過去の日記 26

2006/02/21(火)
via paper(紙を経由して)










今年もやります「BOOKMAKERS’DELIGHT」!

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扇町ショウケース vol.5【BOOKMAKERS’DELIGHT】 
2006年3月11日[土]

 「本」をテーマにものづくりをおこなうデザイナー・クリエイター・書店、および関西においてさまざまな活動をしているプロデューサーを一堂に集め、その取り組みを紹介するコラボレーション企画です。

 ショウケース(関西発のフリーペーパー・ミニコミ・出版物の展示)の他、「この一年間に本をつくった人、大集合!」というテーマのプレゼンテーションを開催いたします。

詳細はこちらを。
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この一年間は、メビックにかかわりのある方々が何名か
本の出版に取り組まれていました。

もちろん形にしたいものがあって
それを本という形にまとめていくのですが
いったん紙媒体を経由することで
そこから次への展開が広がっていく
そんな流れが、見えてきたように思います。

メビック扇町では、それが「大阪ブランドBOOK」でした。

紙媒体は、コンセプトをうまく伝えたり
ブランドを作っていくために有効な媒体です。

今回のショーケースでは
本をつくることを、ゴールとしてでなく
その先を作っていくためのプロセスとみたときに
生まれてくるいろいろな可能性について
考えていきたいと思っています。

当日のプレゼンの司会は
チャンキー松本さんと僕で務めてみたいと思います。

参加料は無料ですので
ぜひぜひ、多数お集まりください。


2006/02/20(月)
「和」のフォーマット









1/30の「Foreigners' Views」に
神戸酒心館の大磯さんにお越しいただいたご縁で
もう二度ほど、酒心館に足を運んでいます。

ここは宝暦元年(1751年)に創業した
「福壽」の醸造元が運営している施設です。
ホールやギャラリー、レストランがあり
日本酒の醸造工程を見学でき
しぼりたてのお酒を試飲でき
お酒に合うざまざまな産品を
全国から集めています。

昨日は”梅まつり”と題して
徳島県美郷の梅や
香住の蟹などの名産品が
中庭で販売されていました。

日本人がだんだん日本酒を飲まなくなり
かつて隆盛を誇っていた清酒業界も
今は大変だそうですが
ここに行くと、「和」というフォーマットで
日本人の生活文化を編集することができる
日本酒の可能性に気付かされます。


2006/02/20(月)
cafe yma(イマ)









この2/14(火)に、JR六甲道から歩いて数分のところに
cafe yma(イマ)がオープンしました。

2004年8月から12月まで、毎週木曜日に
コモンカフェに入っていただいていた池辺さんが
オープンしたカフェです。

コモンカフェの時は三姉妹で入っておられましたが
こちらでは、一番下の妹さんがふだんお店におられます。

お店の場所はこのあたりです。
ぜひ一度、足を運んでみてください。


2006/02/20(月)
真冬のリュックサックマーケット









2/19(土)は、naddist慈さんの企画で
摩耶山掬星台でリュックサックマーケットが開かれました。

昼の1時半過ぎに上がったので、マーケットはすでに
終わりかけていましたが、天気も良くのんびりとした
イベントになっていました。

左は船津さん&五味さん&植田さんによる六甲山カフェ。
最後には全て売り切れていました。

右はいたみホール中脇さんから買った薬箱。
こんなものばかりあるカフェか茶屋を
また作ってみたいなと。


2006/02/18(土)
コモンカフェ・アフェアーズ
ようやく本の原稿を上げました。
この一週間ほど、睡眠時間を削って書いていました。
眠い・・・

これからいろいろ修正が入ると思いますので
入る前の目次を書いておきます。
どのあたりの話に興味があるかなど
またお聞かせいただければ幸いです。


はじめに

■RINO’S POINT 一軒のお店からはじまる話
 お店との出会い マスターの存在感 説教バー OMSに行きたい

■扇町ミュージアムスクエア 企業メセナの曲がり角
 オープニング 文化の吹き溜まり 神戸アートビレッジセンター
 OMSという場所 劇場担当の仕事 若者文化の発信基地として
 マネージャーになって 閉館の決定 企業メセナの曲がり角
 アーティストの経済的自立 クロージング・イベント

■扇町Talkin’About サロンをつくる実験
 扇町Talkin'Aboutとは? サロンに憧れて トークライブの実験
 企画にあたって 立ち上げの時期 続けていく中で OMS閉館以降

■Common Bar SINGLES 日替わりマスターが支えるバー
 Common Bar SINGLESとは? Bar SINGLESのこと 
 コミュニティカフェとの出会い 日替わりマスターのシクミ
 副業マスター 続けていく中で シングルズの「移店」
 シングルズの自立

■メビック扇町 自分軸と他人軸
 メビック扇町とは? インキュベータの雰囲気
 インキュベーション・カフェ コラボレーション・マネージャーとして
 アーティストとクリエイター 自分軸と他人軸

■common cafe 日替わり店主が支える表現空間
 common cafeとは? カフェの発見 カフェが難しい時代
 立ち上げの経緯 資金調達 お店づくり common cafe etc.
 中崎町というまち お店を支えている人たち common cafeのシクミ
 カフェ開業予定者にとって 劇場空間として サロン空間として
 誰にでも売らないお店 一見客と常連客 カフェ空間のシェア

■プチ貿易振興事業団 海外雑貨買い付けという表現
 表現としての雑貨買い付け 雑貨店というもの
 雑貨を商売にする難しさ Talkin’Aboutとして
 バイヤーを支えるシクミ 雑貨店を支えるシクミ

■六甲山カフェ 山の文化と街の文化の融合
 『六甲山カフェ』とは? 茶屋でのカフェイベント
 六甲山通信社 六甲山日曜カフェ 大谷茶屋
 カフェと偶有性 リュックサックマーケット
 六甲山カフェのこれから

■ドミトリー計画 国内海外旅行
 ユースホステルの想い出 ドミトリー経営のハードル
 SUMO BACKPACKERSとの出会い 大阪のアイデンティティ

おわりに -SINGLES PROJECTというもの-



これで解放されると思っていたら
本の一章を書いてくださいという依頼が
突然やって来ました。
テーマは「メビック扇町から見えてきたこと」。
字数は1万字。締め切りは3月13日。

確定申告の準備を全くしていないのですが・・・


2006/02/18(土)
ニットカフェ風景









2/17(金)昼のコモンカフェでは
*Yurika*さんによるあみぐるみ教室が開かれていました。
こんな風景でした。


2006/02/18(土)
女子力講座








2/16(木)のOCC!は、女子力向上委員会キャリア部による
「女子ライター養成講座」
http://www.mebic.com/seminer_info/seminer_info.shtml?y=2006&m=2&d=16

男性は参加できない講座でした。
いちおう写真をご紹介。


2006/02/15(水)
リュックサックマーケット in 掬星台








この土曜日に、摩耶山掬星台にて
「リュックサックマーケット」が開催されます。

第2回リュックサックマーケット
 @摩耶山「掬星台」open 10:00〜closed 15:00
 http://www.parkediting.com/rucksack/index.html

これはパークエディティングの藤本智士さんがはじめた
リュックサックマーケットを、趣旨をそのままに
naddistの慈憲一さんの方で開催する、というものです。
チラシもほとんど一緒です。

カフェの運営は、六甲山カフェの船津智美さんが
行うことになりました。以下がメニューです。

●スイーツ&フード
 スープカレー(パン付)    500円
 レアチーズケーキ       150円
 ラムレーズンとナッツのケーキ 100円
 あとスイーツ2,3品    100〜200円
 ぜんざい           150円
 チーズ盛り合わせ       100円

●ドリンク
 コーヒー           300円
 ホットチョコレート      300円
 はちみつゆず茶        300円
 ロイヤルミルクティー     300円
 中国茶            300円
 ワイン            400円


こんな風に、企画が伝承されていくというのも味なものです。
僕も当日どこかで、顔を出す予定です。


2006/02/09(木)
コモンカフェジャーナル









みなさま、お久しぶりです。
日々いろんなことがあるのですが
すっかり筆が追いつかなくなってしまいました。

今日はダイジェスト版でご報告を。
いくつかはまた改めて書きます。

■コモンカフェの黒板看板がとうとう壊れたので
 道具屋筋で新調しました(左)。
 そしてこんなのも衝動買いしました(右)。
 お店の階段に取り付けて、1週間のマスターの
 名前を書こうと考えています。

■以前木曜昼にコモンカフェに入っていた
 cafe YMA(イマ)さんが、2/14(火)に六甲道に
 カフェをオープンいたします。

■塚本の「Grand Bar」が、1月に閉店となりました。
 お店の入っているビルオーナーの事情のようです。
 その関係で、2月以降「Grand Jazz Live」が増えています。
 
 2/13(月)、2/20(月)の【common style】は
 「Grand Jazz Live」に変更となりました。
 僕が次回お店に入るのは、3/6(月)の予定です。

■「ドミトリー計画」ですが、その後2/2(木)、2/7(火)に
 開催しておりました。
 次回は2/21(火)あたりになるかと。

■2/18(土)に摩耶山頂で「リュックサックマーケット」が
 開催されることになりました。
 主催は僕らではなく、naddist慈憲一さんたちですが
 六甲山カフェの船津さんがカフェを出店されます。

■2/11(土)に、久々に「プチ貿易振興事業団」の集まりを
 阪神鳴尾駅近くの「mancha」という雑貨&カフェで
 開催することになりました。

■本の執筆が大詰めにさしかかっています。
 今のところ「commmon cafe affairs」というタイトルを
 つけています。変わる可能性は高いですが。

では、またゆっくりと。 


2006/01/31(火)
Foreigners'Views







昨日の「Foreigners'Views」には
98名のお客さんにお越しいただきました。

各パネリストの方々に

■いまの大阪に欠けているプレゼンテーションは?

■大阪(日本)は、海外からどう見られているでしょうか?
 また海外からみた大阪の魅力はどこにあるでしょうか?

■大阪は、海外に向けてどういう情報発信が必要なのでしょう?

という3つの質問に答えていただく形で進行していきました。

のこり30分は質疑応答をと思っていましたが
時間が押してしまい、飛んでしまいました。
話し合いも、設定していたゴールには到達できませんでした。
参加いただいたみなさま、すみません・・・

当日の内容は、何かしらの形で世の中にフィードバックいたします。
ちょっと先になりますが。

ここでは、事前にいただいていたコメントをご紹介いたします。


李容淑さん

●海外の人が日本にイメージするのは、お祭り、温泉、匠の技です。大阪には、それを確認できる場所が多くはありません。

●大阪は日本全体の玄関なので、そこでは日本全体のイメージを与えるのが大事。大阪は自分のイメージを発信しようとしている。

●大阪は人間のホスピタリティが素晴らしい。8割、9割は良い反応。ただし観光ということになれば、もうちょっとハードのインフラが必要。

平田進也さん

●円高・物価高の日本。普通ならお金が5倍有効に使える国に行くはず。まして英語が喋れない人たちの国。このあたりから議論する必要がある。

●海外の人には、ハートを出してもてなすことで喜んでいただける。それができるのは大阪人だけ。人を喜ばせて財布の紐を開かせる商売のやり方が身に付いている。

サニー・フランシスさん

●外国から来た人にとって、日本の物価は大きな問題。長く住んでいれば、安く済ませる方法が分かってくるが、それを最初に知りたかったと思うことが多い。

●西洋から来た人には、新世界の串かつ屋など、リアルな大阪を紹介した方がいい。その中にどれだけ人情味があるかを伝えていくことが大事。

ジャティン・バンカーさん

●たとえばアムステルダムという都市は、ピンク・紫・濃紺という色で公共のサインデザインを統一しています。比べて大阪という都市には、強いビジュアルアイデンティティがありません。市バスのデザインなど、悪くはないですが、そこには戦略がないですね。都市のブランディングには、大きなランドマークだけが必要なのではありません。

●歴史や文化、自然といった視点で編集するには、「大阪」では不十分です。「関西」という枠組みでなら、「東京」よりも魅力的かもしれません。「KANSAI SCENE」は、そういう理由で「関西」なのです。

古月幸江さん

●大阪の汚名を返上しようとするなら、食べるものがおいしい、人がやさしい、だけでなく、芸能文化を大切にしてきた土地であるという、文化面のアピールが必要です。「大阪指南」では文化を紹介するページが一番好評でした。「文楽」のような、中国の芸能の系譜をひいている上方芸能を中国語で紹介しているメディアは、これまでなかったのです。

●海外の人は、大阪から京都や奈良が近い、ということを知りません。大阪は大阪だけでなく、関西としてくくった方が魅力が上がります。

エラリー・ジャン・クリストフさん

●観光の問題とは、結局のところ労働の問題です。フランスのGDPの3分の1は観光から生まれていますが、これは外国人観光客を迎えることだけでなく、1ヶ月ものバカンスがあり、国民自身がその間にどこかに出かけて行って消費をすることにもよっています。

●ヨーロッパの人は、ビジネス上の必要から複数の言語を習得しています。フランスでも観光が産業の中心になるという自覚から、英語教育に力を入れてきました。大阪に必要なのは、中国語・韓国語・ロシア語ではないですか?語学をおろそかにしていると、外国にかかわる仕事は、すべて外国人の仕事になってしまいますよ。


この先に、「これからの大阪」が見えてくればいいですが。

ちなみに当日の模様は、2/7(火)夕方のNHKニュースで放映されます。


2006/01/28(土)
大阪・高松・海外
25日には予告どおり、高松に行ってきました。

コピーライターのよしみかなさんとともに
エラリーさんと「銀座サロン」(カフェ)で打ち合わせをして
それから合流した「まちラボ」の小西さん・山下さんと
「まちラボ」の新たな拠点となる喫茶店跡を見に行き
「猫音茶屋」(アートカフェ)でまたしゃべり
そこから「啓介」(寿司屋)、「旭屋」(ワインバー)、
「足袋」(隠れ家バー)と駆け足でハシゴして
最終列車で帰ってきました。
岡山では25分の乗り継ぎに無理矢理外に出て
居酒屋で「魔王」を飲んでいました。

高松に行って、向こうの人たちといろいろ話したことで
またいろんなことがみえてきました。

大阪と高松。
なにか一緒にできそうな予感がします。


昨日の「ドミトリー計画」には
5名の方にお越しいただきました。
ただ残念ながら、宿泊客は12時を過ぎても戻らず
集まったメンバーで高松話で盛り上がりました。

来週は、2/2(木)に開催の予定です。
この日はまだ宿泊客は多くないようですが・・・


1/30(月)に迫った「Foreigners' Views」。
おかげさまで100名近い方にお越しいただく予定です。
当日にはNHKの取材も入ることになりました。

この何ヶ月かの取り組みの集大成を
ここでお見せしたいと思っています。

※1/30(月)夜の【common style】はお休みいたします。すみません・・・


2006/01/26(木)
本日「ドミトリー計画」を開催いたします
さて、いつも突然で恐縮ですが
本日1/26(木)に、「ドミトリー計画」を開催いたします。

参加される方は、22:30に大阪・中津にあるドミトリー
SUMO BACKPACKERS」にお集まりください。


2006/01/24(火)
大阪を相対視する
1/30(月)の「Foreigners' Views」に向けて
当日の司会をお願いしているよしみかなさんと一緒に
パネリストの方お一人ずつにお会いして
大阪を海外に発信するためのポイントについて
お話をうかがっています。

その中から見えてくるのは、こういうことです。


海外の人が日本にイメージするのは、お祭り、温泉、匠の技です。
大阪には、それを確認できる場所が多くはありません。

大阪は日本全体の玄関です。そこでは日本のイメージを伝えるのが大事です。
大阪は、自分のイメージを発信しようとしています。

海外の人は、大阪から京都や奈良が近い、ということを知りません。
大阪は大阪だけでなく、関西としてくくった方が魅力が上がるのです。

円高・物価高の日本。普通ならお金が5倍有効に使える国に行くはず。
まして英語が喋れない人たちの国。このあたりから議論する必要があります。

海外の人には、ハートを出してもてなすことで喜んでいただける。
それができるのは大阪人だけ。人を喜ばせてものを売る商売のやり方が身に付いている。

西洋から来た人には、新世界の串かつ屋など、リアルな大阪を紹介した方がいい。
その中にどれだけ人情味があるかを伝えていくことが大事。


大阪の中にいると、大阪を相対視できなくなっているのかも知れませんね。


明日はエラリーさんに会いに、高松に行ってきます。


2006/01/22(日)
1/21六甲山カフェ








大寒を迎えた21日ですが
芦屋ロックガーデン・大谷茶屋前では
船津さん・五味さんが「六甲山カフェ」を開いていました。

気温は5℃。前回の12/19よりは暖かかったのですが
雪の予報が出ていたこともあり、登山客は少なかったようです。


お二人は3/11(土)以降、基本的に毎週土日に
この場所でカフェを開く予定です。

暖かくなる頃合いですので
ぜひみなさま、山に登って一杯のコーヒーを
お楽しみください。


2006/01/20(金)
今日の発展








さて、今日の「ドミトリー計画」ですが
ご連絡いただいていたみなさまには中止をご連絡して
一応15分ほどSUMO前で誰も来られないのを確認してから
コピーライターのよしみかなさんと
そのお知り合いの英語塾講師の方と3人で
梅田の「Bar isn't it」「SAM & DAVE」と発展しました。
で、「SAM & DAVE」の外国人の店員さんと喋ってました。

写真は「SAM & DAVE」で一緒に踊ったダンサー達。
みんな悔しいほど上手い...


2006/01/19(木)
今日の「ドミトリー計画」ですが・・・
今日予定しておりました「ドミトリー計画」ですが
宿がお休みのため、急遽予定を変更し
22時に「梅田isn't it」に行くことになりました。

もしまだご連絡をいただいていない方で
来られる方がおられましたら、お店の方まで直接お越しください。

大阪市北区堂山町7-7角庄ビル5F 06-6363-4001
地図はこのサイト内にあります。
http://www.amigoken.com/osaka_jp.htm

※取材は別途進んでおります。またご報告いたします。


2006/01/19(木)
のマドmeetsハーベストプロダクツ









のマドのお二人が、ハーベストプロダクツ
坂本麻夕美さんとメビック扇町のロビーで会ったのは
2004年の秋のことでした。

その後ハーベストプロダクツが
のマドのCDを扱うようになり
去年1月のメビックでの展示会では
プチライブが行われました。

今年はのマドの新アルバム「smiles」の
リリースに合わせて、コラボTシャツが生まれました。
そして今年もライブが行われました。

「smiles」は、1/22(日)より店頭で発売されます。
common cafeでも、定番でかけていると思います。
ぜひ、聴いてみてください。

次に何が起こるのかが、楽しみです。


2006/01/16(月)
HARVEST PRODUCTS展示会 








メビック扇町では、明日からはじまる
HARVEST PRODUCTS展示会の準備が行われています。
メビックの第四会議室が、また雑貨店になっています。

ショップバイヤー向けの展示会なので
基本的には商品の販売はしておりませんが
どなたでもご覧いただけますので
ご興味のある方は、お立ち寄りください。

18日(水)には、のマドさんの無料ライブもあります。


 □日時:2006年1月17日[火]-19日[木] 11:00-18:00
 ※「のマドプチライブ」 1月18日[水]19:30-
 □会場:扇町インキュベーションプラザ Mebic扇町2F
 □入場料:無料(予約不要)
 □お問合せ:TEL.06−6628−1920(HARVEST PRODUCTS)
 □主催:HARVEST PRODUCTS 


2006/01/15(日)
告知をいくつか
今日は告知をいくつか。

■1/18(水)19:30〜『のマド』プチライブ @メビック扇町

 HARVEST PRODUCTSは、オリジナルデザイン雑貨の輸入・企画・生産・卸売りを行っている会社です。
 通常、メーカーの展示会は、お取引先様のみの入場となりますが、 今回は色々な方々に自由にご覧頂けるよう、ギャラリースタイルの展示会を行います。

 また、18日には HARVEST PRODUCTS PLUSでも販売している『のマド』の NEW ALBUM ”スマイルズ”リリース記念といたしまして、HARVEST PRODUCTS コラボTシャツを販売。同日『のマド』のお二人をゲストにお招きして、アコースティックプチライブを開催いたします。
 
 雑貨を見ながらのさわやかな音楽をお楽しみください。
(有料となりますが簡単な飲み物とフードもご用意いたします。)

 一般のお客様に、CD以外の雑貨のその場での販売等は行いませんが、普段見ることの無い展示会をご覧頂いて、楽しんで頂ければ光栄です。

 □日時:2006年1月17日[火]-19日[木] 11:00-18:00
 ※オープニングイベント「のマドプチライブ」 1月18日[水]19:30-
 □会場:扇町インキュベーションプラザ Mebic扇町2F
 □入場料:無料(予約不要)
 □お問合せ:TEL.06−6628−1920(HARVEST PRODUCTS)
 □主催:HARVEST PRODUCTS 

■1/19(木)22:00〜『ドミトリー計画』 @SUMO BACKPACKERS

 年明け初めての『ドミトリー計画』です。
 当日は新聞社の取材が入る予定です。

■1/16(月)18:30〜23:00【common style】 @common cafe
 
 また週1回のペースで月曜夜に入ります。
 よろしければ、お立ち寄りください。


2006/01/14(土)
なぜ “売らなくてもいいお店のつくりかた”なのか?
 昨年2月に「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」という本がベストセラーとなったことで、類似本がいろいろ出てきました。

 「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」

 「潰れないのはさおだけ屋だけじゃなかった」

 「人に言えない仕事はなぜ儲かるのか? 」



 全部読んでみました。「なるほど。」という感じでした。
 ためになる部分も多いのですが・・・


 僕がなぜ “売らなくてもいいお店のつくりかた”ということにこだわっているのか?

 それは、若い人たちがつくりたいと思っているお店のためのヒントは、今売れているお店、今流行っているお店を追いかけるよりも、むしろ「つぶれなかったお店」にふんだんに残されているからなのです。


 ものを並べていれば売れた時代のあとにやって来たのは、同じものをより安く提供する大型店やチェーン店の登場であり、より消費者の利便性にたったコンビニ、ドラッグストア、ロードサイドショップのような業態の登場でした。
 お店が提供する商品はクオリティが高くて当たり前、その上でどれだけ安く提供できるか。欲望をより肥大化させていく消費者と、消費者のニーズに高度に応える大資本系ショップを前にして、これまでの商売を続けてきた個人商店の経営はどんどん厳しくなっていきました。

 「売らなくてもいいお店」とは、こうした個人商店が直面してきた厳しい現状に対抗する現実的な選択でもありました。

 一方で、特に90年代以降、若い人たちを中心に、自己表現としてお店を開業したいと考える人が増えてきました。
 カフェ・雑貨店・古本屋・古着屋などを開業したい、という人たちのモチベーションの多くは、自分がいいと思うものを人に伝えたい、いろんな人が集まる場所をつくりたい、やらされる仕事ではなく自分で納得のいく仕事をしたい、というところにあります。それはこれまでの生計を立てるためのお店とは少し違っています。お店のオーナーになることが若い人たちの夢になっているのです。

 そして自己表現としてできたお店は、ほかの多くの人たちの表現を支えるお店にもなります。

 南船場・堀江や中崎町に増えてきているカフェや雑貨店は、さまざまな表現の発表の場として機能しています。カフェギャラリーとしてイラストや写真の展示、ライブや演劇などのカフェイベント、委託販売という形で店頭に並ぶ手作り雑貨や輸入雑貨・・・こじんまりしたアートスペースが、自然発生的に、また経済的にそんなに無理のない形でどんどん生まれてきています。こうした店が、サロンとして、表現のための場として、メディアとして果たしている役割は小さくありません。

 ただ、今の時代、個人でお店を開業して続けていくことがとても難しい、という状況が一方にあります。 
 仕事を辞めて、数百万円もの開業資金をつぎ込んでお店を開いても、1年も経たないうちに閉店してしまうお店も少なからずあります。


 “売らなくてもいいお店”には、いくつかのパターンがあります。

 ■昔は繁盛していて、いまは年金で生活しているお店
 ■不動産を所有しているお店
 ■お金持ちが趣味や税金対策で経営しているお店
 ■売るのではなく、貸すお店
 ■お店の中で売れなくても、お店以外でものが売れるお店
 ■お店と別に収入があって、お店で稼がなくてもいいお店
 ■特定の人に売れていれば、誰にでも売らなくてもいいお店
 ■お店をやっていることで、売れなくてもメリットがある人のお店
 ■売ろうとしなくても、みんなが買っていくお店

 世の中には、こうした“売らなくてもいいお店”がいっぱいあります。
 こうしたお店は、今では真似のできないものも、とても褒められたものではないものもありますが、経済を追いかける必要がないビジネスモデルを作れば、そこから“文化”を生み、まちに活力を与える役割を果たす空間を作り出すことができます。
 そうした、これからの時代のための方法論について、まとめてみたいと考えていたのです。


 じつは今年、本を1冊出す予定があります。
 それは、common cafeを中心に、扇町Talkin'About、Common Bar SINGLES、六甲山カフェ、ドミトリー計画、プチ貿易振興事業団といった、「SINGLES PROJECT」としてこの5年の間に行ってきたプロジェクトをまとめたものです。
 原稿はほぼ書き上がっていて、今は編み方を考えています。

 その仕事が一段落して、いくらか評価をいただけて、次の話が進むようであれば “売らなくてもいいお店のつくりかた”に本腰を入れていこうかと思っています。

 どうなるかは、まだ分かりませんが。


2006/01/10(火)
お店の不動産業化(3)
 江戸末期から材木問屋、家具屋街として知られた堀江・立花通りが現在、若者の街として賑わっている背景には、これまで代々続いてきた商売を廃業し、不動産業に転向する、という決断がありました。

 堀江は戦前・戦後∼昭和 50 年代まで「家具」の街として,広く認知されていた。しかし,家具屋街は衰退をたどる。その後,現在の堀江は「アパレル・カフェ」の街として,情報誌などにも取り上げられ,週末を中心に 20 代の若者が多く訪れる街へと変化した。

 (中略)街の活性化を図るため,立花通りの店舗経営者らなど様々な関係者が,1992 年前後から活動を行っている。1992 年より立花通り商店会らが,隣接する商業地のアメリカ村から来客を誘導する目的で,立花通りでフリーマーケットを開催するようになった。イベントを織り交ぜるなど,工夫を凝らした内容で取り組みは 6 年以上続いた。1996 年以降,アメリカ村に立地していたアパレルショップの内数店が,堀江界隈に転居するなど影響を与えた。一方堀江に居住し,店舗のテナントプロデュースを行っていた日限萬里子氏は 1998 年秋堀江公園に臨む敷地にカフェを計画,同年 11月にカフェ「muse 大阪」が開店した。従来の「堀江=家具屋街」のイメージを打破する契機となった他,店舗進出の北進を促した。
 1998 年立花通り商店会が中心となり東京資本のアパレルショップを立花通りに誘致する活動を行い,1999 年夏以降に「A.P.C.」など,東京資本のアパレルショップが開店した。誘致されたアパレルショップは「裏原宿系」と呼ばれるセレクトショップが多く,大阪においてこの系統のテナントが集積するエリアは他になく,堀江一帯が特徴的な界隈となり,現在における堀江の集客の核となっている。

 仕掛けられた活動の背景として,立花通りの家具屋街の衰退が存在する。そこでは,衰退した業種・業態である,後継者がいない,等課題を抱えていた。
 一方で,所有していた建物は,様々な業種に転用できるテナントスペースの広さや天井高の高さが確保できていたことが有利に働き,テナント誘致が実現した。南堀江1丁目では,建物内の内装等の更新だけで店舗利用とした事例も多く,建築物を活用した店舗進出が見られ,新しい盛り場形成の特徴である。
(大谷 光一・角野 幸博「スプロール型商業空間の形成過程について」)


 まちの活性化に対するさまざまな取り組みが功を奏し、東京資本のアパレルショップが進出したことで、地域のブランド価値が上がり、賃料が上昇しました。本業で頑張るよりも貸していた方が儲かるという状況が生まれてきたことで、まちは変わっていったのです。


 今や、東京資本の相次ぐ堀江マーケット参入により、坪2万円前後だった立花通り周辺の平均家賃は、現在坪3.2〜4万円にまで上昇。当然ながら2年前の契約家賃との差を埋める動きがあるだろう。
 一方、既に堀江での知名度をあげ、顧客をガッチリと掴んだ初期参入組のショップは、もはや堀江にこだわる必要はなくなっている。そのうえ、現状の家賃で新規出店する場合、よほどの資本力とブランド力を持たない限り、単独での黒字は見込めないと言われている。この状況を見る限り、今後益々東京系ショップとの契約比率が上昇していくことは必至。
 だが、ブームが去った時の東京資本の撤退の仕方は、非情なまでのビジネスライクなものであろうことは想像に難くない。その結果、いずれ新たな借り手がつかない事態に陥るかもしれない。その時、急上昇した家賃を再び下げることができるのか、またそれでもテナントが入らない場合の歯抜けのリスクをどう回避するのか?堀江バブルの影が徐々に忍び寄っている今、堀江の未来は決して前途洋々なわけではない。安定的な街の形成に有効な手段を、今こそ見出さなければならないのではないだろうか。<2001/05/23>
(WEBサイト「堀江ヴェスティブル−立花通り出店ラッシュに見る南堀江の光と影」より)


2006/01/09(月)
お店の不動産業化(2)
 戦後の「飛ぶように売れた時代」に財をなした商店主の中には、駐車場やマンション、テナントビル経営などの不動産事業を展開する人たちが出てきました。

 戦後一貫して地価が上昇を続けていく中で、中心市街地に含み資産のある土地を持っていれば、銀行からの借入れが比較的簡単だったという背景がそこにはありました。彼らは土地や建物を人に貸し、賃料という「不労所得」を得ることで、事業の基盤をいっそう固めていきました。

 その後2度にわたるオイルショック、またスーパーマーケットなどの大規模小売店の出店攻勢により70年代以降は個人商店の勢いは落ちてきますが、こうした商店主は本業で頑張らなくても、賃貸収入で暮らしていける状態を作っていったのです。また本業に見切りをつけ、不動産業に転進していった商店主もありました。

 一方で、90年代初頭のバブルの崩壊、そしてその後の長期にわたる不況、経営者自身の高齢化などにより、「仕方なく」本業から撤退し、最後に地主として生き残る、という選択をした人たちも少なからずありました。


 1970年に、この長い駅前商店街を大勢の地主たちが共同してつくりあげたときは、ごく当たり前の健全な商店街だった。街がにぎやかなことはよいことだが、いつからこうなったのだろうか。
 このコリアンキャバレーはたしかレストランだった、このナントカエステは蒲団屋だった、このスナックはミニスーパーだったなど思いながら眺め歩くと、入店を期待する呼び込みの声が次々とかかるのだった。
 (中略)その街は、区画整理の保留地を買った地主たち約70人が組合を作り、共同建築をしたのである。(中略)地主たちの多くは市内の商店主であり、新たな街づくりの意気に燃えていた。それぞれの土地に個別バラバラに建物を建てるよりは、共同して計画的に街をつくろうと協力し合って、これほども長い共同建築のまちなみをつくりあげた。
(伊達美徳サイト・街と森を考えるまちもり通信「三十年後のまちなみは今−群馬県太田市南一番街の変貌」)


 バブルを境にミナミは変わった。古い建物を投機目的でテナントビルに建て替えたオーナーの多くが、莫大な借金を抱えた。その後の不況で店が次々に立ち退き、現金収入の多い風俗店に貸すというのも一つのパターンだ。「オーナーのほとんどはミナミに住んでいないから、景観までは考えてくれない」。こう話す地元商店主もいる。「経営のためには仕方ない」実際、一階を無料風俗案内所に貸しているオーナーはこう言う。

 ネオン街だけではない。かつて老舗商店が軒を連ねていた心斎橋筋商店街も荒波にさらされた。(中略)ゲームセンターやパチンコ店が次々に進出した。(中略)画廊は古着屋に、宝石店は格安スーツ販売店に・・・。消費者金融のATMや格安ドラッグストアなどの進出も激しい。老舗がビル一階から上階に移る傾向も確認された。
 「仕方なかった。商店街は、時代時代で元気のある店が軒を連ねるものかも」。自社ビル一階を東京資本の飲食店チェーンに貸している明治創業の老舗の経営者は苦悩を明かした。
(2005年8月3日産経新聞「大阪再生ミナミから」)


2006/01/07(土)
お店の不動産業化(1)
 「商店街」と呼ばれている商店群をよく見てみると、八百屋、魚屋、精肉店、駄菓子屋、本屋、玩具店、金物屋、荒物屋、文房具屋、洋品店、寝具店、薬局、化粧品店といった、いわゆる市場・商店街を構成するお店以外のお店が増えてきている、ということに気づきます。

 たとえば阪急東通商店街では、飲食・居酒屋チェーン店、パチンコ店、ゲームセンターがとても多くなっています。奥に行くと「まんだらけ」や「メディアカフェポパイ」のほか、風俗店、風俗案内所が多くなります。いわゆる商店街のお店を見つける方が難しいぐらいです。

 また、天五中崎商店街では、昔からのお店が頑張って営業しているものの、バー・居酒屋の割合がかなり高くなってきています。

 日本の街は、駅を中心に、駅前広場があって、表の方にはオフィス街や商店街があって、裏の方に飲屋街があって、少し離れた住宅街につながるというように構成されてきました。
 商店街と飲屋街は隣接しながら別の場所としてあったはずなのですが、いつの間にか「飲屋街化」している商店街はいっぱいあります。

 店舗物件のオーナーは、もともとの地主や不動産業者、ゼネコンであることも多いのですが、持家店舗として生業を続けてきたお店の場合は、どうなっているのでしょう?


2006/01/07(土)
持ち家での営業、そして高齢化
さて、年末に書き始めた連載を
そろそろ再開いたします。

この話、調べれば調べるほど
ホコリのようにいろんなことが出てきます。
面白いのですが、いまの自分がこれをまとめるのは
確かにちょっと早かったかな、と痛感します。

みなさま、いいネタなどありましたら、ご教授ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 戦後のある時期に収益を上げたお店で、今残っているところの多くは、店舗物件を所有しています。

 さて、高齢化した店舗の経営が低迷傾向にあるが、逆に低迷傾向にあっても営業が継続できるのは、それらの大半が経営者の持家であることが要因にある。
 これまで、持家として創業以来継続してきた店舗は、子息を後継者として育成するのが常であり、インタビュー調査の結果では持家店舗全店とも、現経営者は前経営者の引退を待たずに経営権を事実上引き継いでいる。
 この新陳代謝が不可能となった商店は経営者に新たな営業努力の意思が欠落して、高額な家賃に追われることもなく引退するまでの最低限の生活を保障できる生業志向が強くなり、結果、商店街には魅力のない店舗が林立する様態を呈することになろう。
(慶応義塾大学SFC研究所「東京におけるライフスタイルの変容と都心居住の展望」より)

 今では年金収入で暮らしていて、お店を続ける必要はないが、やることがないためお店に座っているというご老人も多いという話を僕も聞いています。


 まちで取材をしていると「商店街の人の多くは昭和50年代までにストックをし終えているので積極的にやる気なんかないんですよ」という声が聞こえてくる。
 (中略)日本にある140万軒の小売店の約半数にあたる76万軒が従業員一人から二人の規模であり、そのうち60歳以上が35.5%、70歳以上が11.7%。(「'92中小小売業の発展動向」より)
 (中略)彼らがあえてリスクを冒して新たな投資をする必然性は非常に小さい。そんな危険なことをする必要はないのだ。自分がなんとか生活できればそれでよいのだ。投資をしてそれを回収するにはエネルギーが必要だ。そんな苦労をしょい込みたくない気持ちはよくわかるのである。彼らは小売店としての役割を十分に果たし終えたのである。
(中沢孝夫「変わる商店街」岩波新書 2001より)


 ただ、言うまでもありませんが、儲かった時代の成功体験にあぐらをかいてしまったことで、その後商売が傾いたお店が山ほどあります。

 この地(尼崎)の商業復興の牽引役だったその「新三和サンロード」もいまや半数以上が空き店舗といった状況です。そうなった原因はスーパーやショッピングセンターなど、競合する商業施設の台頭などが考えられますが、わたしは最大の原因は、繁栄を極めた闇市時代の「成功体験」にあったのではないかと思えてなりません。
 商品を並べさえすれば勝手に売れていくといった、いわば「商品に飢えた買出し客相手のボロ儲け」という「成功体験」が、「買出し」から「ショッピング」へと変化をとげた時代の趨勢を読み取る目を曇らせ、亡霊のように商店街に取り憑き続けたのではないかと思うのです。
(橋本敏信「論:商店街に憑く亡霊」南部再生14号掲載より) 


2006/01/05(木)
年のはじめに
元旦の資生堂の新聞全面広告を見て唸ったのは
僕だけではないですよね。

白い洋服に赤い椿をあしらった12人の女性と
「一瞬も一生も美しく」というコピーのみで
その世界観を伝えきっています。
とても美しく、インパクトのある広告です。
http://www.shiseido.co.jp/corporate-ad/060101ad.htm

ブランドの確立した才能と、これからの才能とを
きちんと計算された編集のもと、同じ額縁に入れるという方法は
これからの才能を世に紹介するときにとても有効な方法です。

この広告、そういう作り方をしているな、と。


同じような意味合いで、大晦日のNHK紅白歌合戦からも
多くのことを感じ取りました。
http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/mc.html

みんなによく知られ、ある評価を受けているフォーマットがあれば
その上に何をどう載せるかという編集方針をしっかり固めることで
さらに大きなインパクトを与えることができる。

このフォーマットは、とても大きな資産なのだなと。


こうした原理をつかって、大阪でできることは何だろう?
そんなことを年の初めに考えました。


みなさま、あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお付き合いください。


2005/12/31(土)
今年の終わりに
もう今年も終わりですね、という挨拶が好きで
そんな時期が1ヶ月は続いてほしいと思っていましたが
何かと慌しくて、そんな気分を十分に味わう前に
あと3時間で今年が終わります。
残念です。


今年は、ちょっと楽をさせていただいた一年でした。

コモンカフェを運営しながら
フランスに行ったり講座を企画したり
六甲山でカフェをしたりドミトリーを訪ねたり
そんなことはしていましたが
大きなプロデュースを手掛けることはなく
いろんなことを吸収できた一年でした。

来年は、そうして蓄積してきたことを
アウトプットする年にできればと思います。

みなさま、今年はいろいろと、お世話になりました。
また来年も、よろしくお付き合いのほどを。


2005/12/31(土)








遅ればせながら、12/25,26のコモンカフェの様子です。

12/25(日)の夜は甲斐祐子さんプロデュースによる
朗読カフェvol.2「劇的な時間」(左)。

12/26(月)の夜は赤いプレゼンプランナー・エサキヨシノリさんによる
『地球上に未だ存在しない新商品をドーンと売ってやろう!企画会議』 (右)。

12/29(木)のオレペコ企画ライブは
夜に行ったら一杯で入れませんでした。

イベントの多い年末でした。


2005/12/30(金)
飛ぶように売れた時代(4)
 そしてこの時期のお店のキーワードに「地域独占」というものがあります。

 日本の小さな市町村の商店街は、魚屋・肉屋・八百屋・豆腐屋・タバコ屋・酒屋・雑貨屋・洋品店といった商品別の専業店が、小さいながらもフルセットで存在するという形式が多かった。どのお店も地域独占だったのである。お店がほかにない以上、「高かろう、悪かろう」でもそれを求める以外になかったのだ。
(中沢孝夫「変わる商店街」岩波新書 2001)

 文房具というのは結構独占的な部分がありまして、文房具屋でしか文房具を売れない、という業界のしきたりみたいなものがあったんです。文房具というのは基本的に商品に流行り廃りがなくて、ほとんど定価販売でしたから、40%から50%の粗利があったんです。しかも商品は食品と違って腐らない。ですから、その後どんどん出てきたんです。だれでもできる、おいしいビジネスだったようです。
 近くのお客さんは、みんな買いに来る。地域独占型になっていて、お客さんが買いに来るのが当たり前ということですね。その地域のテリトリーを守る形で、メーカーと販売店の関係ができていたのです。
(IT+PLUSトップ対談「逆境を勝ち抜く経営」オフィス用品のソムリエを目指して――山崎文栄堂・山崎登社長コメントより)


 戦後のある時期に、日本中のお店が享受した繁栄。
 昔から商店街にあるお店、昔から続いている喫茶店は、そうした幸福な時期を経験してきたお店なのです。


続きはまだまだあるのですが、来年以降にまた掲載いたします。
またご覧ください。


2005/12/30(金)
飛ぶように売れた時代(3)
 1950年代から60年代にかけて、喫茶店がサラリーマンよりも儲かっていた時代があります。

 遠い昔、喫茶店には、「バーテンダー」と呼ばれる人が、働いていました。彼らは、布フィルターでコーヒーを淹れる技術に熟練しているという理由だけで、その頃の平均的なサラリーマンの月収とは、くらべものにならないほどの、月収を得ていました。誰でも、1時間もあれば取得できる簡単な技術に、高級を支給できる時代も、喫茶店にはありました。 3人から5人ぐらいで廻している喫茶店なら、自宅を改装して出店した場合、2ヶ月もあれば、出店費用を回収できた時代です。

 この時期の間に、テレビと冷房が、喫茶店の必需品となりました。テレビを鑑賞するために、一時的に暑さから逃れるために、世のサラリーマンたちは喫茶店に殺到しました。商売人や職人たちも、同じ目的で店にやってきました。

 街中の事務所は、狭苦しくて、殺風景で、居心地の良くない環境下にあったので、お客さんの接待に、商談に、小規模な会議にと、街の応接室としての機能を喫茶店にもとめ始めていました。また繁華街の喫茶店は、買い物客などの「憩いの場」として、繁盛していました。そしてビジネス街の喫茶店は、近隣の事務所の「応接室」として、繁盛していました。

 店舗数が隆盛をきわめていたころの喫茶店は、店を開けて、ただお客さんがくるのを待っているだけで、結構お客さんが来てくれましたが、その後競争が激しくなるにつれて、モーニングサービスや軽食メニューなどを取り入れる店が増えてきました。

(エカワ珈琲店WEBサイト「純喫茶コロナ」より)


2005/12/29(木)
飛ぶように売れた時代(2)
 どういう人間が闇市で店を出していたのだろう。

 戦後すぐ、昭和20年9月の統計がある。東京の闇市で働く人間は八万人。在京露店商人三割、失業者五割、罹災商人二割。この失業者の中には復員軍人、軍人遺家族等が含まれるのだろう。
 ムシロ一枚、戸板一枚あれば商売が出来た。売れるようなブツがあれば店を出すし、入らなければ休む。早朝営業もあれば、午後遅くからのもある。戦災孤児(浮浪児)などは歩きながら盗品を売っていた。シロウトが半分というところが目を引く。(中略)すくなくとも終戦直後は闇市はだいぶんいまのフリー・マーケットふうに誰でもが出店できるものだった。
(鴨下信一「誰も戦後を覚えていない」文春新書 2005 より)

 かつての「駄菓子屋」を調べると、現代の都市の路上物売りや温泉の朝市のような感じで、神社の境内の隅に、おばあさんがミカン箱の上に安価な商品を並べて、そこに子どもたちが顔を寄せている風景などがある。駄菓子屋は、おばあさんでも手軽にできた「店」なのである。
(松田 道雄「山形の駄菓子屋の話は、あなたの脳に竜巻をおこすだろうか?−小さな店の大きな話『駄菓子屋楽校』」月刊誌「社会教育」2004年7月号掲載より)


 昭和二十五年の朝鮮戦争の特需景気、昭和三〇年代には、繊維・造船・鉄鋼・家電などの産業に牽引され、国全体が好景気になっていきました。闇市はマーケットとして再編され、駅前を中心に商店街が形成され、生活必需品を中心にものが売られ、そうしたお店が収益をあげていきました。


 昭和三〇年代とは、いうまでもなく高度成長のただ中にあり、毎年一〇パーセントの経済成長をし、家電を中心とした大量生産がはじまり、所得は年々向上し、失業率は低く、人々は消費をどんどん増やした時代である。

 商店街のお店でも、朝店をあければお客さんが入ってきて、夜お店を閉めるまでは店はごった返していた。高度成長は全ての船を浮かべたのだ。選別と競争が強まり、ふるい落とされる経営が見え始めたのが一九七四年の第一次オイルショック以降である。
(中沢孝夫「変わる商店街」岩波新書 2001より)


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