過去の日記 37

2008/05/13(火)
インプット・アウトプット・自分・他者
西村佳哲さんの「自分の仕事をつくる」の中に
つくる力は「観察力」にしたがう、という
話が出てきます。

 完成度の高い仕事には、その働き方の随所に
 物事に対する観察力を高め、解像度を上げる
 工夫があらかじめ含まれている。


作り手がどれだけの作為を凝らしているかを
まずしっかり観察し、自分自身のイメージ精度を
上げていくことが、その人の仕事の質につながる
という話です。


ものをつくったり表現したり教えたりという
アウトプット先があると、自分がどんな風に
知識や情報やイメージをインプットし、それを編集して
相手にわかりやすくプレゼンテーションする
という訓練ができてきます。

アウトプットにある程度の量とスピードを
要求されるようになると、それまでの蓄積だけでは
間に合わなくなるので、入力と出力を
同時並行で行なうようになります。

出力先が見えている状態で入力を行う
という作業はスムーズな工程なのですが
確とした「自分モデル」というものを前提にすると
「他人軸に合わせた妥協」という意味合いを持ちます。


茂木健一郎さんの「脳と創造性 -『この私』というクオリアへ-」
の中には、「自分と他者」についてこんな話が出てきます。


 しばしば、それまでにないユニークなものを創造する行為は、
 自分が何者であるかを発見する「自己発見」のプロセスと
 結びつけられる。

 若者は創造的でありたいと主張するが、そのような主張と、
 いわゆる「自分探し」を希求することは、しばしば結びついている。

 実際、創造性の発露の最高の形態の一つは、自分自身が
 変わることである。しかし、ここでいう「自分」の存在が、
 他者という存在と無関係に成り立つものではないことは言うまでもない。


他者によって、私は変わる。
自分が自分だけで完結していないというモデルを
意識することが、創造的であることの一つの
ヒントとなる、と。


この話を、インプットとアウトプットの話として
みてみると...


若い頃に何かしらに触れ、影響を受け、
自分らしさを意識していくときに
ほとんどの人はアウトプット先を
意識していないのかも知れません。

表現するというアウトプット先が
あらかじめない状態で、何らかのきっかけで
自分の中にインプットされたものが
いつの間にか自分の中で大きくなって、
自分軸を形成していく。
それがオーバーフローするように
アウトプットが生まれる。

ここまでのプロセスには、
他者は大きくは介在していません。
「自分探し」とは、たまたま何かに感染した
歴史としての自分を探し直すことなのでしょう。

しっかりとしたアウトプット先ができると、
自分の中の蓄積だけではすぐにネタが尽きてきます。
なので依頼を受けて自分の中にないものを
いったん入力してから出力するというサイクルに入ります。
そのインプットが、自分の幅を広げていき
またアウトプットに独特の彩りを加えるのは
若い頃にその人の中に蓄積してきたものなのでしょう。

他者によって、私が変わるということを
実感をもって意識できるようになるのは
このあたりまで行ってはじめて起こることなのかな、と。

(つづきはまた今度)


2008/05/12(月)
御堂筋アートグランプリ2008









昨日は御堂筋を歩行者天国にして
御堂筋オープンフェスタというイベントが
行われていました。

お金を出しているのは国交省と大阪市。
平松市長だけでなく橋下知事も挨拶に来ていて
二人で一緒に大阪を盛り上げていきましょう、と。

パレードからホコ天へのシフトが
進んできているようにも見えます。

まあ、そのあたりの政治は個人的にはどうでもよくて。


<左>juju(MORTAL COMBAT)のワンハンド・ステッピン。
   片手逆立ちでいつまでも踊っています。
   残念ながら片手になる前にシャッターが切れました。
   ちなみに左の方で赤いTシャツ着てる大野君は
   テレビに出て1分間にヘッドスピン101回回って
   世界記録を作っていました。

<右>アーティスト浜崎健さんと、イギリスのファッション誌
   「ISSUE ONE」の編集長ポーラス氏。
   御堂筋で行われるクールなアートイベントに
   クールなファッション誌がぜひ出展したいと
   今回御堂筋にパネルを立てました。

御堂筋オープンフェスタに乗っかって
MAG(御堂筋アートグランプリ)という
世界的に注目されつつあるイベントを立ち上げている
ヤマモトヒロユキさんに大リスペクトです。


2008/05/08(木)
サザエさんでふりかえる昭和









ゴールデンウィーク前に
「サザエさん」を大人買いしました。

もともと姉妹社から全68巻ででていたものを
朝日新聞社が全45巻にまとめたものを
ヤフオクで8千円弱で落札。

昭和21年から49年まで連載されていた
「サザエさん」の中で「外食」が
どのように描かれているかを調べる
というのが大人買いの目的でしたが
本来の目的を忘れてはまっています。

とくに最初の方が面白くて
磯野家ではヤギを飼っていたり
家の前でタドンを練って作っていたり
満州からの引き揚げの話が出てきたり
配給やヤミ米の話が出てきたり
押し売りが玄関先に居座っていたり
サンマータイムで時計の針を早めたりしています。
リアルタイムで経験していないこの頃の生活感に
憧れを抱くのはないものねだりなんでしょうかね。


2008/05/02(金)
サロンの伝説化と持続可能性
フランスの現代思想家サルトルと
その事実上の妻ボーヴォワールは、1940年代、
セーヌ川左岸のサンジェルマン・デ・プレにある
「カフェ・ド・フロール」に毎日出入りして
書斎や応接間のように使っていました。

「フロール」はその後、実存主義者のたまり場として
新聞や雑誌などで広く世に紹介され、観光客が押し寄せ、
ついにはサルトルたちはここを離れ別の場所に集まるように
なったそうです。


1976年に作家の佐木隆三が、『復讐するは我にあり』で
直木賞をとった時、マスコミは新宿ゴールデン街の
常連だった佐木を追い、そこで飲み歩く佐木の姿を
競うように全国に報道しました。

それまでも作家、詩人、漫画家、映画、演劇などの
文化人が安酒を飲みながら議論に明け暮れる場として
知られていたこの街は、その後「文化人の街」として
全国に知られるようになりました。


文化人が集まる街はどうやら、
このように伝説化するらしい。

寺山修司はある時期、毎週同じ曜日に
同じお店にいるようにしていたそうです。
これは打ち合わせをしやすくするという意味から
そうしていたのだと思いますが、もしかしたらこの
伝説化の原理を知ってそうしていたのではないかと。

現在発売中のエルマガジンに、
中崎町のイベント特集が載っています。
店主対談で僕も出していただいたので
中崎町のサロン活動について、
上のようなことを話しました。

伝説化したとたんに終わってしまう活動、
では困るので、どうやったら今の雰囲気を
持続させつつより開かれたサロンを作れるか
ということを、考えています。

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今晩のcommon styleには、僕がマスターで入っています。
またGW明けの7日にも急遽入ることになりました。
おヒマでしたら、覗いてみてください。


2008/05/01(木)
いまどきの大学生はひとくくりにできない
大阪商大の講義が、すでに3回終わりました。

世代や背景が違う人たちが集まる「サロン」が
これまでにその経験のない学生にとっても
興味の湧く話にするというのは
始まってから気づいた課題でした。

で、内容をinput(情報収集〜編集)と
output(プレゼンテーション)の講義として
再編集してお届けしています。
その素材が「サロン」という形です。
3回目で、ようやく何をやったらいいかが
見えてきたという感じです。

スポーツに打ち込んでいる学生が多く
「授業に出ていれば単位をもらえるか」が
主な関心のようですが、教室には集まるので
そこでどんな球を投げればいいかの試すのは
こちらの醍醐味です。

6月には、ゲスト講師を招く予定です。
その話はまた追って。

逆に、ゲスト講師として呼ばれることも。

先週行ったある大学。
社会経済論という授業でしたが
教室がビーバップハイスクールみたいな感じで
まともな話をしても無理と思ったので
学生紛争の話と行きつけたバーの話をして
僕も大学時代にブレイクダンスと洋服販売の
バイトに明け暮れて勉強しなかったけど
でも物を知らないというのはダサイよと
締めくくってきました。

昨日は、神戸女学院大学へ。
内田樹さんと140Bの江弘毅さんに
呼んでいただきました。
いつも話すSINGLES PROJECTの話に
80年代に雑誌「オリーブ」が、
リセエンヌに憧れるオリーブ少女を作りだし
それが90年代以降の雑貨・カフェブームに
つながっている話などを交えました。
ちゃんと話を聞いてくれて、
終わった後には質問もいただきました。

いまどきの大学生が学力低下している、勉強しない、
という話は基本的にそうなんだろうと思いますが
大学ごとに学生はこんなに違うのかということに
今は新鮮な感動を覚えています。
今だけかも知れませんが。


2008/04/24(木)
ストリートに思うこと
大学時代にブレイクダンスのサークルに入っていた僕は、卒業前には東京・上野の歩行者天国でストリートパフォーマンスをしていた黒人のダンサー達と仲良くなり、週末に一緒に路上で踊るようになっていました。

彼らは路上でのパフォーマンスやディスコの営業などで生計を立てていて、日曜の昼過ぎになると歩行者天国に現れ、通行人たちを前に踊っていました。

僕は彼らのパフォーマンスの合間に、一人ひとりが前に出て行ってソロで踊るラインダンスのメンバーの一人として踊っていました。

路上に座り込み、行き交う人々を下から眺めていると、自分が何か社会のコードから外れた、自由な存在になったような気がしていました。

ヒップホップやレゲエをただダンスミュージックとして聴くだけでなく、そのルーツに関心を持つようになり、路上から生まれてくる文化があると知ったのもこの時期でした。黒人ダンサー達は自分たちの来歴をあまり語りたがりませんでしたが、ニューヨークの路上で踊っていた時のことは懐かしそうに話していました。

夕方五時頃になるとパトカーがやってきて、歩行者天国の終わりを告げます。時にはパフォーマンスの最中に警官に退去させられることもありました。

社会から邪魔者扱いされても、ストリートから勝手に生まれてくる文化。そんなしたたかさを持ったものに親しみ、現役を離れてからもそんな現場に少しでも近いところにいたい、そう思うようになっていました。

(「common cafe -人と人とが出会う場のつくりかた-」より)

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この5/11(日)には、ヤマモトヒロユキさんが
大阪市と地域団体で行う歩行者天国イベント
「御堂筋オープンフェスタ」の北・中地区で
3回目となる「御堂筋アートグランプリ」を開催します。
http://www.mag-net.tv/index.html

御堂筋の大動脈を止めて、2時間半だけ展開される
アート・音楽・ファッション・ストリートダンスの
一大イベント。

「大阪ライフスタイルコレクション」や、
学生ダンスコンテスト「BUZZ STYLE」との
コラボレーションも実現し、その存在意義を
次第に増してきています。

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事務所では朝から電話が鳴りっぱなしでした。
その結果は、夕方のニュースに詳しく。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200804240047.html


2008/04/24(木)
喫茶店が定着するまで
コーヒーを飲むという習慣が一般には普及していない
時代には、コーヒーをメインに提供するお店を維持
すること、ましてやイギリスのコーヒー・ハウスの
ような、文化拠点としてのカフェを成立させることは
とても困難なことでした。

可否茶館以降しばらくは、コーヒーは洋菓子屋・パン屋・
レストランのメニューの一つとして提供されていました。

この時代、不特定多数の人々が気軽に入ることのできる
都市のたまり場としては「ミルクホール」や「しる粉屋」
が中心となっていました。

明治の終わりになって、日本の喫茶店の成り立ちを考える
上で重要な三軒のカフェーが、銀座にオープンしています。

それが先に触れた「パウリスタ」と「プランタン」
そして「ライオン」です。

「カフェー・プランタン」は、ヨーロッパのカフェに
憧れた新進の芸術家たちが、仲間同士で落ち着いて
話すことのできる場所として、明治44年(1911年)に
作ったお店です。

明治初期に建設された煉瓦街の建物を、有名な建築家・
画家らが協力して模様替えし、パリのカフェを思わせる
店舗にしました。

喫茶店として店を維持できるかどうかの見通しがなかった
この時代、経営者である洋画家の松山省三は、常連たちから
維持会員を募り、50銭の会費を取って経営の足しにしていました。

会員には黒田清輝、森鷗外、永井荷風、坪内逍遥、
谷崎潤一郎、高村光太郎、北原白秋、松井須磨子、
小山内薫、市川左団次など、文学、美術、演劇などの
分野で活躍していた錚々たる顔ぶれが並んでおり、
文化人のサロンとして立ち上がったのです。


同じく明治44年(1911年)に精養軒がオープンした
「カフェー・ライオン」は、店内にバーやサロン、
食堂があり、洋酒や洋食を主なメニューとしていましたが、
なかでも人気を呼んだのは、20歳前後の女給による
サービスでした。

客同士が会話を楽しむ社交の場としての喫茶店ではなく、
客の話し相手となる女給によるサービスと、アルコールを
売りにしたカフェーの出現が、喫茶店の大衆化の
原動力となりました。

時代が下るにつれ女給のサービスはエスカレートし、
カフェーはバーやサロンと同義の内容を持つ業態が
主流となっていきます。


西欧のサロン文化を日本にも根付かせたいという
大きな志を持って立ち上がった日本の喫茶店が、
安定したビジネスモデルを模索していく中で、
明治時代の終わりには会員による維持システム、
コストの画期的削減、そしてアルコール依存へのシフト
というスタイルの分化をみたこと。

このあたり、今のカフェにも、通じるものを感じます。


2008/04/23(水)
ZAKKAな大阪










「ZAKKAな大阪」という本が
西日本出版社から出ました。

南船場の雑貨店・タピエスタイルの人たちが
カフェ・ショッピング・観光など
ノンジャンルでZAKKAな場所を紹介しています。
http://www.jimotonohon.com/

エリア特集では、北は中崎町から南は住吉大社まで。
中崎町ではコモンカフェも紹介いただきました。
コモンカフェでも販売予定です。

もう2年前になりますが、メビック扇町で最後に行った
「BOOKMAKERS' DELIGHT」の時に、ミニブックとして
発行した「ZAKKAな大阪」を出展いただいた
タピエの玉井恵里子さんと、西日本出版社の内山さんは
出会われています。

そうして2年後に、本が出版されると。
感慨深いものです。


2008/04/21(月)
日本で最初にできた喫茶店
日本初の喫茶店「可否茶館(かひちゃかん)」が
開店したのは、明治21年(1888年)のことです。

経営者は鄭永慶(てい・えいけい)。
代々長崎で中国語通訳をしていた家系の日本人です。

彼は開業にあたって学校にするか喫茶店にするか悩んだ末、
資金の都合から喫茶店経営を選んだそうです。

安政6年(1859年)に長崎に生まれた永慶は、
幼い頃から中国語と英語を学び、16歳で渡米、
ニューヨークのエール大学に学びました。

明治12年(1879年)病気で中退して帰国、
その翌年岡山師範中学校(現在の岡山大学)の
教頭として、岡山へ赴任しています。

多くの人に慕われた優秀な教師だったそうですが、
2年後地元の人たちに惜しまれつつ東京に戻り、
大蔵省に入りました。

しかし学位がなかったため役所では重用されず、
明治20年に辞職。そのうえ家が火事で全焼するという
不幸に見舞われました。

再出発をはかるべく永慶は友人から借金をし、
家の焼け跡に二階建ての西洋館を建て
「可否茶館」として開業しました。
30歳の時のことです。

当時は欧化主義の全盛期を迎えており、
「鹿鳴館時代」が華々しく幕を開けていました。
しかし「鹿鳴館」は限られた上流階級のみが
占有する社交場で、中産階級や若い世代の者たちは
一歩も足を踏み入れることができませんでした。

永慶はこの時代に「大衆庶民や若者のための社交サロン」
「知識の交友の広場」ともなる新しい喫茶店を開店して、
若い世代のために貢献しようと考えていたのです。

「可否茶館」ではコーヒーを出すだけでなく、
ビリヤード・トランプ・クリケット・碁・将棋と
遊具をそろえ、更衣室・化粧室・シャワーまでを
完備していました。

さらに硯に筆・便箋や封筒まで常備しており、
国内外の新聞・雑誌を置き、図書館をめざして
各種の書籍・書画を閲覧できるようにしていました。

イギリスのコーヒー・ハウスを思わせるような
文化施設としてのカフェを彼はめざしたのです。 

しかしながら、可否茶館の経営は芳しいものでは
ありませんでした。盛りそばが八厘だった時代に、
コーヒー一杯が一銭五厘、ミルク入りが二銭。
今で言えば千円から二千円くらいでしょう。

永慶は損を出しつつも続けていましたが、
結局は経営不振におちいり、永慶の財産は
人手に渡ってしまいました。

すべてを失った永慶はアメリカへ旅立ち、
シアトルで37歳の生涯を終えたそうです。

百二十年前に「可否茶館」からスタートした日本の喫茶店。

鄭永慶がめざした「真の社交サロン」という理想は、
今の僕らにとっても、とても新鮮なものに思えます。


2008/04/20(日)
カフェー・パウリスタ










銀座八丁目中央通りにある「カフェー・パウリスタ」。

このお店がオープンしたのは、明治43年(1910年)のこと。

創業者・水野龍が、日本からのブラジル移民の送り出しに
貢献したことで、ブラジル政府から年間100俵の
コーヒー豆を無償で提供されることになり、
ブラジルコーヒーを宣伝・普及させるために開いたカフェです。

白亜3階建ての洋館を新築し、外側をイルミネーションで
取り巻き、コーヒー販売所とカフェーを併設し、
朝野の名士を招いて華々しく開店したそうです。

一杯5銭と安くコーヒーを提供し、学生や商店の小僧でも
気軽に入れる値段と雰囲気で大いに賑わいました。

「銀ブラ」という言葉は本来
「銀座でブラジルコーヒーを飲む」を
当時カフェーパウリスタに集った文人たちが、
省略して言った言葉からきているそうです。


コーヒーを飲むという習慣が一般には普及していない
この時代には、コーヒーをメインに提供するお店を
維持することはとても困難なことでした。

パウリスタは、コーヒー豆の提供を受けたことで
仕入原価をかけずにお店を始めています。

そして開店当時
「鬼の如く黒く 恋の如く甘く 地獄の如く熱きコーヒー」
というコピーで人々の注目を集めました。

カフェーパウリスタの伝票の裏には
「コーヒーの起源」という文章が掲載されています。

 1258年頃、アラビアの僧が罪を犯して追放になった。
 放浪中、飢えて食物もなくふと見ると潅木に赤い実がなっているのを採り食べてみると美味でしかも不思議なことに心身興奮して気分爽快となった。
 この実を焙って沸かして飲んでみたが効能に変わりがなく病者に施して病を治してやったのでその功により再びモカに迎えられて聖者の位についたという。

それまでなかった舶来品としてのコーヒーを
日本に定着させるためのプロデュースを
いろいろ読み取ることができるお店です。

*現在のお店は昭和45年に再開されたものです。


2008/04/16(水)
いろいろと
さて、ひとつのまとまりにならなさそうな
近況ご報告など。

■「サロン文化社会学@大商大」が始まりました。
 過去のサロンにについていろいろ調べつつ
 今の時代にサロンを成立させる条件を
 探っていくという15回ものです。

 最後には試験を行うのですが
 その問題を初回に公表しました。
 
 「集団による知の創発は、どのように起きるのか?」

 学生のみなさんには、毎回の講義で
 いろいろな素材と編集方法を伝えていきますが
 問題解決の主体は、すでに彼らの方にあります。

 そんな実験をしています。

■先月から、小松左京さんが主宰するサロンに
 出させていただいています。

 梅棹忠夫さんが60年代に始めた「近衛ロンド」の
 系譜を引くこのサロンには、文化人類学、民族学に
 造詣の深い人たちが参加されています。
 年配の方が多いのですが、知的好奇心旺盛な方々で
 一人の人の報告に対して、いろんな話が飛び出します。

 今月は、僕の方から
 「サロンとしてのカフェ、ビジネスとしてのカフェ」
 という報告をさせていただきました。
 そしていろんなアイデア、指摘をいただきました。

■先週大阪府PT案として出された中で
 大阪21世紀協会については「撤退」と出ています。

 会社に戻る日が、近づいてきたようで。
 


2008/04/07(月)
六甲山カフェイベント(3)









そして船津さんのお友達の
アコースティックデュオによるライブ。

気負わず自由にパフォーマンスができる場として
今後多くの人たちに登場していただければと思います。

Talkin'aboutの方は、ワールドカフェをやるほどの
人数ではなかったので、こんな感じに。
いつも通りの飲み会ともいえますが
この中から、次のプランがいろいろと出てくるのです。

*六甲山カフェの話が、昨日の読売新聞に掲載されました。
 http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20080406p301.htm


2008/04/07(月)
六甲山カフェイベント(2)









common styleでおなじみのアニバル・ルイスは
祠のまえで、アコースティックライブ。


2008/04/07(月)
六甲山カフェイベント(1)










4/6(日)は、六甲山カフェのオープニングイベント。

2年半前に、六甲山日曜カフェの時に出会った
津上信子さんによる、フルートの演奏。

山を下りてきた人たちも、しばし足を止めて
聞き入っておられました。


2008/04/06(日)
大谷茶屋→六甲山カフェ









4/5(土)には、芦屋ロックガーデンにある
大谷茶屋さんがリニューアルして
六甲山カフェとしてオープンしました。

短い準備期間でしたが、船津さんと古家さんで
おでん屋の穴倉をいい感じの空間に変えていました。

写真右は、船津さん(右)、古家さん(左)と
大谷茶屋の大谷政子さん(中)です。

大谷茶屋さんは、売店として、変わらず営業を続けています。

明日6日には、昼1時からライブ
昼2時からはTalkin'Aboutを開催の予定です。


2008/04/06(日)
サロン報告







4/2(水)のcultural cafe。
英語で自分の好きなものを語る
という趣旨でしたが、そのために来た
という人が少なかったので、カジュアルに営業。
日本語と英語でなんとなく雑談していましたが
本田隆二さんにお越しいただいてからは
全員が彼の話術に呑み込まれていました。

中学卒で家出をして路上生活者になり
一念奮起して飲食店で働き出し
難波で7店舗の飲食店を経営し
店舗をすべて売却してオーストラリアに渡り
今また大阪に戻ってきた本田さんが
今やりたいことは「大人のしゃべり場」。
なんか、リンクしてますね。

4/3(木)のoops! salon。
自分の紹介したい本か音源を持ってきて
それについて語ってもらうという趣旨。
9名中8名がCDを持ってきました。

中に音楽に詳しい人が何人かいて
いい感じに他の人の話を広げてくれるので
充実したサロンになりました。


2008/04/03(木)
目盛り展










コモンカフェの奇数月のフライヤーの
イラストとデザインをお願いしている
吉本紘子さんが、4/5(土)-20(日)に
神戸のビボバブックストアで
「目盛り展」という展覧会を開催します。
http://homepage.mac.com/kapokcraft/

ものさしばかりを、柔らかいタッチで描かれています。
栄町方面に行かれる際には、お立ち寄りください。
vivo,va bookstore http://www.vivova.jp/

ちなみに偶数月には、藤川亜矢さんにお願いしています。
現在東京で活動されています。
http://www.pict-web.com/illust.php?artist_id=62

そのうちに、コモンカフェフライヤーの
イラスト展なども、企画しようと思っています。


2008/04/01(火)
四周年








早いもので、コモンカフェがオープンしてから
今日でちょうど四年になりました。

カフェをみんなでシェアするという試みが
目新しさで注目していただける時期を過ぎて
そろそろまちの風景に馴染んできたかなと思います。
いつまでも続けていきたいものです。


大阪二十一世紀協会の仕事は
三年目に入りました。

大阪商業大学の非常勤講師の仕事を受けたことで
本社に戻らずに残留することになりました。

昼休みに天満橋から中崎町まで
自転車で昼ごはんを食べに行く生活が
また続いていきます。

この組織は新知事が決めた暫定予算により
七月まで人件費以外の予算がついていないので
あまりできることは大きくないかも知れませんが
それでもやっ太君として頑張っていこうと思います。


2008/04/01(火)
ストリートダンスの聖地







大阪が今、ストリートダンスシーンにおいて世界的に注目されつつあることをご存知でしょうか?

ブレイクダンスは1970年代、ニューヨークのサウスブロンクス地区のアフリカ系アメリカ人やラテンアメリカ人の若者たちが始めた、頭や背中でくるくる回るスタイルのダンスです。
70年代のストリートギャング抗争が激しい時代に「争うならダンスで争え」と提案されたことで広がり、ウインドミル、ヘッドスピン、ハンドスピンといったアクロバティックな要素を取り入れたことで注目を集めるようになりました。
世界的に知られるようになったきっかけは83年公開の映画「フラッシュダンス」。世界中の多くの若者がその影響を受けてブレイクダンスを始めています。

「フラッシュダンス」以後、ブレイクダンスを取り上げた映画が次々に作られ、テレビ番組やコマーシャルで紹介されるなど一大ブームを築きましたが、その後ブームは下火となり、80年代後半には冬の時代を迎えます。
この間ブレイクダンスはヨーロッパに伝わり、パワームーブ(大技)の進化や新たなコンビネーションの発明が起こり、またアフリカの民族舞踊やブラジルの格闘技・カポエイラの動きなどが取り入れられて進化していきました。
そして90年代には、ブレイクダンスの復興は世界的なムーブメントとなって波及していきました。現在ではブレイクダンサーは世界中に存在し、言葉の壁を超えるエンタテインメントとして普及しています。

韓国では2000年代に入り、今まで見たこともないムーブをするダンサーが次々と登場し、世界大会のタイトルを次々と獲得し、一躍世界でも確固たる地位を築いたことで、ブレイクダンスは一大産業になりつつあります。
有名チームはアイドルのような存在でTV、CM出演、コンサートなどをこなし、またアディダス、プーマなどの有力スポーツメーカーとスポンサー契約を結ぶことでプロとして活動しています。そしてストリートダンス専用の劇場が作られ、観光ツアーの一環に取り入れられています。


80年代に大阪で活躍していたブレイクダンスチーム「エンジェルダスト・ブレイカーズ」。
ナインティナインの岡村隆史が所属していたことでも知られる同チームのリーダー・マシーン原田氏は、日本でブレイクダンスが冬の時代を迎えていた92年、大阪でストリートダンスのイベント・プロモーションを行う会社として(株)アドヒップを設立、同時にダンスコンテスト「ダンスディライト」を立ち上げました。
94年からは日本で唯一のストリートダンスの全国大会として展開し、今年には15周年を迎えます。

関西のチームのレベルは東京に比べてかなり高く、大会では関西勢が常に上位を占めています。
これは東京では、ある程度うまくなればバックダンサーなどの仕事があり、早い段階でダンスで食べていけるようになるのに対し、大阪ではコンテストでタイトルを取るしか有名になる方法がない、そのハングリーさに裏打ちされた努力に理由があるようです。
JR難波駅にあるOCATはブレイクダンスに限らず、日本のストリートダンスの中心地として広く知られています。
そして日本のチームの中には、韓国・フランス・アメリカのレベルに匹敵する実力を備えたチームも成長してきています。

最近では、ストリートダンスは健全な若者たちが楽しむものとして急速に広がり、人口は爆発的に増え、低年齢化が進んでいます。授業科目としてダンスを取り入れる高校も出てきており、2011年からは義務教育の一環として中学でダンスを教えることが検討されています。
ストリートダンスのイベントもクラブのようなアンダーグラウンドな場所ではなく、一般のホールを借りて開催されるようになってきました。
そして4月から放映されているNHK朝の連続ドラマ「瞳」では、ストリートダンサーを目指す女の子がヒロインとなっています。ストリートダンスは徐々に社会化し、一般に浸透しつつあるのです。


来る8月30日(土)、大阪市中央体育館メインアリーナにおいて、ジャパンダンスディライトの決勝大会が開催されます。収容人数1万人、世界最大のチームダンスコンテストとして注目を集めることになります。
ストリートダンスというジャンルで世界レベルの才能を輩出し、世界レベルの大会が開催される街として、大阪は新たな輝きを見せることになりそうな予感がします。

写真左:'80年代のエンジェルダスト・ブレーカーズ
写真右:ジャパンダンスディライトvol.14ファイナルでの
    「モータルコンバット」のパフォーマンス


*大阪ブランド情報局・大阪万華鏡掲載記事
 http://www.osaka-brand.jp/kaleidoscope/topics/index.html


2008/03/26(水)
脱シンポジウム







24日に関西広域機構・関西元気文化圏が主催する
「今、関西のアートがおもしろい!?」という
シンポジウムに出ました。
http://www.kansai.gr.jp/ku/images/news/20080303.pdf

話の内容は、30日(日)の朝日新聞に
詳しく出るそうですので、またご覧いただければ。

森村泰昌さんが、伊藤若冲・売茶翁・木村蒹葭堂といった
18世紀の京都・大阪の文人たちが形成していた
サロン的ネットワークについて言及されたのが
個人的にはとても面白かったです。

中世の茶の湯・連歌といった、鑑賞者が作り手でもある
という文化・芸術のあり方と合わせて
「関西がもっているサロン文化の文脈と可能性」を
きちんと調べてみたいと思うようになりました。


一方で、数人がマイクを持って舞台上で喋り
何百人かが客席でじっと座ってその話を聞き
質疑応答の短い時間にのみ発言できるという
いわゆるシンポジウムのスタイルは
“知の創発”という観点からみると
効率が良くないのではという考えが
自分の中で大きくなってきました。


そして25日には“ワールド・カフェ”の実験をしました。

*ワールド・カフェについては、3/5の日記をご参照ください。

ちょうどこの日に、鈴鹿樹里さんたちが
「まちなかで自給自足」というテーマで
ミーティングを開催していたので、
ワールド・カフェのために集まったメンバーが
1時間だけその会議に参加しました。

4人ずつのテーブルに分かれて、同じテーマについて
15分間話し合い、その後一部のメンバーがテーブルを
移動し、また同じテーマで話し合う、ということを
3回繰り返し、最後にもともとのメンバーが集まって
その成果をふまえて話し合う、という形でやってみました。

みんなが喋れるのはいいなと。
そしてかなりいろんなベクトルが出てくるなとも。
これを編集する作業が出てきますが、この手法を使うと
不安材料も表に出てくるので、間違いの少ないプランが
作れそうな気がしました。

この手法は、実際にそのテーマについてやりたい
またはやらなければならない人たちがその中にいた方が
より意味のあるものになるようなので、先にお伝えした、
4/6(日)14:00〜大谷茶屋で行う、六甲山カフェのサロンで
やってみたいと思います。

テーマは「これから、六甲山で、何ができる?」

六甲山カフェのオープンと合わせて
お楽しみいいただければ。


2008/03/23(日)
六甲山カフェの本格オープン。








2004年から続いてきた六甲山カフェが
新たな局面を迎えています。

この4月に、軒先をお借りしてカフェを営業してきた
大谷茶屋さんの一部をお借りして、おでん屋を継承しつつ、
週末カフェ「六甲山カフェ」として開業することになりました。

運営に当たるのは、船津智美さん。
2005年の六甲山日曜カフェに参加し
2006年には毎週土日にカフェ営業を続けてきました。
山の中でカフェを開きたいという思いが
こういう形で実現することになりました。

そして大谷茶屋さんは、売店として営業を続けます。

先週末に大谷さんのおでん屋さんは営業を終え
現在改装作業に入っています。
大掃除をして、カウンターを入れ替えて
空間を少し広く使う工夫をしています。

オープンは4/5(土)。

そして4/6(日)には、お堂の前でのライブと
今後の山カフェの展開について話し合う
トーキンアバウトを開催しようと思っています。

ライブについては、リュックサックマーケット的に
自分たちのやりたい表現を山に持ち込んで発表する
という形で、今後広げていきたいと考えています。
いわゆるオープンマイクのようなものですが
ジャンルはまったく限定しないので
ぜひ何かできる、やりたい、という方はご連絡ください。

そしてトーキンアバウトの方は、
午後2時にスタートいたします。
こちらの方も、よろしければ、ご参加ください。

*六甲山カフェの公式サイトはこちらです。
http://www.yamacafe.com/


2008/03/22(土)
神楽坂散策









昨日は日帰りで東京へ。
ちょっと時間があったので神楽坂を散策。

洪積台地である武蔵野台地は、江戸時代、
台地部分は大名・武家屋敷として
谷になっている低地部分は町人地として
開発された経緯があるのですが
神楽坂も、坂の上は武家屋敷としての
由来を持っています。

武家屋敷では、屋敷の玄関までは敷石を置いた
アプローチがあり、その奥に屋敷を構えていましたが
そういうパターンが、今でも路地の家に引き継がれ
随所に残されています。

北側の低地は神田川水運に由来する
印刷・製本業が集積しています。
トーハンがここにあることで
多くの出版社もこの近くに立地しています。

開発により、個々の建物は
どんどん変わっていきますが
都市の意味的構造というものは
意外に根強く生き続けているようです。


2008/03/19(水)
cultural salon







今年の確定申告はe-taxとの格闘でした。
ICカードリーダーライターを3千円で買い
住基カードを取得するのに千円。
電子申告の控除が5千円あるのですが
間に合わなければ4千円の投資と多大なる努力が
報われないというプレッシャーのもと
いろいろいろいろなソフトをダウンロードして
何時間も何時間もかかってどうにか
3月17日の締め切りに間に合ったという。

この経験をした方は多いんでしょうね。
愚痴はさておき。


さて、昨日のcommon styleでは、営業かたがた
ブラジル人留学生でハーフジャパニーズのKoichiさん
(いちばん左)に実習。

彼は神戸市長田区の鷹取教会にある
「FMわいわい」でブラジルの音楽番組
「Canta Brasil」のDJも務めています。
http://www.tcc117.org/fmyy/index.php?c=12-16

4/2(水)には僕と一緒にお店に立って
4/23(水)からcommon styleバーテンダーとして独立します。
8月にはブラジルに帰ってしまいますが...

そして4/2(水)19:30〜、彼と一緒にサロンを開催します。
自分の好きなもの、好きなことについて
英語でプレゼンしてもらう、というスタイルです。

英語を話してみたい方、国際文化交流をしてみたい方
どうぞお越しください。


2008/03/13(木)
中崎町サロンの現状








3/4(火)にビバガーデンで開催された
「働き方について考えるトークサロン」(左)。

ランドスケープアーキテクトの西上ありささんを
迎えて、NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」
のようなスタイルで行われていました。
http://nakazakicho.blogspot.com/


昨日3/12(水)にカフェ太陽ノ塔で開催した
「博覧強記への道」(右)。

2月の「マスターキートンを語る」の
参加メンバーのみでひっそりと開催しました

メンバーがそれぞれ自分の紹介したい本を持ってきて
15分ずつの持ち時間でその面白さを説明する
というスタイルでやってみましたが
準備がほぼいらない、知らない話をずいぶん聞ける
というよく出来た方法論だと改めて気付きました。

「博覧強記への道」はまた来月も、こっそりと開催いたします。

一方で、ほぼ同じ趣旨のオープン企画を
4/3(木)20:00より、中崎町のギャラリーカフェ
oops here I go again! で開催します。

参加してみたい、という方は
自分の紹介したい本・CD・レコードを持って
直接会場までお越しください。

*お店では4/5(土)にも、面白そうなオフ会をやってますね。
 http://oopsnote.exblog.jp/


2008/03/12(水)
関西の演劇・アートの過去をふりかえりつつ
演劇・アート系の講座・シンポジウムが続きます。

制作者のための公開講座『関西小劇場の未来予想図☆』
 3/19(水)19:00〜21:00 @芸術創造館
http://www.artcomplex.net/art-space/sche/?catid=15&subcatid=12

関西芸術会議「今、関西のアートがおもしろい!?」
http://www.kansai.gr.jp/ku/images/news/20080303.pdf
 3/24(月)15:30〜18:30 @綿業会館


おそらくどちらでも、
扇町ミュージアムスクエアの話をします。
語り継ぐ場をいただけるのは有難いことです。

お題は未来と現在なのですが...


2008/03/08(土)
ルイス・スタイル







確定申告の時期を迎えて今
去年のコモンカフェとコモンスタイルの
全ての売上と経費を入力し直しています。

コモンスタイルの場合、お店のスタッフの
入れ替わりが激しく、今ではほとんどの人が
残っていないので普段は忘れていますが
オープンしたお店を4ヶ月で閉める
そんな修羅場を迎えていたことが
記憶に甦ってきて少しブルーになります。

今日のコモンスタイルinコモンカフェは
しばらくごぶさたしていたルイス。
バーテンディングと軽妙な会話
そして後半にはライブステージという
いつものスタイルでお客さんを楽しませていました。

コモンスタイルでやりたかったこと
それを忘れずに、何らかの形で実現していきたいと
あらためて思った夜でした。


2008/03/05(水)
ワールド・カフェ
過去のサロンについて考古学的にみていくと
伝説化の力学が働いていることに気付いてきます。

ユイスマンスの「さかしま」が
ボードレールやマラルメやヴェルレーヌら
象徴派の詩人たちを紹介し
ジャック・ベッケル監督の「モンパルナスの灯」が
モディリアーニを主人公に描かれたことで
カフェに集う芸術家が注目を集めるようになったこと。

サルトルがフロールの2階を書斎にし
カフェで文学仲間や芸術家たちと議論していたことで
観光客がカフェに集まるようになったこと。

そこで実際に知の創発が起こったかどうかとは別に
カフェやサロンというものは芸術家の個人的物語とともに
伝説化されやすいということを、改めて発見するわけです。


サロンについての考察を、
考古学から考現学に軸足を移してきたときには
そこで人と人とが出会い、刺激を受け、情報を交換し、
そこから何か新しいものを生み出すという
“知の創発”をひき起こすためのプロセスに
注目していく必要があると思っています。

この間のメセナ・セミナーとはまた違う意味での
「コラボレーションのデザイン」ですね。


先日のトークセッションで、働き方研究家の西村佳哲さんに
「ワールド・カフェ」というワークショップ手法について
教えていただきました。

・数人ずつのグループに分かれ、あらかじめ決められた
 テーマについて話します。
・話し合いをする中でテーブル上の模造紙に
 各自が思い思いに感じたことを言葉や絵で描きます。
・一定時間話し合いを行った後、各テーブルのホスト役の
 人だけ残して、他のメンバーはバラバラに別のテーブルに
 移ります。
・ホスト役の人は前のラウンドでどんな話が行われたのかを
 話します。
・それを踏まえて更に話を広げていきます。
・以上を何回か繰り返します。

くわしくは、こちらを。
http://www.humanvalue.co.jp/service/wcafe/

Talkin'Aboutを、テーブルごとにおこなって、
時々メンバーが入れ替わるような感じです。

これを3/25(火)のcommon styleの時に、
一度試してみようかと思っています。
午後8時スタートぐらいで。

興味ある方は、どうぞお越しください。


2008/02/26(火)
コラボレーションのデザイン










さて、2日前に迫りましたので、再度告知を。

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コラボレーションのデザイン
 —アートと企業のパートナーシップを考える—
 http://www.osaka21.or.jp/colabo/mecenat/seminor2008.html
 
 “パトロンからパートナーへ”企業によるメセナの方向性は近年大きく変わってきています。
 それは具体的には、アーティストの活動への支援という形から、お互いにメリットのある形でのコラボレーションという形へのシフトと捉えることができます。

 異なった能力を持った人たちが、対等の関係で新しいプロジェクトを起こすことを“コラボレーション”といいますが、アーティスト・プロデューサー・企業が良きパートナーシップを発揮したときには、どんな可能性が広がっているのでしょうか?

 今回のメセナ・セミナーのテーマは「アートと企業のパートナーシップ」。アートと企業によるさまざまなコラボレーション事例を紹介しつつ、新たなメセナの可能性を探っていきます。

日 時
 2008年2月28日(木)16:00〜20:00

 16:00〜17:00 講演1:ランデヴープロジェクトの軌跡
 講師:赤池 学氏:ユニバーサルデザイン総合研究所 所長
    松田 朋春氏:(株)ワコールアートセンター チーフプランナー

 17:00〜18:00 講演2:「REENALプロジェクト」からはじまったこと
 講師:藤原 明氏:りそな銀行地域サポート本部

 18:00〜18:30 プレゼンテーション
 コーディネーター:三村 康仁氏:ゲートオブドラゴン
 プレゼンター:アサオ ヨシノリ氏:(株)月眠代表取締役
       重久 毅氏:(有)ガーデンデザインオフィス代表取締役

 18:30〜20:00 交流パーティ *参加費1,000円(税込)

会 場
 メビック扇町2F

定 員
 100名

参加費
 無料のイベントですが、必ず事前のお申込が必要です。
 また、交流会は参加費1,000円(税込)が必要です。

お申込・お問合せ
 「メセナ・セミナー申し込み」、氏名、団体名、住所、電話番号、メールアドレス、
受講動機を記載し、FAXまたはe-mailでお申込みください。
FAX:06-6942-5945 e-mail:mecenat@osaka21.or.jp

主 催
 (社)企業メセナ協議会 (財)大阪21世紀協会

共 催
 メビック扇町

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夕方4時からと出にくい時間ではありますが
よろしければ、お越しください。


2008/02/25(月)
カフェの文化史
スティーヴ・ブラッドショーの「カフェの文化史」。

 印象派、デカダンス、シュールレアリスム、
 ロック・カルチャー、実存主義、失われた世代、
 フランス革命といったさまざまな動向はすべて、
 どこかの仄暗いカフェでそのカバラ的精神を
 育んだ人々によって起こされてきたのだ。

 スウィフトやサムエル・ジョンソンなど文士たちが
 集っていた18世紀のロンドンのコーヒー・ハウス。
 ボードレール、ヴェルレーヌなどがいた19世紀のパリのカフェ。
 そして、ピカソやモジリアニ、シュールレアリストたち、
 それにヘミングウェイやスコット・フィッツジェラルドなどの
 アメリカ人がいた1920年代のパリのカフェ。
 ここには、おびただしい芸術家たちのカフェでの出会い、
 葛藤のエピソードがつめこまれている。

カフェやコーヒーハウスを溜まり場にした
芸術家や作家、革命家たちの生き様は
しばしば伝説化されてきましたが
この本には物語に回収される前の
彼らの人生が詳細に描かれています。

ミッシングリンクを探している
僕のような人にはもってこいの本です。
ちなみに今ではなかなか手に入りません。


さて、明日の夜はコモンカフェにて
扇町Talkin'About「サロン文化考」を行ないます。
http://www.talkin-about.com/xoops/modules/eCal/

一応夜7時からとしていますが、
ミーティングのような形ではなく
来られた方とサロン的な話をする
という形を考えています。

4月から始まる「サロン文化社会学」の
授業のための試演会のようなものです。
お時間と興味がありましたら、どうぞ。


2008/02/20(水)
大阪の多士彩才
大阪ブランド情報局のサイトに
「多士彩才」というページが立ち上がりました。
http://osaka21-blog.cocolog-nifty.com/person/archives.html

 大阪のブランドは「人」。
 そして、大阪には民がまちを支える伝統があります。
 時代は変わっても、そのパワーは健在。

 このコーナーでは、文化やまちづくりなど
 様々なジャンルで大阪に魅力と活力をもたらす
 アーティストやクリエーター、プロデューサー、
 編集者…等々、文字どおり多彩な才人たちの
 活躍ぶりをどんどん紹介していきます。

100人を目標に、大阪で活躍する
いろんな方々をご紹介していく予定です。
また時々、のぞいてみてください。


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