TOP

Log102

2019/03/28(Thu)
OMS戯曲賞25周年記念

OMS戯曲賞25周年を記念して、大阪ガスとネクステージでは、
過去のOMS戯曲賞受賞作品の無料ストリーミング配信を
1ヶ月間の期間限定で行っています。

19作品がこちらからご覧いただけます。


2019/03/24(Sun)
Patriot Act(愛国者として物申す)


ネイティブ並みに英語を喋りたいという夢を
まだ捨てたわけではない僕は、ネットフリックスで
英語字幕を見ながら英語の番組を見ているのですが、
最近、「Patriot Act(愛国者として物申す)」という
秀逸ですばらしく面白いトーク番組に出逢いました。
https://www.indiewire.com/2019/03/patriot-act-netflix-civil-rights-hasan-minhaj-1202048372/

登場するのは、ハサン・ミンハジというコメディアン。
本人はアメリカ生まれですが、両親は北インド出身の移民で、
ムスリムを信仰する一家で育っています。

彼が取り上げるのは、薬価問題、学生ローン、移民法など、
今とんでもないことになっている問題が、
なぜそんなことになっているのかを分かりやすく、
かつ面白おかしく、20分ほどで紹介しています。

上のサイからは、公民権問題についての回が見られます。
(ネットフリックスに行けば日本語字幕で見られます)
歴代の政権が積み上げてきた人種平等に向けた取り組みが、
なぜトランプ政権になってからなおざりになっているのかを、
4人の閣僚の振舞いにスポットを当て、

1.NOT DOING SHIT(何もしないこと)
2.UNDOING SHIT(なかったことにすること)
3.DOING AWFUL SHIT(とんでもないことをすること)

という3つの切り口から見事に説明し切っています。

「Patriot Act」、日本ではまだほとんど知られていないと思いますが、
ぜひ頭の片隅に置いておいてください。
間違いなくブレイクします(アメリカではしています)。


2019/03/23(日)
Marddy's Shared Kitchen
勉強の合間にネットニュースを見ていると、、
ジョージア州アトランタで「Marddy's」という名前の
シェアキッチンを営んでいるケイトラ・ベイツという
黒人女性の話に遭遇しました。
https://www.atlantamagazine.com/dining-news/marddys-shared-kitchen-mission-against-westside-gentrification/

彼女は2013年に西アトランタでピザカフェを始めました。
そこでは近くの農園の小規模生産者から材料を仕入れたり、
犯罪歴のある人を雇って自活のチャンスを提供したりしていましたが、
物件の大家が変わり、新オーナーが家賃を上げたことで、
2015年に店を閉めることになりました。

「ベルトライン」という、鉄道の廃線跡だった場所を
公園や緑地、バイクレーンとして再開発したことにより、
近年、周辺の地価は急上昇しました。
いわば彼女もジェントリファイされたわけです。
https://www.atlanta.net/things-to-do/outdoors/beltline/

店を閉め、近隣の変わっていく様子を見ているうちに、
彼女は「スウィートポテトパイおじさん」と呼んでいた
年配の紳士のことを思い出します。彼は奥さんが焼いた
ミニスウィートポテトを、小さなお店を渡り歩いて
売っていたのだそうです。

黒人中心の貧しい近隣地区では、床屋にいると、
ケーキや髪(エクステンション)やジャケットなどを
売る人たちがやって来るそうです。小さな商店は、
そうした小さな起業家がお客さんを見つける場所として
開かれた場所なのだそうです。

ですが、西アトランタに最近越してきた白人の新住民は、
地元にそんな商売のネットワークがあることなど
知るよしもありません。彼らはベルトラインの西側は
「フード・デザート」だと思っています。

そこでケイトラ・ベイツは、新たに物件を買って、
彼らがそこで料理を作って売ることで起業できる、
小さな「シェアキッチン」を始めました。
それが「Marddy's」です。

僕は記事を読んですぐに、「Marddy's」のサイトを見つけ、
そこからケイトラさんにメールを送りました。
「ぜひ一度お話を聞かせてください!
 僕も日本の大阪という街で、シェアカフェをやっています!」と。

今日、ケイトラさんとグーグルハングアウトで話しました。
彼女が活動しているのは、いわゆる貧困集中近隣地区で、
地価が上がったことから、仕事があり裕福な黒人家族は
家を売って出て行き、出て行けない人たちが残されているのだそうです。

彼らが、自らできる小商いで自活を始める。
また地域に根付いてきた文化を絶やさないようにする。
そして新住民である裕福な白人たちといい形でつながる。
彼女は「Marddy's」のミッションをそこに置いていました。

ということで、近いうちに一度アトランタに行き、
彼女のお店とアトランタのジェントリフィケーションの状況を
見てこようと思っています。


2019/03/16(Sat)
Izzy's rastaurant


ケンブリッジのアパートから徒歩10分ほどの場所に、
Izzy's rastaurantというプエルトリコ料理のお店があります。
僕はここに週に1回は行くことにしています。
http://www.izzysrestaurantcambridge.com/

このお店のあるあたりは、現在は「エリア4」、
以前は「ザ・ポート」と呼ばれていた近隣地区です。
すぐ目の前にはワシントン・エルムズという公営住宅が
1942年に建てられています。

エリア4の近くにはかつて、キャンディの工場が
建ち並んでいました。ボストンの港に輸入した砂糖を
精製する工場があったので、その砂糖を使っていました。
そしてこの辺りには、アフリカ系アメリカ人、
1960年代からはプエルトリコからの移民が、
この界隈で暮らすようになりました。

お店のご主人のイズィさんは、1964年にプエルトリコから
ケンブリッジに渡ってきて、洗濯屋やキャンディメーカー、
音響映像機器メーカーの運転手などの仕事をしました。
会社が移転して解雇されたのを機に、奥さんのカルメンさんと
1980年に小さなお店を始めました。
7年間そのお店を続け、その後いったんフロリダに行き、
1988年に現在の物件を買って商売を再開しました。
2階に住みながら商売をしておられるそうです。

かつて界隈にはドラッグの売人がウロウロしていて、
街角にタムロしていたり喧嘩していたりする人たちが
しょっちゅうだったそうですが、このお店は近隣の人たちや
警察の人たちに守られて、被害を受けたことはなかったと。

お店にいると、本当にありとあらゆる人種の人たちが、
このお店が好きでやって来ているのが分かります。
実はこういうお店は多くはありません。
ただ、この界隈は家賃が高騰しているはずなので、
ご夫婦が営業をやめてしまったら、この雰囲気のお店を
継続するのは難しいのではと思います。

こういう奇跡のようなお店がある間に、
できるだけ足を運んでおきたいと、
尼ヶ崎・戸ノ内の「より道」に行くような心持ちで
オックステールや山羊のシチューなどを食べに行くのです。

そういえば、アメリカにおけるプエルトリコと、
日本における沖縄って、少し似ているかも知れません。


2019/03/15(Fri)
Caffe Vittoria


今日は最高気温が17℃ぐらいまで上がり、ボストンにも春がやって来たようです。

今日はボストンに出て、ヘイマーケットの市場で果物を買い、
ノースエンドのCaffe Vittoriaという1929年から続くイタリアンカフェへ。
http://caffevittoria.com/

ケンブリッジのカフェには毎日行っていますが、
ここは勉強しに行くというよりは、ぼんやり外を眺めながら
エスプレッソを啜るのが心地よくて行く、そんな感じです。

暖かくなってきたので、こういう動き方を増やそうかと。


2019/03/14(Thu)
鍵が4つないと暮らせない街


僕がいま住んでいるケンブリッジ市インマンストリート。
https://www.google.co.jp/maps/place/Inman+St,+Cambridge,+MA+02139/@42.3653124,-71.1108267,14z/data=!4m5!3m4!1s0x89e3774de24bbd79:0x36a9cd3703ccb4ba!8m2!3d42.3700681!4d-71.1029302

ボストンとハーバード大学のちょうど間にあって、
暮らしやすい所なのですが、50年前に同じ通りに住んでいた
日本人の方から、「鍵が4つないと暮らせない街だった」
と聞いたことがあります。

カフェの友人・ミスタージョンにその話をすると、
「昔は空き巣や窃盗が多かった。うちも一度入られて
 オーディオのセットを持っていかれたことがある。
 保険に入っていたので、その後新品に変わって
 ラッキーだったけどね」と。ポジティブです。

当時はドラッグが流行して、若い子たちが
ドラッグを買う金欲しさにそんなことをしていたそうです。
うちからボストンの方に少し行ったところに、
1930、40年代に建てられた公営住宅がありますが、
ドラッグの売人が、取り締まりが厳しくなった
ボストンを避けてここまで商売に来ていたようで、
時々発砲事件なども起きていたようです。

今ではそういう犯罪がすっかり起きなくなり、
道には譲り物のソファーや洋服が置いてありますが。

写真左は家の近くで見かけたマンション。
おそらく古い教会の建物の一部を
リノベーションしたのでしょう。

写真右は、上の話に出てきた公営住宅。
低層で建てられたことが幸いしてか、他のエリアではよく起きた
ヴァンダリズム(器物損壊)などをさして受けずに、
改修などもしながらいい状態で残されています。


2019/03/11(Mon)
アメリカ・ジェントリフィケーションの文脈


ハーバードケネディスクールのゼミ「過去と現在」で
どうにか読み切った"FATAL MISCONCEPTION"は、
今日は取り上げられず、各受講者がテーマを発表し、
テムキン准教授にコメントをもらうという回になりました。

ここで得た一番大事なことは、その気になれば
英語の本は1週間で読める、という自信でした。
そう思うしかないとも言えます。前向きキャンペーン!

僕以外の二人のテーマを聞いて、改めて驚きます。
インド人で行政職員をしている男性は、インド人の24%、
2億5千万人を占める最貧困層であるアウトカースト、
後進山岳民族の教育と機会の提供に向けての課題を、
https://world-note.com/dalit/

イギリスから来ている、カリブ移民の第二世代の女性は、
イギリス内務省が移民子孫を不法入国扱いにした問題を、
https://www.bbc.com/japanese/43792424

それぞれテーマに選んでいました。

僕は、アメリカにおけるジェントリフィケーションの文脈を
調べたいと、こんなドキュメントを説明しました。
詳しい内容についてはここではパスしますが、
アメリカでこの問題がどう語られ、
分析されているかをまとめようと思います。

テムキン氏には、取り上げている文献が面白いと
褒めてもらいつつ、「この研究を日本でどう活かすのか?」
と鋭い所を突っ込まれました。
「いや、日本がこうならなければいいなと…」

アメリカに限らず、ヨーロッパでもアジアでも、
高所得者が都心に回帰したことで家賃が上がり、
それまで地域で暮らしていた低・中所得の人たちが
その街で暮らせなくなるジェントリフィケーションは
世界各地で起きています。

日本でもいろんな問題は起きてはいますが、
起こっていることのシビアさが全然違います。
こちらにいて、日本は本当に恵まれていると思います。
こうした知識を日本で使う日が来ませんようにと
願いながら研鑽を続けたいと思います。


2019/03/08(Fri)
POLICINGの問題
ハーバードケネディスクールの秋学期に
「都市部における政策立案」という講義の中で、
ある黒人の学生が「自分のテーマはPOLICINGです」と言っていました。
別の場面で教授が「黒人の刑事司法についてどう思う?」
と彼に質問をした時に、彼は、「黒人の多い貧困地域では
警官がいつもパトロールをしている。多すぎるから
犯罪が増えるんだ。」と言っていました。

最近、「THE DIVIDED DITY」の中で
そのことが書いてある箇所にさしかかりました。

予算がショートしている自治体の中には、
不動産税を引き上げたり、罰金や手数料を収入源として
当てにして、取り締まりを強化しているところがあるようです。

司法局はノース郡の誰でもすでに知っていることを発見した。それはあなたが黒人だったら、より警察の標的に、特に小さく些細な違反の標的になりやすいということだ。もしあなたが黒人で貧しく、弁護士を雇ったり罰金をすぐに払ったりできるだけのお金を持っていなかったら、状況はさらに悪くなる。ノース郡の牧師、ティモシー・ウッズは、「538」のベン・カッセルマンに説明している。「低所得の労働者は不動産税や自動車税を払えない。積極的な取り締まりが彼の車を停止させ、その違反の切符を切る。貧しいので彼は罰金を払えないだろう。すると即座に、軽微な違反が逮捕令状に変わり、刑務所に入ることになる。犯罪歴がつくと、まともな仕事をみつけるのが難しくなり、ずっと貧困であり続けることになる。この辺りの人たちの半分が逮捕令状を受け取ったことがあるんだ。」

アメリカ中の多くの都市に共通する警察活動(POLICING)は状況を良くしているのか悪くしているのかははっきりしない。中流階級エリアに住む白人の中流階級世帯にとって、警察の存在は実際には市民を保護してくれるとは言わないまでも、一般的には控えめで無害なものだ。だが、他の場所では全く違う。貧しく、隔離されている近隣では、アミー・ラーマンとヴェスラ・ウィーバーが書いているように、「監視のインフラ−警察の支署からパトカーへ、そして警察官が降りて住民の建物を垂直パトロールしていく−それが至る所に広がっている地域生活の構造の一部なのだ。これらの近隣では、市民は日常の動きの中で定期的に警察と遭遇する。だがそれは、不本意で大いにありがたくないやり取りなのだ。」
(アラン・マラック著「THE DIDIDED DITY」山納洋訳)

アメリカ・コロラド州で、庭でごみ拾いをしていた
黒人の男子大学生が、職務質問のために駆けつけた
多数の警察官に囲まれる様子が昨日動画でアップされ
日本でも話題になっているようですね。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190307/k10011839181000.html

アメリカの警察や司法に人種的な問題があることは
よく知られていますが、その背景には地域経済の問題も
あるようです。つまり「警察活動」も
都市政策と密接に関わっている問題なんですね。


2019/03/06(Wed)
コモンカフェでWiFiが使えるように


さて、大事なご連絡です。
コモンカフェでWiFiが使えるようになりました。
仕事や勉強、イベントなどにご活用ください。
ご参考までに、3月以降のスケジュールはこちらを。
http://talkin-about.com/?page_id=4260

4月1日に、コモンカフェ15周年を迎えます。
そんな大事なタイミングなのに僕はまだボストンです。
6月のどこかには帰るので、7月の初め頃に、
また「静かに祝う会」をしようかと。

写真は去年の「14周年を静かに祝う会」の様子です。


2019/03/05(Tue)
ハーバード大学自然史博物館へ


今日は勉強の合間にハーバード大学自然史博物館へ。
ここの「鉱物学と地質学博物館」では、
地球上に存在する鉱物の大部分が見られます。

上の写真の真ん中から手前にあるのは黄玉(トパーズ)。
中学高校の頃に岐阜県まで採りに行きましたが、レベルが違います。
辛いことがあったら、ここに来て癒されようと思います。


2019/03/05(Tue)
心斎橋スタンダードブックストアが閉店

出版記念トークイベントなどで何度もお世話になってきた
心斎橋スタンダードブックストアが、
4/10頃に閉店するそうです。

オーナーの中川さんは、
新たなお店を作ろうとされているようです。
http://www.standardbookstore.com/archives/66305727.html?fbclid=IwAR1QKM0iKYLINh24OH5Lz3JrpHlCORgv_INr9iBJQaUoyAea1dRY8WisJ08


2019/03/04(Mon)
雪のため休講


384ページある"FATAL MISCONCEPTION"を読むために、
この1週間は起きている時間のほとんどを
読書と勉強にあててきて、どうにか読み終えました。
大河小説のようでした。が、今日は雪のため休講でした…

医療技術の進歩と衛生環境の改善で乳幼児死亡率が下がり、
人口爆発が懸念されるようになる中、
看護師であったマーガレット・サンガ―が
女性が子どもを産まなくてもいい選択をと
避妊具を普及する活動を始め、
世界を飛び回って賛同者を探した。

増え続ける世界の人口をコントロールするという
大きなミッションを彼女は担うようになり、
世界会議を開催するまでになった。
戦後には人口爆発が予測される中、
人口計画支援団体に莫大な寄付が集まるようになり、
団体は集まった資金の使い先を探す必要に迫られた。

そんな中、インドでの人口抑制に多額が投じられ、
避妊や不妊が大々的に行われるようになったが、
それが強制的な形で行われるという人道的問題が起きた。
また団体内部も硬直化、既得権益化していき、
先進国の人たちが途上国の貧しい人たちの
「産む権利」を左右するという構造が生まれてきた。

その後中国で進められた一人っ子政策が、
避妊や不妊や中絶を強要する形で大々的に進められ、
人口計画自体が世界的に問題視されるようになった。
実はそんなことをしなくても女性の教育と社会進出が進めば
少子化は進むことが明らかになる中、
フェミニズム運動の興隆を背景に、団体の活動も、
女性自身が世界の女性の「産む権利」と
「産まない権利」を話し合うという方向に変化してきた。

そこに至るまでに、いかに多くの悲劇が繰り返されてきたか、
ということが書かれている本でした。

以上、備忘録として。
来週、この読書がムダにならないことを祈っています。


2019/02/26(Tue)
FATAL MISCONCEPTION


ハーバード大学でのゼミ「過去と現在」は、
その後学生が3人に落ち着きました。
僕以外はインド人の男性とイギリス人で黒人の女性です。

この講義は前半、テキストを読んできて
話し合う形で進められていて、これまでに、
黒人に対する人種イデオロギーの起源について、
アメリカの死刑制度廃止をめぐる状況について、
と続いてきました。

前回の死刑制度の話は、2つ合わせて130ページで、
2週間あったので何とかなりましたが、
来週の課題図書 "FATAL MISCONCEPTION"は
本編が384ページもあります。間に合う気がしません…

ただ、本自体は面白いです。
人口爆発が起こる中、世界を持続可能にすること、
生活を持続可能にするために良かれと思って取られた
人口抑制政策がどう生まれ、どんな結果が引き起こされたかが、
ものすごい調査のもとに書かれています。
http://www.hup.harvard.edu/catalog.php?isbn=9780674034600

著者のマシュー・コンネリー氏は、
コロンビア大学の歴史の教授で、現在51歳。
日本ではほとんど知られていないのではと。

モシク・テムキン准教授のスパルタゼミは大変ですが、
日本では知られていない評価の高い本や論文に
出会うことができるのが貴重です。
また3人しかいないので、拙い英語ながらも、
自分が本当に思うことを喋れば聞いてもらえるのも
ありがたい機会だと思います。

ちなみにテムキン准教授自身も、
日本ではほとんど知られていないようで、
日本語で検索するとこの一つだけが出ます。
「歴史家は専門家になるべきでない」という
ニューヨークタイムズ紙のコラムの一部を
朝日新聞の記者さんが訳したものです。
http://allatanys.jp/blogs/4618/


2019/02/24(Sun)
ソファに出会う


雨上がりにホールフーズに行く途中に
道にソファーが3脚置いてあり、
「TAKE FREE PLEASE!」と書いてありました。

買い物帰りに通りかかるとまだあったので、
そのうち1脚を持って帰ってきました。
これがとても座り心地が良く、
テーブルと高さも合っています。

家賃は高いのに、こと道での譲り物に関しては
アメリカは天国です。このソファが気に入ったので、
部屋からあまり出なくなるかもです。


2019/02/23(Sat)
古着屋ハンティング


勉強と翻訳ばかりしている日々の中で、
古着屋で掘り出し物を探してくるのが
気晴らしのようになっています。

上の怪しいトレーナーは5ドル50セント。
寝巻として愛用しています。
下のセーターは3ドル20セント。
ポンド売りの山の中で輝いていました。

食事だと1回10ドル以上普通にするのに、
こと古着に関してはアメリカは天国です。


2019/02/21(Thu)
Bach To The Blues


アパートで翻訳をしている時には、
youtubeのランダム再生で音楽をかけていますが、
ラムゼイ・ルイス・トリオの「Bach To The Blues」が
なぜか毎日かかります。これがすごくいいです。
https://www.youtube.com/watch?v=vgWQvdOE5tM

バッハやチャイコフスキー、ラフマニノフなどの
クラシックの曲をブルースとして解釈したという
チャレンジングなものですが、とても聴きやすく、
仕事がかなりはかどります。1964年。


2019/02/20(Wed)
エグレストンスクエアへ


ということで、午前中の講義の後に
昨日のニュースで紹介されたエグレストンスクエアへ。

ワシントン通りに沿って食料雑貨店、酒屋、
レストラン、床屋、ネイルサロンなどが並んでいて、
分かりやすくラティーノの人たちの近隣地区です。
周辺の住宅は確かに、綺麗になっている家が多いなと。

お昼だったので、ドミニカ料理店に入り、
牛肉のシチュー(12ドル)をいただきました。
他にはヒスパニック系の女性と子どもがいて、
店内にはドミニカの絵が飾ってありました。
ただ会話はスペイン語なので分かりませんが…

通り沿いには、6階建てのアパートを建設中。
地域には、もともとある住宅から住民を追い出さずに
新たに建てたアパートに新住民に入ってもらおうとか、
その中にアフォーダブル住宅を増やしてもらおうという
活動をしている方々がおられ、一定の成果を上げているようです。
https://www.wbur.org/radioboston/2019/02/19/egleston-square-housing

エグレストンスクエアは、そんな感じでした。


2019/02/19(Tue)
エグレストンスクエアのジェントリフィケーション


ボストンの南にあるエグレストンスクエアで
ジェントリフィケーションが起こっていると
ラジオボストンのニュースで流れていました。
https://www.wbur.org/radioboston/2019/02/19/egleston-square-housing

リンク先の記事に書いてあることですが、
ロクスベリーからエグレストンスクエアにかけては
1930年代には「レッドライニング」といって、
黒人や移民が多く住むことから、アメリカ連邦政府が、
この地区に家を買うならローンの裏書きはしません、
と線引きしていたエリアでした。

そうなると、投資ができなくなるので、
そこにある住宅はボロボロになり、街は寂れてきます。
そういう状態が何十年も続いてきて、
1960年には98%いた白人が90年には30%になり、
この地区は主にドミニカ移民が暮らす近隣になりました。

それがここに来て、新たな投資が起こりました。
地域にホールフーズマーケットができると分かると、
それが合図であるかのように投資家たちが、
安かったボロボロの家を家を買って修繕し始めます。
そして家賃を上げるので、それまでの住人が出て行き、
その家賃を払える白人が住むようになります。
白人比率は2010年には53%に上がり、
2000年には4万ドルだった平均世帯収入が
今では7万ドルへと上昇しています。

では、これまで住んでいた低所得の住民が
追い出されることなく暮らしていくにはどうすればいいか。
ボストンのように、今、家賃が急上昇している
(スカイロケッティング)地域ではこれが大きな問題になっています。

対策としては、アフォーダブルハウジングを建てる、
家賃に制限をかける、行政が補助金を出す、
ゾーニングを緩和して建てやすくする、
などが講じられているようですが、
基本的人権にかかわる住宅をコモディティとして、
市場に委ねてしまうことにそもそも問題がある、
といった議論がラジオではされていました。

そう、このことが理解はできても
対処のしようがないのがもどかしいところです。
そもそも自分自身が、築100年以上のアパートの地下室に
1650ドルの家賃を払って住んでいるから
誰かはケンブリッジに住めなくなっているという話なので。

エグレストンスクエアの話を大阪に喩えると、
沖縄県人のコミュニティに惹かれて大正区に住む
ナイチャーが増えたことで、家賃が上がり、
沖縄の人たちが追い出された、というような話です。
日本がゆくゆくこういうことになりませんように。
日本がゆくゆく、こういうことになりませんように。

写真は暑い頃にウロウロしたエグレストンスクエア。
近々にまた行こうと思います。


2019/02/16(Sat)
OLYMPIAN Diner and Restaurant


12日。昼食はブロックトンではなく、
近くにあるブレイントゥリーにあるダイナーへ。
ミスター・ジョンが務めていた弁護士事務所のそばにあり、
週に3日、4日とやって来ていたそうです。
http://www.olympiandiner.com/about.html

このお店は30年ほど前にギリシア人の男性が始め、
今は2人の息子さんと共に続けているようです。
もともと労働者向けのお店で値段が安く、
ベーシックでシンプルなメニューなのですが、
料理が美味しいと評判で、
今は年配のお客さんに愛されている感じです。

注文したのは七面鳥のサンドイッチですが、
お店で時間をかけて調理をしているそうで、
「出来合いのものを買ってきて出しているお店が多い中
 このお店は本当にいい仕事をしている」と
ミスター・ジョンが絶賛していました。

場所は地下鉄レッドラインの終点ブレイントゥリーから
徒歩15分ほどの場所にあります。
今度は一人で行って、魚料理を試してみようかと。

今回のアービントン&ブロックトンツアーは、
そんな感じで終了。帰りには雪がだいぶ降りましたが、
ぶじケンブリッジまで帰ってきました(おわり)。


2019/02/14(Thu)
Walkin'About@Brockton


その後アービントン南西にあるブロックトンへ。
人口9万5千人、アービントンと入れ替わりで
靴産業の中心地となりましたが、今は靴は作っていません。

ダウンタウンから少し行くと、靴工場の労働者の住宅地、
その外側には靴工場のオーナーと経営層の住宅地が
残されていて、かつての繁栄の気配を知ることができます。

ただ、この町に住んでいた白人たちは、70,80年代に、
この町を離れていきました。そして入れ替わるように、
ボストン南のド―チェスター、ロクスベリーに住んでいた、
ヨーロッパからの後期移民やアフリカ系アメリカ人が、
この町に暮らすようになりました。
ブロックトンの人口動態を見ると、2013年の推定値で、
白人も黒人も43パーセントずつになっています。

最近、ボストン周辺の家賃高騰のあおりで、
ブロックトンに移住する人が増え、
地価や家賃が上がっているそうです。
そのことで新しいレストランや面白いショップが
できていないかと見て回りましたが、そんな気配はなく、
ダウンタウンは寂れ、ロードサイドショップは
99セントショップのような低所得者向けのお店が中心で、
住宅地は人通りが少なく、家が手入れされていない感じでした。

ダウンタウンの写真を撮ろうとカメラを建物に向けると、
「撮るな!」と黒人の男性が怒って叫んだので、撤退。
不動産で一儲けしようと企んでいる輩だと思われたのかも。

いま訳している「THE DIVIDED CITY」にも、
かつて製造業で栄え、20世紀後半から衰退し、
苦闘を続けている町のことが一杯書かれていますが、
ここもそういう町のようです。

ジェントリフィケーションが起きているのは、
ほんの一握りの街、ほんの一握りのエリアだけのようです。


2019/02/13(Wed)
Walkin'About@Abington(2)


ミスター・ジョンがアービントンで育った50年代は、
ちょうど生活がいろいろ変わる時期でした。
家の畑では主に野菜を育てていましたが
父親はまだ馬で畑を耕していて、
祖父の家では牛を飼っていました。
燃料は森で採れる薪と石炭で、
その後に石油が主流になっていったと。

父親は靴工場の仕事ではなくトラックの運転手で、
ブロックトンにある会社に出社してから
コッド岬やニューベッドフォードまで行って来る
日帰りの仕事だったので、毎日家に帰ってきました。
ブルーカラーですが、組合のおかげで給料は保証され、
生活は安定していたそうです。

この2軒の家の右が祖父が買った家で、
左の家は父親が土地を分けてもらって建てたそうです。
ミスター・ジョンは左の家で育ちましたが、
どちらの家も、ずいぶん前に人手に渡っています。

「ここに来ると、いつも悲しい気分になる。
 今の所有者は手入れをせず、庭には何も植えていないからね。」

アービントンの街は寂れているというよりは
何もないという感じでした。今では中流階級が暮らす、
静かな住宅街になっているようです。

(つづく)



2019/02/12(Tue)
Walkin'About@Abington(1)


カフェの友人、ミスター・ジョンから、
僕の生まれ育った町に行ってみないかと誘われ、
ボストンから南に32kmの場所にある
アービントンという町に行ってきました。
人口は1万6千人程の小さな町です。
そこで彼のファミリーヒストリーを聞きました。

彼の曽祖父は、1846年に親戚と一緒に、
アイルランドからアービントンに渡って来たそうです。
ポテトファミン(ジャガイモ飢饉)と呼ばれる飢饉が
アイルランドを襲った時のことです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャガイモ飢饉

曽祖父はこの地で農地を手に入れ、
夏の間は農業をし、それ以外の時期は靴工場で働きました。
アービントンは当時は靴産業の中心地で、
南北戦争時の北軍の軍靴の半分はこの町で作られたそうです。

靴産業はその後、南西に接するブロックトンに移りました。
曽祖父がやってきたちょうど100年後の1946年に
ミスター・ジョンはこの町に生まれましたが
その頃にはもう靴は作られていなかったそうです。

写真は残されていた靴工場の建物です。


2019/02/10(Sun)
Praise the God!(神を称えよ!)


日曜日の朝にはどこの教会でも礼拝をやっていて、
ボストンに来た当初には近所の教会を回っていました。
バンドを入れてライブみたいにしているところ、
古い大きな教会に礼拝者が10人というところ、
スペイン語で礼拝をやっているところもありました。

この教会では、WORSHIP(礼拝)と書いてありますが、
聖書を読んで讃美歌を読んでパンとワインを頂いて
献金をするという、普通にあるパターンとは違っていて、
みんなで歌い、踊り、シャウトしています。
参加しておられるのは、僕以外はみんな黒人です。
女性がほとんどでした。

"Praise the God!" "Thank you God!"
とにかくみなさん、神への感謝を叫び続けるのですが。
その中で、すごく個人的な体験を語っています。
「数日前に鍵をなくしたの。これは神からの試練だわ。」
「先週車がぶつかってきたの。でも私は乗り越えたわ。」

そんな中、とても大きな悩みを抱えた女性が、
「私はずっと暗い場所(Dark Place)にいたわ。
 とても辛くて苦しかった。でも、神もその苦しみを
 味わってきた。神とともにあると思えることで、
 私はそれを乗り越えたわ!」と滔々と語り、
その後にみんなが歌い、踊り、叫び、
本当に神が降りてきたのではという高揚感に包まれました。

実はこの礼拝に参加するのは数ヶ月ぶりで2度目で、
最初はただただ圧倒されていたのですが、
この国で黒人たちが置かれている状況を知るにつれ、
彼らがスーパーポジティブに日々の苦難を乗り越えるには
神とともにいられる経験が決定的に重要なのだと分かってきました。

最後に話をした女性は、ニューヨークからボストンに
移ってきました。家賃が上がり、追い出されたそうです、
彼女はどうにか家賃を払うために車を手放しました。
ですがディーラーは「値段がつかない」と、彼女の車を
タダで処分しようとしました。その後彼女のところに、
車の代理店から連絡がありました。その車を教会の車として
使っていたので、たどりついたようです。
結局その車には2100ドルの値段がつきました。
それはちょうど私が必要としていた額だったのです。
ニューヨークを離れてボストンにやって来ましたが、
ここに来てから夫は「お前なしでは俺はだめだと分かった」と。
「神はこういう形で私を祝福してくれたのです。」

彼女は「家を追い出されたかわいそうな人」などではなく、
こういう境遇に置かれても、人を助けたい人なんだ、
ということに、強く心を打たれました。

そんな週末を送っています。






2019/02/10(Sat)
ファーマーズマーケット


ケンブリッジコミュニティセンターでやっていた
ファーマーズマーケットの様子。

野菜、果物、乳製品、パン、コーヒー、エジプト料理、
インドネシア料理、カメルーンの調味料、手作り石けんなど
多彩なものを売っていて、ステージ上ではおじいさんたちが
ギターを弾いていました。


2019/02/08(Fri)
アフォーダブルウォーター…
アメリカ五大湖周辺の都市では、水道インフラの老朽化から
この10年ほどの間に水道代が2倍、3倍に上がり、
払えずに水道を止められるケースが増えているそうです。

アメリカの水道管は新しいものでももう40、50年、
古いものでは100年以上経っていて、
政府もインフラ更新対策の予算を計上していますが足りず、
アフォーダブルハウジングならぬアフォーダブルウォーター
(購入可能な水)という言葉まで生まれています。
勝手に水を取ってくる「盗水」も増えていると…

https://www.npr.org/2019/02/08/691409795/a-water-crisis-is-growing-in-a-place-youd-least-expect-it


2019/02/05(Tue)
スナップショットの外側


今日のケンブリッジは昼は17℃まで上がり、
春がやってきたような心地良さでした。
明日の明け方には−2℃まで下がるそうですが…

さて、先週の受講者が2名で開講が危ぶまれていた
「過去と現在:歴史の調査を公共政策に活かす」ですが、
昨日は僕も含めて4名が集まり、開講が決まりました。
他の3名は、インド、中国、アフリカのどこかで、
生徒側にはアメリカ人が一人もいないクラスになりました。

モシク・テムキン准教授は
歴史的な事件をスナップショットとして見るのではなく
それまでにどういう経緯があってその事件が起きるに
至ったのか、その全体を見るように言います。

その例として、1941年の日本による真珠湾攻撃は
なぜ起きたのかという話をされ、これは僕が答えないと、
でもアメリカ人である准教授に、中国人がいる前で、
何と答えたものかと思っていると、インド人の男性が、
「明治維新までさかのぼる必要があります」と。

テムキン氏は、その意見を評価しつつ、
1941年に先立つ中国進出、1910年の日韓併合、
1905年の日露戦争、1868年の明治維新、そしてさらに
1853年のペリーによる開国要求あたりまでを見れば、
その意味が見えてくるだろう、と。

なるほど、そういうことを英語で言わないといけないのか…

来週からは、テキストを読んできてのディスカッションで、
一人一人に別の課題が出され、一人5分のプレゼンだそうです。
僕のテキストは24ページですが、
200ページの本1冊という人もいました。
これはなかなかな授業かも…

といいつつ、テキストを調べてみました。
僕が担当するのは、黒人奴隷の時代までさかのぼって、
白人が無意識に持っている人種イデオロギーを分析したものでした。
200ページの本は、ジム・クロウ法という、
南北戦争以降にアメリカ南部で制定された
人種差別的内容を含む州法の話でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジム・クロウ法

このテーマにおける「スナップショット」は
1960年代にアメリカ全土で頻発した黒人暴動か、
サブプライムローンの問題か、または
今起きているジェントリフィケーションなのではと。

ハーバードケネディスクール、やはり奥深いです。



2019/02/01(Fri)
darwin's ltd,


10月にこの日記でご紹介した、
MITの研究員の吉村有司さんが
アパートの近くの「darwin's ltd,」というカフェに
朝から毎日行っていると伺い、
行ってみると何とも居心地が良かったので、
僕も毎朝そこに行く人になりました。
http://darwinsltd.com/

もう10日ほどになりますが、
一日も外すことなく吉村さんと出会います。
wifiが無制限に使える、集中できる、情報交換できる、
学生だけでなくいろんな人がやって来ていて
いろんな会話が聞こえてきて面白いなど、
理由はいろいろですが、このカフェと出会ってからは、
ケンブリッジでの生活の質が変わってきました。
そして家に引きこもる時間が少なくなりました。
マイナス10℃であろうとも出掛けて行きます。
そして土日もずっと研究しています。

さて、そんな吉村さんが最近、
「ディープラーニングアーキテクト:
 人工知能の眼から見た建築デザインの分類」
と題する論文を公開されました。
http://blog.archiphoto.info/?eid=1170807&fbclid=IwAR1quDNftgvOa_zwWqJUYjPiCGFIu_3-FbxqHjeqkagkf2mJngVxneTbhXI

人工知能の目で見た時の建築家のデザインの特徴と
人間の目(歴史家や批評家)との間には
一体どのような違いがあるのかという研究だそうです。

僕はその隣で、「まちの外観から何がわかるか」とか、
ジェントリフィケーションとか都市再生といった
研究をしているというわけです。
なかなか味わい深い日々です。


2019/01/30(Wed)
ハーバードの春学期が始まりました


ハーバードの春学期が始まりました。
どの講義も初回は「Shopping Day」といって、
登録するかどうかを学生が決めるための
プレゼンのような内容になるのですが、
それを聞いて回り、今回は2つの講義を
聴講することにしました。

一つは「グローバル都市における住宅と都市化」
秋学期はアメリカの住宅政策と都市化を学びましたが、
こちらは主に発展途上国の同じ問題を扱うようです。

下の写真は、1913年のボストンのダウンタウンの写真。
矢印のところにある看板には、不動産ブローカーの名前が
書かれていて、この時代に不動産のコーディネートが
専業として成立していたことがここから分かるそうです。、
ちなみにイギリスではその役割を弁護士がしていたのだと。

これは、アメリカ、そして世界のまちヨミを学ぶのに
とてもいい講義なのではと。

もう一つは「過去と現在:歴史の調査を公共政策に活かす」
夕方4時からと遅いためでしょうか。行ってみると、
生徒は僕を含めて2人だけでした。

前半は資料をもとにディスカッション、
後半はそれぞれの研究テーマを深掘りして発表です。

これは、アメリカのまちヨミを研究・発表するのに
とてもいいセッションなのではと。

ボストンに滞在するあと5ヶ月の間に、
「THE DIVIDED CITY」の翻訳と、
ジェントリフィケーションの調査に取り組もうと
方向性を定めていて、もちろん進めていくのですが、
Walkin’About的な方向性を
さらに深めることができそうで楽しみです。  


2019/01/29(Tue)
Walkin'About@Concord(4)


コンコードには、オールドノース橋という、
アメリカ独立戦争のきっかけになった
発砲事件が1775年に起こったという
メモリアルな場所があります。
https://www.ab-road.net/north_america/usa/boston/guide/10307.html

そのすぐ近くには、旧牧師館と呼ばれる建物があります。
1770年に建てられ、19世紀にはナサニエル・ホーソンと
ソフィア夫妻が過ごしたという建物で、
当時のままの状態で残されています。

ミスタージョンは、こうした古い建物に詳しく、
屋根の形状などから、当時としては質素な建て方なのだと。

この建物の近くには、こんな黄色い家があるのですが、
こちらの方は、古い建物を150年ほど前に
リノベーションしたものなのだそうです。
そのことは、1階の大きくなっている窓で分かるのだと。

 古い家を観て、それがどんな背景や歴史を
 持っているかを知るのは、探偵のような知的な営みなんだ

僕は日本では、こういうことがいくらか分かるのですが、
アメリカにも、そういうまちヨミの文法が存在するようです。
ミスタージョンから学ぶことは、まだまだ多そうです。

(コンコードの回、おわり)


2019/01/27(Sun)
Walkin'About@Concord(3)


その後ミスタージョンに、コンコードの住宅地を
いろいろ案内してもらいました。

ニューイングランド地方の高級住宅は、
建物もゴージャスなのですが、
日本の家のように門や塀で囲まれてはおらず、
豊かな自然の中に大きな家がポツンとある
という感じでした(上)。

こちらのサイトでは、そうした邸宅が
写真と値段付きで紹介されています。
https://www.realtor.com/realestateandhomes-search/Concord_MA

調べてみると、こうした住宅は、
1908年にT型フォードが販売を開始し、
車で自由に移動できるようになったタイミングで
中産階級向けに販売されたようです。
ヴァンダーフーフ家が1910年に荒物屋を始めたのは、
そういう時代の波に乗った、ということだったようです。

僕からのリクエストは、第二次大戦後に帰還した、
復員兵のために建てられた住宅を見たい、
というものでしたが、それはこんな感じでした(下)。

こういう住宅は「サブディビジョン」と呼ばれます。
言葉のもともとの意味は「再分割」で、
農地や湿地を分割して開発した住宅、
という意味が含まれているのだそうです。

ガレージを備えた平屋建てというスペックで、
裕福ではない人たちを対象に建てられたようですが、
その後多くの家は、ガレージを居住空間に変えたり、
2階建てにしたりといった改装をしていて、
今では高級住宅化しているのだそうです。

アメリカでは都心のジェントリフィケーションが
問題になっていますが、このように郊外住宅も
値上がりしています。

つまり起こっていることは、都心か活性化して
郊外が寂れる、という単純な話ではなさそうです。


 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
[TOP]
shiromuku(hu1)DIARY version 3.10