2003/09/13(土)
エコミュゼ大阪
エコミュージアムと呼ばれるものが
日本全国にできてきています。

エコミュージアムとは
地域のある一定の領域において
そこに点在する有形無形の文化財や
史跡・自然環境・産業遺産など
地域のさまざまな資源をあるがままに
あるいはより良い状態に保全し
住民自ら調査研究し
保存しかつ学習していく活動です。

自分たちの住む地域
そのあるがままの姿を「生きた博物館」と見立て
博物館の学芸員と来訪者両者の役目を地域住民が担い
運営していくまちづくり活動
それがエコミュージアム。
http://k-face.org/eco/whats/

ひとことで言うと「まちぐるみ博物館」でしょうか。

地方にあり、観光資源が潤沢ではない地域が
エコミュージアムづくりに取り組むことが多いようですが
街の資源を市民自身が再発見し
それを来訪者に伝えていく、という流れは
大阪にももっとあっていいと思います。


で、宣伝。

扇町Talkin'About
大阪の歩き方 〜大阪観光から一番遠い大阪人のための〜
 vol.1 大正区を歩く  
 9月14日(日)14:00 JR大正駅改札集合

企画者はシングルズマスターの桐谷美紀さんです。

人口の2割が沖縄出身者という大正区。
当日は平尾公園で「エイサー祭り」が行われる予定。
最後には「うるま御殿」で飲み会に突入する予定です。

大阪を深く知ってみたい方
そしてそれを来訪者に伝えていきたい方
ぜひぜひ、ご参加ください。


2003/09/12(金)
森を見て木を見ず
夕方に大阪駅前第2ビルにある
大阪市立大学大学院創造都市研究科へ。
アートとまちづくりについて考える
研究会に参加してきました。

大阪の港湾地区に
空き倉庫が一杯あるので
そこを演劇や現代アートの
創造拠点として活用していこう、という
アイデアが出ていました。

実現すればいいことだと思います。


ただ、こうした話が
実際の表現者がどんな人たちなのか
日々どんな生活を送り
何を考えて表現活動を行い
何にジレンマを感じているか
何をきっかけに創作活動をはじめて
そして何をきっかけに創作活動から離れていくか
そうしたミクロの部分を捨象したまま
進んでいくことには抵抗を感じます。

アートとまちづくりの融合は
まちづくりの理想絵として語られます。
その理想絵が、いったいどんな条件が
揃ったときに実現するのか
そのことはもっと探求された方が
いいことのように思います。


2003/09/11(木)
TV製作の世界は大変なのでしょうねえ
今日はMebic扇町にTVの取材。

夕方6時からのニュースの中で
大阪にカメラが切り替わっている時間帯に
3分半程度生中継されました。

それまでの中継が押したようで
かなり当初の予定から短くなりました。
お仕事の時間を割いて出ていただいた入所企業の方々には
少々申し訳ない形になりました。


余談ですが、2年近く前に
シングルズのTV取材が直前で流れたことがあります。

某在阪TV局のバラエティ番組で
有名タレントがシングルズに来て
日替わりマスターのお店を紹介して
カウンターに入ってお酒をつくる、という内容でしたが
約束の時間の5分前に、タレントが東京で予定が入った
とドタキャン。

わざわざ夕方5時にお店を開けてもらっていた
その日のマスターには、大変悪いことをしました。


2003/09/10(水)
温泉プロデューサー
大分の由布院温泉は
行ってみたい温泉No.1の地位を
この20年間維持しています。

戦後、男性のための歓楽街として発展した
日本の温泉地。
由布院はそうした時代の趨勢に背を向け
女性が安心して来られる安全な温泉地を
目指してきました。

その流れを引っ張ってきたのは
「亀の井別荘」の中谷健太郎氏と
「玉の湯」の溝口薫平氏という二人の仕掛け人。

由布院を代表する2つの温泉宿の代表が
自分たちのまちを良くするために
何ができるのかを突き詰めて考えてきたことが
今の由布院の発展の礎となっています。

(まちづくりがうまくいった結果、外部資本が流入し
 目抜き通りが「原宿」化してしまったとの
 新たな悩みを抱えているようですが)


僕らは大阪を良くするために何ができるだろう?
そんなことを考えさせるお話です。


2003/09/08(月)
構造的転換点を迎えている日本の温泉街
6日から今日8日まで、
鳥取の岩井温泉と三朝温泉に行ってきました。

ゆったりとくつろげるたたずまいと
心をこめたもてなしで
女性客の人気を集める岩井温泉と
男性客・団体客を当て込んで
遊技場・ヌード小屋・スナックが立ち並ぶ
歓楽街としての三朝温泉の凋落
この2つの温泉街は
そんな好対照をなしています。


観光が中心産業となっている街に行くと
いろんなことが見えてきます。

観光バスでツアー客を流し込む旅行代理店のシステム
第一次産業の衰退と観光産業への就職シフト
観光客と観光産業従事者との経済的格差
売れるかも知れないけれどもう一つな土産物
地域の復興再生をかけた街並み保全
民間の自助努力と行政主導による基盤整備

地域の人々と旅人はいかに出会うのか
その原点に立ち戻ることの重要性と困難性に
気づかされます。


基本的に家族サービス旅行なのですが
行ったら行ったでいろんなことが気になるのが
性なのでしょう。


2003/09/05(金)
同じ時期に同じことを考えている人は3人いる、といいますが・・・
昼休みに中津へ。
SUMO BACKPACKERSというドミトリーを訪ね
奥田さんという女性と会いました。

奥田さんは、もとお寺だった一軒家を改装して
この7月に、10人が泊まれる
素泊まり1泊2500円のドミトリーを
オープンさせました。

1Fにはリビングとシャワー室
2Fには2段ベッドが5つと調理場がありました。

国内や海外の安宿に行ったときに経験する
いろんな人たちとの出会い。
一人一人の旅行者がつながっていく
そんな宿を作りたいそうです。

京阪神にお住まいのかたでも
終電を逃しそうになったら行ってみて下さい。
http://www.sumobackpackers.com/jap.html
12時までなら電話を一報入れれば泊まれるそうです。


昼過ぎに、今城夏子さんという方に
Mebicにお越しいただきました。
シェアハウスに住んだり旅先ではドミトリーに泊まったり
している方です。
大阪に、いろんな立場の人が出会う場を作りたい。
そう考えている人は実はいっぱいいるのかも知れません。

札幌や沖縄や京都にはあって大阪にないもの、
それがこうしたドミトリー式の宿のようです。


2003/09/04(木)
すべてクリエイティブと括れそうな人脈
夕方に、Joint+bの平松さんが
Mebicに来られました。
ちょっと大きなWEB構築のお話を持って。

Mebic運営協力団体の
デジタルクリエイターズの方をご紹介。
良い話になればと思います。

同じ頃に、ペルレトゥームの吉岡さんが
明日のOCC!講座の準備に来られました。
「プログラマーのクリエイティビティを問う」
ゲームやプログラム作成の現場を見せたりと
かなり充実した内容の講座になりそうです。
http://www.mebic.com/seminer_info/index.html

10時過ぎに仕事を上がってから中崎町AManTOへ。
実験哲学カフェ終了後に合流。

その後西原さんとシングルズへ。
そこで演劇ライターのヨシナガさんと
元惑星ピスタチオの保村大和さんに会いました。

保村さんは、今日までの
パルコプロデュース「WEE THOMAS ウィー・トーマス」に
出演しておられ、12時からの打ち上げ待ちで
寄っていただきました。
西山さんのバーで、ストーンズの話題で盛り上がりました。

そのままダイワでの打ち上げに合流。
今回公演の演出の長塚圭史さん
阿佐ヶ谷スパイダーズの中山祐一朗さん
ジョビジョ バの六角慎司さん
ナイロン100℃の三宅弘城さん、山内圭哉さん
そして130Rの板尾創路さんらとご一緒。
2時まで飲んでて、一足先に失礼しました。


2003/09/03(水)
ユースホステル計画
毎朝大阪駅から扇町への出勤途中に
KKR、東急イン、シャンピアの前を通ります。
一体どんな人が泊まっているのかと注意しています。

USJのバッグを持ったカップルや家族連れ
アジアからの買い物目当て?の観光客
出張でやって来たサラリーマン。

彼らには、大阪という街はどう見えているのだろう。

日本の第二都市、大阪。
食いだおれ、お笑い、コテコテ、タコヤキ、お好み焼き、
USJ、大阪城、通天閣、新世界、日本橋、アメ村、
派手な看板、阪神タイガース、大阪ドーム、空中庭園・・・

この街のアイデンティティは一体何なのだろう。
大阪という街は、自らがどういう街かを
外向けにアピールするのが
とても下手な都市なのではないかと感じます。

僕らが日々暮らしていて面白いと感じるもの
中にいると分からないけれども
外から来た人にとってはかけがえのない経験になるもの
それらを発見し、伝えることにあまりに無自覚なことが
今の大阪の閉塞感を生んでいるような気がします。


今、扇町か中崎町に
ユースホステルやドミトリーのような形式の
バックパッカーのための素泊まり可能な宿をつくる
というイメージを持っています。

ユースホステルは大阪の都心にはなく
服部緑地と長居公園にあります。
中津にバックパッカー向けの宿が
南森町にペンションがあるのをそれぞれ発見しましたが
そうした宿が都心に多いとは決して言えない現状です。

たとえば、日替わりのペアレントやホストがいる、とか
ボランタリーに大阪案内を引き受けてくれる人がいる、とか
そこに行けば大阪での観光・イベント情報が集まる、とか
そんな宿を作ることができないか、というイメージです。

そうしたイメージが実像を結ぶのかどうか
みんなで話し合って見極めたいと思っています。

ここでTalkin'Aboutのお知らせ。

「ユースホステル計画」10/7(火)19:30〜@南森町グリニッジ
バックパッカーのための拠点を実際に作ることを
めざしたプロジェクトです。

興味を持っていただける方のご参加をお待ちしています。


2003/09/02(火)
真昼に扇町から谷九まで自転車。溶けそう。
昼に谷六あたりを自転車でうろうろ。
「空堀ノスタ」という町屋カフェで食事をして
町屋再生でできたお店などを見ていました。
そこを若い外国人のグループが見学していました。
こんな観光もありかな、と。


今日は「説教バー」。
藤田さん、中楠さんのお二人が実習を受けられました。

その後はそんなに多くの人は来なかったので
予告通りブレイクダンスの日本大会・世界大会の
ビデオを流していました。
いた人には無理矢理見ていただきましたが
好評で何よりでした・・・


2003/09/01(月)
不景気のせいにはしたくないなと
今日のグッドデザイン博覧会は
日中暑かったせいもあってか
夕方から来られる方が多かったです。

それでも延べ30人位でしょうか。
もっとしっかり告知しなければ、と反省です。

Talkin'Aboutで3年5ヶ月
Common Bar SINGLESで2年4ヶ月
グッドデザイン博覧会で7ヶ月
マスコミで色々取り上げられてきても
過去にどれだけ人が集まっていても
ふと油断すると、お客さんの足が遠のきます。
こわいものです。


明日(暦的には今日)は説教バー。
今回も2人ほど実習生が来られるようです。
お客さんが少なかったら、最近のブレイクダンスの
ビデオでもかけて観ていようかと。


2003/08/30(土)
無料デザインフリマ、あるいはデザインショーケースとしての
OMSのスーベニール(雑貨店)にあった木棚を
先日OMS裏の駐車場からMebicに運びました。

何ヶ月も雨ざらしになっていて
一部腐っていましたが
腐っていた部分を切り落とし
ペンキを塗り直して、2Fのレストスペースに設置。
明日のグッドデザイン博覧会に備えてみました。


グッドデザイン博覧会
既に7回目になります。

もともとは、個人で雑貨を輸入したり作ったりする
人たちのための、無料で出店できる月1回の
マーケット、と考えてOMS時代に立ち上げたものですが
「自分でグッドデザインだと思うものなら
 何でも出品可能」というルールが
グラフィック・WEB・映像・プロダクトデザイン
など、さまざまな作品・商品のショーケースになる
ということに気付き、6月からはMebicの
主催事業、という位置づけにしてみました。

午後1時から7時まで6時間。
出品された方はそのまま長時間滞在して
いろんな方と喋って、ネットワークを広げる
サロンのような場所になっています、今では。

僕が去年フランスで買い付けてきた雑貨を
毎回出品していますが、今回は西原ユウコさんが
7月に買い付けてきた商品も並ぶそうです。

Mebicの入っている大阪市水道局庁舎は
土日に正面玄関が閉まっており
入口が分かりにくいのが大きなネックなのですが
そうしたハンデを乗り越えて、ぜひお越しください。


2003/08/30(土)
今日は残念な告知
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
扇町クリエイティブ・コンファレンスVol.2
「D&DEPARTMENT×TRUCK×graf」 中止について
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9月15日に開催を予定しておりました
扇町クリエイティブコンファレンスVol.2
「D&DEPARTMENT×TRUCK×graf」は、
諸事情により開催を見合わせることとなりました。

当イベントにご期待いただきました
多くの方々に、お詫びを申し上げます。

なお、今後の開催につきましては
現在調整を行っており、詳細が決まり次第
当サイト、メールマガジン、チラシなどで
お伝えさせていただきます。



人について学ぶことが多い今日この頃です。


2003/08/29(金)
やりたいことのためにどこまでも突き進む、ということ
今日の講座はアクターズ・アカデミー森羅の康有羅さん。
俳優になるためにさまざまな努力と苦労をして
そして評価され、舞台やTVドラマに抜擢され
その後大阪に戻って、今度は俳優学校を作るまでのお話。

16歳、高校生のときに
最高のシチュエーションで舞台に立つことを目指し
無理矢理劇団四季の稽古場に入っていった話
当時大人気だった状況劇場の稽古場に潜り込み
20日間寝食を共にした話
演劇集団「円」で俳優としての研鑽を受けた後
お茶汲みで入った稽古場で大抜擢された舞台で
大成功した話などは
多くの人に聞いてほしい逸話です。

舞台での演技と映像での演技の違い
俳優として売れていくための道筋
そして演劇という表現が人にどう役立つか
小劇場にも、今、こんな視点が必要です。


2003/08/28(木)
人は変わることができる、と考えること
今日はactualize works gramの本田隆二さんに
講座をお願いしました。
なんばHatch横の「Logic」など
7軒の飲食店を経営し、その他空間デザインや
生活プランニングなどを仕事にしている方ですが
その経歴がすざまじい。

中学を出て家出少年となり
ビラまき他さまざまなアルバイトを経験し
そこから自分なりの「成功の法則」を見つけていき
20歳になって独立し、ビジネスを広げていった本田氏。

すかして生きてきた自分が、人にほめられたり
声をかけてもらったことで変わっていった経験から
人を変えていきたい、という思いを
強く持っておられます。

このあたり、僕も見習わないと、と思います・・・


今日お昼に南森町のグリニッジへ。
コンテンツレーベルカフェの奥山さんが
たまたまお店に立っていました。

いろいろ話したところの成り行きで
10月7日にグリニッジで
Talkin'Aboutを行うことになりました。
タイトルは「ユースホステル計画」。

この企画については日を改めて
ちゃんと日記に書くことにします。


2003/08/27(水)
編集&ライター講座なんていらない
今日は元Lマガジン編集長、現在フリーライターの
沢田眉香子さんの講座を開催。
その名も「編集&ライター講座なんていらない」。

このタイトルは、沢田さんが編集長として
編集者やライターになりたい人を数多く見てきて
感じてきたジレンマをそのまま表しています。


世に数多くある「編集&ライター講座」。
そこで教えられる文章の書き方や
面接を通過するためのテクニック。

華やかな世界に憧れて
自分が文章に関わって何をしたいのかを
はっきりさせないまま、自分なりのものの見方を
持たないままにテクニックで勝負。
そして高い倍率を勝ち抜いて就職できたとしても
理想と現実のギャップに気付き
すぐに辞めていってしまう。

この分野には、そういう大きなミスマッチがあるようです。


沢田さんは、そうした編集・ライター志望者の
幻想を打ち砕いた上で、現実を覚悟して
その仕事につきたい人がいるかどうかを
見ていたようです。

講座の後の質問の少なさ。
それは何事かを表していました。


シングルズは小夜子バー。
ユウコさんがフランスで買い付けた
雑貨の話をしていました。
今度の日曜の「グッドデザイン博」に
出品いただけるようです。


2003/08/26(火)
中津あたりも射程に入れておくべきかと
今日は昼休みに中津方面へ。
世界長ビル裏の「スパイス飯店」でタイカレーを食べ
そこから少し入ったところにある
「SUMO BACKPACKERS」という
民家を活用したバックパッカーのための宿を確認し
(SUMO BACKPACKERS http://www.sumobackpackers.com/
それから線路を越えて阪急中津の商店街へ。

シングルズのマスターだった
正木ミサコさんがオープンさせた
「mitoあ」という古着&カフェのお店を
少しだけ覗きました。

中津あたりは、アジアな感じです。
新たなポイントが増えつつあるようです。


シングルズは沖村君。
今日は新たな「プロダクション」のあり方について
熱く語ってみました。


2003/08/24(日)
才能への嫉妬こそがプロデュースの原動力
今日は昼3時にZEPP OSAKAへ。
JAPAN DANCE DELIGHT Vol.10 FINALを観にいきました。
平たく言えばストリートダンスの全国大会の決勝です。

全国各地区の代表に選ばれたグループが
33チーム集まってのコンテスト。
会場は一杯になり、DJのMCにノッて
大いに盛り上がってました。

大学時代をブレイクダンスに捧げた立場としては
感動と、悔しさの連続でした。


ブレイキングという
床で回ったりする体操のような技は
はっきりと才能の有る無しを分けます。

クラスで5本の指に入る程度の運動神経だった僕は
サークルやスタジオで練習し
夜中には大学内の道場に忍び込んで練習を重ね
何ヶ月もかけて、ウインドミルを回れるようになりました。
それからトーマス旋回を1周だけ回れるようになり
ヘルメットかぶってヘッドスピンを少々。
大学4年の時には、黒人のダンサーと一緒に
歩行者天国で踊ってましたが
一流のダンサーには程遠い存在でした。

(仮に一流になれたとしても
 当時はダンスで食っていくための道は
 ほとんど開かれていませんでした。
 当然のごとく、僕は普通に就職し
 ダンスからだんだんと離れていきました。)

今のブレイクダンスは
10年前の僕の現役時代から随分進化しています。
全国大会レベルのダンサーの技は並大抵ではありません。

今回のコンテストでは
1位から3位までの他に、特別賞が7チーム。
賞を取ってもいいチームはもっとたくさんいました。
それ位素晴らしい大会でした。

(最近では、一流のダンサーが教えることにより
 生計を立てる道筋が生まれてきたそうです。
 ダンスで生計が立てられるからこそ
 更にレベルが上がっていく。
 そんな循環がストリートダンスには出来ています。)

才能をプロデュースする立場は
才能への嫉妬と隣り合わせにあります。
そして一流の才能が食っていける状況を作ること
それはプロデュースする側に回った者の責任です。
(自戒を含めて書いておきます。)


2003/08/24(日)
すべての道は扇町公園に通ず
今日は夕方4時半に家を出て
マウンテンバイクに乗って扇町公園に向かいました。

芦屋の自宅から扇町公園まで十数km。
扇町キャンプは5時からだったのですが
40分も遅れての到着となりました。

扇町キャンプには結局10数人の方が参加されました。
(かなり控え目に宣伝したので、だいたい予想通り)

夕方5時から、10時過ぎまで。
音楽話から阪神話、そして怪談、花火。
夏の夕暮れから宵の内を
丘の上でまったりと飲んで過ごしました。

その後酔った頭のまま、OMS批評賞の方々が立ち上げた
CCC(=Curture Critic Clip)の
ミーティングに顔を出し
それからCoxcombのシングルズに行き
またマウンテンバイクで自宅に帰ってきました。
今度は1時間半近くかかりました。

この、忌野清志郎のような取り組みについて
自分なりに理由を考えてみるのですが
そんなことが今、自分にできるだろうか
と考えた途端に、自分にとって
丁度いい挑戦のネタになった
というのが一番近いでしょうか。

自分の家の前の道がちゃんと大阪まで続いていて
近所をうろつくような恰好のまま
キタのどまん中に出ることができる。
これは自分の中の空間感覚を
ちょっと狂わせる経験でした。


2003/08/23(土)
フロンティアでは経済/文化は未分化のものとして立ち現れるのです
火曜日にはアートコンプレックス1928の小原啓渡さんに
ロングラン公演と投資システムのお話を
水曜日にはカナリアのトノイケミキさんと
AD−EYESの北川浩之さんに
雑貨づくりについてのお話を
木曜日にはRCSの佐藤英明さんに
ミニシアターのお話を
そして今日金曜日には
パークの藤本智士さんに
フリーペーパーのお話を
それぞれしていただきました。

扇町クリエイティブカレッジ!(OCC!)
おかげさまで好評をいただいています。

起業家支援のための講座というと
一流の経営者めざしてとにかく頑張れ
今の時代の勝ち組になれ
みたいなノリが一般的です。

が、クリエイティブの分野では
自分のやりたいことをやり続けていたら
いつの間にかビジネスとして成立していた、とか
勝ち組なんか目指さなくても
自分のやりたいことで生計を立てられればいい
といった話をよく聞きます。

自分の「やりたい」を形にすること
そしてそれを経済の帳尻を合わせながら具現化すること
そうした道をめざす人のための講座を
作っていこうかと。

金を儲けることを最初から目指すのではなく
面白いからやる、面白いから人が集まる
それが経済になることもあれば
文化になることもある
クリエイティブな新規事業とは
そんなプロセスを経て生まれてくるはず
そう思っています。


明日(暦的には今日)は「扇町キャンプ」。
夕方5時から扇町公園の丘の上で飲んでます。
シングルズマスターの集まる飲み会ですが
今回は今まで以上に段取りを組まないで行います。
さて、どうなることでしょう。


2003/08/21(木)
行政とは富の再配分のための装置である
大阪市は3セクの失敗にからむ話で
最近世間の注目を集めております。

税収が六千億を切って更に減少傾向にあり
加えてWTC、ATCをはじめとする
第三セクターの数百億に達する
累積赤字のツケを背負うことになったらどうなるのか
全く他人事ではないのでヒヤヒヤしております。

さて今日は、どれだけの方に
理解していただけるかどうかわからぬまま
大きな話をしてみようかと。


行政は何のためにあるのか。
それは端的にいえば
富の再配分のためにあると言えます。

市場経済が導入された社会においては
人々が必要とするものは、基本的に市場を通して
供給されますが、市場の原理に任せておくと
「人間生活にとって必要だが供給されえないもの」
が出てきます。これを「市場の失敗」といいます。

警察・消防・外交・軍事・医療・福祉・教育・文化
といった、市場の原理では公平に供給しえない
財・サービスを提供することにより
すべての市民が最低限度の生活を
送ることができるようにすること
それこそが行政の役目です。

しかしながら、行政に任せておくと
富の最適配分が行われるか、というと
決してそうはなりません。
これを「政治の失敗」と呼んでいます。

予算を使い切るため、組織を守るため、
そして一部の関係者の利益のために
必ずしも必要とはいえない
財・サービスを提供することにより
行政は大いなる赤字を抱えることになりました。

「市場の失敗」と「政治の失敗」。
両者をともに超克したところに
新たな富の再配分のための
システムをデザインすることが
今ほど求められている時代はありません。

今、NPOに代表されるボランタリーな経済が
両者の溝を埋める役割を果たすことを期待されています。
おそらく世の中はそんな風に流れていくでしょうが
あと数年、政治が本格的に失敗してしまう前に
きっちり形を作ってしまわないと
大変なことになるのでは、と
心配しています。

(こんな心配をしているのは僕だけでしょうか?)


2003/08/18(月)
それがわかったら・・・それがわかったらねえ…
今日、大阪市内のある施設の方が来られ
OMSでは建築基準法、消防法、興行場法を
どうクリアしていたか(または、いなかったか)を
聞いていかれました。

新しい劇場ができるかどうかの
瀬戸際なのでしょう。
いい話になることを願っています。


実は僕の仕事場であるMebic扇町の入っている
大阪市水道局庁舎の地下1Fには
職員食堂跡があります。

水道局本体は今から2年半ほど前
3セクの失敗で赤字となっている南港WTCに移転し
今は遊休施設となっています。
(そこに経済局がインキュベーションを作ったのです)

今年度中にはほとんどの空きスペースが
公共団体により埋まるそうですがが
地下1Fだけは、建築基準法、消防法、興行場法の
問題がクリアできないとのことで
今後とも手付かずの予定です。

ここは天井高3m強で、柱が何本もあるのですが
100〜150名を入れて演劇公演をすることが
できる位の広さがあります。

食堂跡以外にも、購買部跡や理髪店跡、喫茶店跡、
パン屋・めがね屋・時計屋跡などがあり
劇場&雑貨店&カフェができる雰囲気です。

ここが新しいOMSになったらと
1年半ほどかけて調整してみたことがあります。
ついでに水道局南側にある「南分室」という
4階建ての建物を演劇稽古場にする、という案も
あわせて提案していましたが
結局諸般の事情により流れてしまいました。

行政を相手に物事を通すという作業は
スルーパスを通す作業に似ています。
さまざまな法的な制約条件をクリアしたとしても
行政の担当者がそれを望まない限り実現しません。
(実は僕が今Mebicにいるのは
 それが唯一通ったスルーパスだった、という
 ことなのです)

大阪市の市長が11月末に替わるようですね。
さて、布陣はどう変わるのでしょうか。


今晩は「仕事の話をしましょう」というサロンを
企画していましたが、誰も参加者がなかったので
8時過ぎにMebicを出てシングルズへ。

何ヶ月かぶりの空き日だったので
エアコンのフィルター・換気扇などを
掃除してから帰りました。


2003/08/17(日)
夏の抱負
この3日間、京都に籠っていました。
茶山や一条寺あたりの
カフェや本屋をうろうろしたり
嵐山にある保津川ぞいの茶店で
ビール飲んだり。

ゆっくりと時間を過ごしながら
自分が今、何をしようとしているのかを
振り返ってみました。


OMSからMebicへ。
文化施設のクロージングから
経済振興施設のオープニング。
立場は随分変わりましたが
やっていることの本質はあまり変わりません。

それは、才能を見つけ出して世に出すこと。

地盤沈下の著しい関西経済においては
ありきたりの発想を超えた問題解決法が求められています。

そこでは従来のビジネスの分野からの発想だけでなく
アーティストやクリエイターのもつ創造的才能が
改めて注目されています。
(アーティスト・クリエイターの集積によって
 創造的問題解決のポテンシャルが
 高くなっている都市を「創造都市」と呼ぶそうです)

クリエイティビティの高い仕事をしている人
クリエイティビティの高い問題解決法を持っている人
そうした人たちを紹介していくこと
そうした人たちのネットワークを広げていくこと
その先に、ある可能性を感じています。

「創造都市」においては
芸術や文化は創造的問題解決の源泉です。

経済が疲弊しているから芸術文化を切り捨てるのではなく
経済が疲弊しているから芸術文化に期待する
そういう発想の転換がここでは求められます。

経済と芸術文化の二項対立、という発想を脱して
それらがともに世の中を支えるようにデザインすること
それをゴールに設定して、いろいろ仕掛けていこうかと。

さて、明日からまた仕事です。
シングルズもしばらくご無沙汰しました。


2003/08/15(金)
才能を世に出すにはやはり主宰者のブランディングが不可欠かと
午前中に京都駅へ。
関西シー・エスの高木伸浩さんと会ってきました。
京都在住で、新書や単行本の企画を
東京の大手出版社に売り込む
編集プロダクションの仕事をしておられる方です。

関西にいながら東京の出版社とつながり
関西の面白い人、コンテンツを持った人を売り込んでいく。
このスタンスは素晴らしいなと。

ちなみにこのサイトの
体操着御用達業者の話は面白いです。
http://www.venven.jp/ven0703/ren/ren15.html


夜はMebicで「About Talkin'About」。
トーキンアバウトの企画会議です。

今日の参加者は桐谷さん、八幡さんと僕の3名。
すでに何十も挙がっている企画案について話したり
「フリーペーパー」や「アルバイト」というテーマで
実際に話したりしてみましたが
ある所からルームシェアの話からユースホステルの話
泊りがけのイベントが面白いのでは、という話へと流れ
実際に扇町か中崎町にユースホステルを作ることを
最終目標にしたサロンを開こう、というところに
不思議な意見の一致をみました。

名付けて「ユースホステル計画」。

実際にいくつかのユースに泊まりに行ったり
ペアレントになるための条件を調べたり
本気で活動に参加したいという人がある程度集まったら
実際に不動産を探してみる、ということろまで
やってみてはどうかと。

さてこの企画、どれだけ賛同者を得られるでしょうか。
(次回会合は10月中旬を予定しています)


扇町Talkin'About。
それぞれのサロンの主宰者が誰なのかが
分かりにくい状態で500回以上も続けてきましたが
遅ればせながら、そろそろ主宰者の人となりが
はっきり分かるようにしていこうかと思っています。


2003/08/14(木)
こうして街から情報を得ているのです、僕は。
夕方に、南堀江に7月に移転した「cafe mode」へ。
音響空間デザイナーの辻邦浩さんと打合せ。
水のスピーカーを開発して
ヴェネツィアビエンナーレでも評価された方です。

モダニズム建築の再活用の話
大阪デザイナーズウィークの話
大阪におけるアートとデザインの融合の可能性の話
大阪にカフェ文化をいかに根付かせていくかという話
などなど、いろんなお話を伺いました。

こういった分野での、大阪での知恵袋のような方でした。


仕事を終え、シングルズに向かう途中に
バー「BANG!」の川原さんに会いました。
そのままお店に一緒に行くと
出馬康成監督が来ておられました。
「マブイの旅」という
沖縄を舞台にした映画を完成させ
9/6からの十三・第七芸術劇場での公開にさきがけ
東京から宣伝に来られていました。

沖縄の映画とのことだったので
大正の関西沖縄文庫をはじめとした
大阪の沖縄ネットワークについて
いろいろご紹介しました。


その後シングルズへ。
「ジュメール」というブランドを立ち上げた
山根さんと川上さんがマスター。
ペルペトゥームの吉岡さんもいました。
「グッドデザイン博」の今後の展開について
いろいろ話し合いました。


2003/08/13(水)
人間が従っている法則について思いを廻らす
JR芦屋駅午前9時8分の快速電車に
乗ることが多いのですが
あえて女性専用車に乗ることがあります。

三宮駅までは真っ当に女性専用車両
午前9時を過ぎると
男性が入ってもいいルールになりますが
それが午前9時8分あたりだと
それまで女性専用車だから乗っていた女性が
多く残っている状態になっています。

このシチュエーションは
とてもいろんなことを教えてくれます。
(何を教えてくれるかを知りたい人は
 実際に乗ってみてください。)


夜には中崎町天人で「街並フェティッシュ」。
ペルペトゥームの吉岡さんと三重野さんが
企画したサロンです。
最初は3人でしたが、だんだん人が増えて
最盛期は11〜12名で喋ってました。

飛田新地の話に始まり、京都・五条楽園の話
そこから一般的な遊郭や悪場所の話
釜ヶ崎の寄せ場の話、ニュータウンの話
それらを支える街並みがいかに生まれ
いかに壊されるか、または残されるか。
話はいろんな方向に転がりました。

トーキンアバウトが茶話会の域を超えて
セッションになることが時々あります。
今日はそんな感じでした。


2003/08/12(火)
席に座っていない一日
午前中に京都まで。
立命館大学の佐藤典司教授にお会いしました。
電通に18年おられ、その後立命館に移られ
「デザインマネジメント戦略」
「情報消費社会の経営戦略」
といった本を書かれている方です。

機能の消費ではなく情報消費のウエイトが高まる
現代の高度消費社会において
企業のデザインやブランディングをどう考えるか
これは今、とても大事な視点です。
たぶん大阪の活性化につながるぐらい大事でしょう。

ちなみに僕が佐藤教授を知ったのは1ヶ月前。
図書館で「デザインマネジメント戦略」を
借りて読んでからです。
これぐらい無理矢理人と会うというのもまた一興。

昼からフリーライターの服部貴美子さんと打合せ。
服部さんはフリーのライターさんで
1年半前に「日経レストラン」で
シングルズの経営について取材いただいた方です。
次号の「日経キャリアマガジン」では
扇町クリエイティブカレッジ!(OCC!)を
取材いただきました。

今日は説教バー。
3名の新マスター候補と
多くのマスターにお越しいただきました。
久々に粂君が来たり
東京から大橋君が実習受けに来たりと
賑やかで楽しいお店になりました。


2003/08/11(月)
どこでもサロン
昨日はgrafの増地さん、BOOKLUCKの山村さん
Mebicの堂野所長、松井さんと高野口へ。
パイル織物やメリヤスの工場・
ショールーム5ヶ所を見学。
僕は7/19にも行ったので二度目です。

grafはインテリア、山村さんは洋服屋の
仕事をしているので話が早く
産地と一緒に何かすることになりそうな感じです。
帰りの電車の中でビール飲みながら
今後のいろんな展開について話し合ったのが
とても楽しかったのでした。


今日は昼から神戸アートビレッジセンター(KAVC)へ。
「ソーダッタンダ」というイベントを覗きに。

これは、KAVCを拠点に活動している
「芸術環境整備事務所」メンバーが企画する
相談形式のサロンです。

美術家の藤浩志氏
アートディレクターの下田展久氏
インディペンデントキュレーターの雨森信氏が
訪れた相談者の相談を受けていました。

カフェのようにしつらえられたギャラリーの中の
3ヶ所の相談コーナーで繰り広げられるサロン。
人と人とがつながる、いい雰囲気が生まれていました。
おかげでずいぶんいろんな人と出会いました。
これが常設になればいいなと。

夜はバナナホールへ。
のマドのレコ発記念ワンマンライブでした。
やはりいいです、のマド。
ライブ後にはお客で来ていたチャンキー松本さんに
いろんな人を紹介していただきました。

その後「読む前に書け」終了後のシングルスへ。
参加者のみなさんはまだ残っておられ
盛り上がってました。

明日(暦的には今日)は「説教バー」です。
多くの方のお越しをお待ちしております。
僕もいろいろ相談に乗ってみることにしようかと。


2003/08/09(土)
台風だというのにMebicは賑やかで
昼からエクスボウトの吉田卓史社長と藤原健吾さん
そして日本のSEOの草分け的存在の
住太陽さんにお越しいただきました。

SEO(検索エンジン最適化)という技術は
あるキーワードで検索したときに
自社サイトが上位に表示されるように
するための技術ですが
どんな言葉を検索ワードに選ぶのか
また最終的に自社商品が売れるようにするには
どうすればいいのか、など、奥が深そうです。

夜には樋口ヒロユキさんのサロン
「はじめてのアートシネマ」をロビーで開催。
台風の中6名がタルコフスキーの映画を観て
話していました。

参加者の中に、昨日から3日間
10月公演のチケットを売りに東京からやってきた
劇団黒テントの本木さんと木野本さんがおられました。
OMS時代に何度も公演をしていただいた劇団です。

また同じタイミングで、劇団WI'REのメンバーが
12月公演のための映像を撮影にやってきました。
水道局の廊下で撮影していました。

インキュベーション施設がまるでOMSのようでした。

シングルズはむてぃ&きゃすぃ。
樋口さん、本木さん、木ノ本と押しかけて飲んでました。


 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
[TOP]
shiromuku(hu1)DIARY version 3.02