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2019/01/27(Sat)
Frozen Charles River


雪がなくなったのでランニング。
チャールズ川が凍っていました。


2019/01/26(Sat)
Walkin'About@Concord(2)


コンコードの商店街にあったHARDWARE SHOP(荒物屋)の
雪かき道具が目に留まり、中に入ってみました。
店内にはパネルヒーター、コーヒーメーカーから、
ペンキ、錠前、シャベル、物干し台など、
日々の生活に必要な様々な製品が並べられいました。

ミスタージョンはいつものように気軽に
店主に話しかけます。店主も気さくな方で、
「ここは1910年に、私のひいじいさんが始めた店だ。
 ほら、あそこに写真があるだろう、と。」

その写真を、撮らせていただきました。
創業者のアルバート・ヴァンダーフーフ氏と
家族を中心とした従業員の姿が写っています。
店内には昔からの電話機や、棚の上のものを取るための
ホウィールラダーなどが残されていて面白いのですが、
製品がきれいに並べられ、このお店が現役で存在している、
というあたりに感動を覚えました。

お店を出てから商店街を見てみると、
昔から続いているお店とともに、最近できたであろう、
センスの良い洋服店やギャラリーも増えているようです。

ミスタージョンによると、コンコードには
つねに裕福な人たちが住んでいるそうですが、
最近は住宅の価格が上がっていることで、
さらに裕福で消費性向の高い人たちが
住むようになっているのだそうです。
彼らに対応した商売が、昔からの商売に
置き換わりつつあるのでしょう。


2019/01/25(Fri)
Walkin'About@Concord(1)


今日はcafe barismoで出会った
ミスター・ジョンと一緒に、ボストン郊外の
レキシントンとコンコードを訪ねました。
僕らが住むケンブリッジからは、
北西へ車で20分ちょっとの近場です。

昨日は気温が12℃まで上がり、しかも雨だったので、
数日前の雪が魔法のように消えていました。
今日は天気も良く、快適な旅になりました。

レキシントンとコンコードは、1775年に、
アメリカ独立戦争の導火線となった戦いが
起こった場所として、アメリカではよく知られています。
https://www.sekainorekisi.com/my_keywords/レキシントン・コンコードの戦い/

それも興味深かったのですが、僕の今回の意図は、
ボストンの郊外住宅地がどんな風に開発されたのかを
観に行くというあたりにありました。

この写真は、ミニットマンと呼ばれる民兵の像と、
その背後にあるレキシントン・コモンです。
ボストンとその周辺都市には「〇〇コモン」
という場所があちこちにありますが、これはかつて、
その周辺に住んでいた家族が飼っていた牛のための
牧草地を共有(コモン)していたことから来ていると、
ミスター・ジョンに教わりました。

コモンズが存在するのは、そこが都会だということ。
農村であれば、農家はそれぞれに牧草地を持ちます。
都会に暮らす家族が牛乳や乳製品のために飼う牛に
草を食べさせるための牧草地がコモンズだったのだと。

(しばらくつづきます)


2019/01/24(Thu)
No Drama


Targetというスーパーで
「No Drama」と書かれたマグカップが気になり衝動買い。
「これはドラマじゃない」「ドラマなんてない」
そういうメッセージを可愛いイラストに込めた
シュールな何かかと思っていましたが、
イラストで描かれているのはリャマ(LLAMA)で、
「NO DRAMA LLAMA」というキャラか漫画があるようです。

さて、今日、48歳となりました。
今こちらは24日の午前7時ですが、
時差が14時間あるので、昨日から
多くのメッセージをいただいていました
ありがとうございました!

ひとつ補足をします。ボストンは外は
マイナス20℃ぐらいになるのですが、
セントラルヒーティングのおかげで
部屋の中は快適で、寝る時も寒くないのです。
多くの方にご心配をおかけしました…


2019/01/23(Wed)
部屋に籠れない性質


最低気温が−16℃、最高気温が−13℃。
そんな日には部屋に籠っているしかないと、
鍋の食材を買い込み、youtubeで音楽をかけながら、
ひとり執筆や翻訳にいそしんでいたのですが、
どうもそういうのには向いていないようで、
どんなに寒くともまちを歩いたり、カフェや図書館に行ったりと、
日々の生活にアクセントをつけないと持たない
ということに気づいてきました。

朝起きて食事をしたら、まず本を2ページほど訳しています。
今日訳したのは、サブプライムローンのバブル崩壊後に、
デトロイトの衰退地区に家を買う人たちのお話でした。
なかなかいかつい方法です。

 何千もの住宅所有者が競売やタックスオークションによって住宅を失う一方で、新たな類の略奪的投資家が現れ始めた。
 これらの投資家は独自のそろばんを弾いた。彼らは税金不払いに対して郡が不動産を取り上げるまでに最低3年かかることを知っていた。もし家を1万5千ドルで買って貸し出せば、言うまでもなく月に750ドル、年間で9千ドルの収入になる。税金を払わずダクトテープを巻く以上の修繕を行わなければ、3年の終わりには2万7千ドル近い上がりを得られる。つまり3年間で1万2千ドルの利益、年利25パーセント以上の素敵なリターンだ。
 この時点ですでには儲かっているのだから、崩壊しかかっている家から去るのに躊躇することはないだろう。今(デトロイトの)クレーリーセントメリーに家を買っている人々は、そういうそろばんを弾いてきた人たちだ。
(アラン・マラック「THE DIDIDED CITY」第4章「人種、貧困、不動産」より)


2019/01/19(Sat)
Shutdown in U.S.
現在アメリカでは、シャットダウンといって、
80万人いる連邦政府職員が自宅待機状態になっており、
多くの公務がストップしています。
https://www.businessinsider.jp/post-183244

今回のシャットダウンは、トランプ大統領が要求した
メキシコ国境の壁建設の57億ドルの予算を、
民主党が承認せず、それに対してトランプ大統領が
政府機関の歳出法案に署名しないと抵抗していることで
起こっています。始まったのが12月22日で、
クリスマス休暇や年末と重なっていたので、
年明けには終わるだろうと思われていましたが、

トランプが態度を硬化させていることで
そういう状態が4週間以上も続き、
自宅待機している職員が兵糧攻め状態になっていたり、
航空管制官や沿岸警備隊が無給で働いていたり、
公務を請負う民間企業が商売あがったりになっていたりと
なかなか深刻な事態になっているようです。

https://en.wikipedia.org/wiki/2018–19_United_States_federal_government_shutdown

https://www.bostonglobe.com/metro/2019/01/18/shutdown-lurches-forward-financial-strain-deepens/vNzhHJROZuklmV7CMtgHTK/story.html?s_campaign=breakingnews:newsletter

このまま続くと、フードスタンプ(日本の生活保護の
ようなもので、食糧品にのみ使える)の支給にも
支障が出ると懸念されています。

これはさすがに、やめてほしいと思います。


2019/01/17(Thu)
パタン・ランゲージ


今日は最高気温が−2℃ぐらいだったので、
ずっと家に引きこもっていようと思いつつも、
アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』の原書を見たい、
という思いに駆られて、ハーバード大学そばの書店へ。

そこで「取り寄せになります」と言われたので、
今度は大学の図書館へ。教育大学院の方にあるそうなので、
行って借りました。なんと9月まで借りられるそうです。

クリストファー・アレグザンダーは
『パタン・ランゲージ』(1977年、邦訳1984年)の中で、
人々が「心地よい」と感じる環境をを分析して、
町・コミュニティ、建物、構造・施工・インテリアに関する
253のパターンを挙げています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/パタン・ランゲージ

写真は「歩行者街路」についてのパターン。

 人々が公共の場所で肩を擦り合わせる時に生まれる
 シンプルな社会的交際は、社会における
 最も本質的な類の社会的「接着剤」の一つである。

こんな感じで、写真やイラストを先に立てて、
253のパターンについて解説してあります。
そうそう、まさにこういうイメージ。

大学はまだ冬休みで、校庭には人はまばらでしたが、
図書館には人が一杯いて賑やかでした。
結局ここで昼食を取り、夕方までいました。


2019/01/16(Wed)
ボストンに戻りました


ということで、無事にボストンに戻っています。

日本に滞在している間にアメリカでの生活を忘れ、
カレーってどう作るんだったっけ、ぐらいになっていて
一人暮らしの再開に不安があったのですが、
ホールフーズマーケットに行くと、
玉ねぎやじゃがいもや七面鳥のひき肉の場所を
体が覚えていました。

アパートの部屋に入ると、同じように、
こちらでの生活の記憶が活き活きと甦ってきます。
そうそう、地下のコックピットみたいな部屋、
居心地良かったなと。

春学期は再来週からなので、今日は大学には行かず、
朝から家から最寄りのカフェ「barismo」で
まちヨミの文章をまとめていました。

昼からは「1369coffee house」に行き、
「THE DIVIDED CITY」の翻訳に取りかかろうと思います。

そんな静かな生活が、また始まりました。


2019/01/14(Mon)
明日、ボストンに戻ります


昨年6月に、都市環境デザインセミナーで
「なぜ『まち歩き』をするのか」と題して、
Walkin' Aboutから見えてきた「まちヨミ」のポイントについて
お話ししましたが、アメリカで都市政策を学ぶうちに、
またマサチューセッツ州の都市を巡り歩いているうちに、
「まちは誰がデザインし、誰がどう使いこなしているのか」
という視点から、そのポイントを体系化しておきたい
と考えるようになりました。

文章を書く作業はアメリカでもできるのですが、
日本のまちの写真は日本でしか撮れないので、
この5週間は、Walkin' Aboutで訪れた場所を中心に、
気になっていた場所の写真を撮り回っていました。
当初はアメリカの都市政策の本を訳している積りでしたが、
あまり本を開けることなく過ごしてしまいました…

明日、僕はまたボストンに戻ります。
今度は5ヶ月ほど滞在している予定です。
しばらくは寒い日が続くので、部屋やカフェに籠って、
研究を進めていきたいと思います。
またみなさんにお会いする日を、楽しみにしています!

写真左:神戸市長田区・新長田1番街
写真右:大阪市淀川区・三国東


2019/01/05(Sat)
工楽松右衛門旧宅の修復


Walkin'Aboutで高砂を訪れたのは2015年5月。
江戸時代にはまちの中心だった堀川のそばに
壁に船材を使った、崩れかかった住宅を見かけました。

今日、久々に高砂を訪ねてみると、
この家が見事に修復され、一般公開されていました。
工楽松右衛門という、江戸時代に海運業や
鞆の浦や函館の港湾改修を手掛けた方の旧宅だったそうです。
https://kurakutei.wixsite.com/kuraku

旧宅は2016年に市に寄贈され、その後の調査で
その目の前で江戸時代の雁木が発見され、
現在は旧宅とともに公開されています。
http://www.city.takasago.hyogo.jp/sp/index.cfm/18,61546,175,html

高砂って、松前船の時代に繁栄して、
その後の物流シフトで繁栄の文脈から外れ、
昔のままの構造を残しているあたりが、
鞆の浦にとてもよく似ていて面白いのですが、
実際に鞆の浦とつながっていたんですね。

そんな感じで、日本にいる間にWalkin'Aboutで
出会った場所を訪ね直す旅は続いています。


2019/01/01(Tue)
Happy New Year!


みなさま、明けましておめでとうございます。

正月明けにはボストンに戻り、6月まで滞在します。
日本では得られない経験を重ねたいと思います。
また向こうでの経験や見聞をお伝えしていきます。

4月1日に、コモンカフェは15周年を迎えます。
ささやかなお祝いの集いは、戻って来てからに。

ではでは、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


2018/12/31(Mon)


日本の年越しはいいですね。
翻訳作業はちっとも進んでいませんが
気にせずに年の瀬を迎えたいと思います。


2018/12/29(Sat)
中国物産店がそこにある必然


阪急京都線相川駅から井高野団地に行く途中にある商店街に、
「物美達」という名前の中国物産店があります。
4年前にこのあたりをうろついた時に気になっていて、
今日やっと足を運ぶことができました。

中に入ると、中国料理に使うお肉や調味料や食材、
そしてお菓子などが並んでいました。
店員は中国の方で、質問すると日本語で答えてくれました。

お店のオープンは5年前。貿易会社が経営しているそうです。
ここにお店を構えているのは、
団地の中に中国からの人が多く住んでいるのと、
大阪成蹊大、大阪経済大、大和大、大阪学院大と、
日本語学校が近くにあり、留学生が多いからだそうです。
そういう目で見ると、見事に団地と大学に囲まれています。

中国人が住んでいるから物産店ができるわけですが、
物産店があるからその近くに住む、という人たちも
出てくるのかも知れません。今日はここで老婆餅を買いました。

日本にいる間に、気になっていた場所を訪れて
写真に収めてくるという活動を現在しています。
そしてボストン滞在中に纏めてみようかと。


2018/12/29(Sat)
コモンカフェの大掃除


昨日はコモンカフェの大掃除でした。


2018/12/28(Fri)
より道ツアー


昨夜は尼ヶ崎・戸ノ内の沖縄料理「より道」へ。
小栗一紅さんと桝郷春美さん企画の
「わてらのより道ツアー」に乗っかって、5名で。

ママは2ヶ月前に腕を骨折されていて、
昨日はじめてギプスを外したのだそうです。
娘のみゆきさんも転んで尾てい骨にヒビが入ったと。
そんな中で、料理をいっぱい作ってくれていました。
この写真の後にも、ナーベラーチャンプルーと沖縄そば、
サーターアンダギーが出てきました。

僕がより道に初めて行ったのは、7年前。
JR加島駅から北へ、シャフト工場の間を抜け、
モスリン橋を渡って戸ノ内に行くのは冒険でしたが、
その後通い続け、今ではホームに戻る気持ちで
同じ道をたどっています。

ボストンに渡るときには、帰って来た時に
お店が閉まっていたらと心配していたのですが、
そして怪我に見舞われ実際に大変だったそうですが、
お会いできて、お話しできて本当に良かったです。
ボストンに戻るまでに、もう一度お邪魔できればと。


2018/12/23(Sun)
英会話カフェに癒される


今朝は神戸・三ノ宮のカフェで開催されている
英会話カフェに参加してきました。先週に続き2度目です。
https://cafeeikaiwa.jp/Kobe.html

参加料は500円プラス珈琲代で、ランク分けされた
日本人メンバー同士で話し合うというスタイルです。
僕はレベルA(中上級以上)で参加しています。

海外では「日本語に逃げる」という手が通用しませんが、
日本では、According to“規制緩和”, our company...
というように、知らない単語を避けてとりあえず喋り、
「“deregulation”ね」と後で調べることができます。
これがとても精神的に楽で、癒されています。

集まっている人たちの多くは若く、
仕事上英語が必要な人、英語が趣味の人、
海外経験があり、語学力をキープしたい人がおられます。
なるほど、こういう人たちがいるんだ、と新鮮です。

向こうに戻ると、語学力が死活問題になるので、
自分が喋りたいことを自由に英語で表現できるよう、
日本滞在中は行き続けようかと思っています。


2018/12/22(Sat)
BALUE CAFEの卒業


今年8月からコモンカフェの金曜昼に入っていただいていた
「BALUE CAFE」の村野さんが、昨日の営業をもって
コモンカフェを卒業されることになりました。

「BALUE CAFE」の母体は、ブランディングを業とする
「BALUE, INC.」で、村野さんはデザイナーですが、
飲食経験が長くカフェ営業ができたり、
ストリートダンスのインストラクターだったりもする多彩な方です。
http://balue.jp/

そして1月からは、フィリピン・セブ島に渡って、
半年間デザインを教える仕事をされるそうです。
昨夜は「さよなら2018・BALUE大感謝祭」と題して、
盛大にパーティが開かれていました。

村野さん、BALUE, INC.のみなさん、お疲れさまでした!

そして1月からの金曜昼は、現在木曜夜に入っていただいている、
「料理やにっこり」の希代さんに、発酵料理ランチを出していただきます。



2018/12/21(Fri)
馴染みの喫茶店を巡る


西宮卸売市場の一角にある喫茶「ひかり」。
ご主人は50年以上、この場所でお店を続けてきた方です。
終戦時には小学5年生だったそうなので、
84歳ぐらいなのですが、すごく記憶力のいい方です。
久々に伺うと「3ヶ月ぶりぐらいかな」と。

ボストンに行っていた話をすると、ご主人は、
高校を中退した後、朝鮮戦争の時に進駐軍列車に乗り、
横須賀から呉、佐世保に移動し、朝鮮半島へと発つ
米兵に料理を出していて、その時に片言の英語を覚えた、
という話をしてくれました。

ハーバーランドから少し南にある西出町に
「思いつき」という名前の喫茶店があります。
開業は昭和30年。今は4姉妹で続けておられます。

神戸での仕事のついでに顔を出すと、
「ちょうど昨日、山納さんの噂をしていたところよ。
 アメリカに行ってらしたのよね」と。
五女の紀久恵さんが喜寿のお祝いで買って来たケーキを、
振舞っていただきました。

馴染みになっているこうしたお店が
変わらず続いているか心配していましたが、
みなさんお元気そうで、ホッとしました。

実はアメリカ滞在中にストレスから
僕はお酒が飲めなくなっているのですが、
馴染みの呑み屋がどうなっているかも心配しています。
近々にウーロン茶かさんぴん茶でも飲みに行こうかと。


2018/12/12(Wed)
帰ってきたけんちくの手帖


昨日の夜はコモンカフェでの「帰ってきたけんちくの手帖」に参加。
2004年から2010年にかけて24回開催された、
建築やまちづくりについてのトークセッションのゲストが
一堂に会して当時を振り返り、近況を報告するイベントです。
http://kanotetsuya.com/kenchiku-no-techo-2018/

みなさんその後、本を出したり活動の場を広げたりされていて、
このイベントの果たした役割を再認識できました。
僕は今翻訳に取り組んでいる「The Divided City」の
話をさせてもらいました。


2018/12/10(Mon)


ということで、大阪に戻っています。
基本的にはグランフロント大阪の都市魅力研究室で
アメリカの都市について研究を深めているはずですが、
時々いろんな場所に現れるかと。


2018/12/07(土)
博覧強記の夕べ/マチ会議


大阪滞在中に、定例の2つのサロンを開催します。
「博覧強記」では、僕は現在翻訳に取り組んでいる
「THE DIVIDED CITY」ほか、最近ハーバードで話題の本を紹介します。
会場はコモンカフェで、カウンターではうちの息子が
コーヒーを淹れています。

「マチ会議」はいつも通りグランフロント・都市魅力研究室で。
僕は訪ね歩いたマサチューセッツ州の街の話をします。

【博覧強記の夕べ】
 面白かった本を紹介するサロンです。ジャンルは不問。
 12月17日(月)19:30〜22:00頃 @中崎町コモンカフェ
 *当日は持ち寄りパーティ形式となります
 http://talkin-about.com/?page_id=68

【マチ会議】
 マチの魅力とは、なんだろう?
 訪れたくなる、住みたくなり、働きたくなるまちには、
 何があるんだろう?
 そんなテーマで、自由に話し合います。
 1月9日(水)19:00〜21:00頃 @都市魅力研究室
 http://www.toshimiryoku.jp/access.html


興味ありましたら、お気軽にご参加ください(参加無料)。


2018/12/06(Thu)
ハーバードケネディスクールの秋学期が終了


ハーバードケネディスクールの秋学期が終わりました。

僕はフェローなので、単位や学位は取れないけれど、
聴講することはできるというお気楽な立場で、
半分位しか分からない講義を聞き続けていました。
今はようやく8割ぐらい分かるようになってきました。

一番お世話になったのは、ジェームズ・カラス教授。
アメリカの都市政策の立案についての講義で、
国内の住宅政策、都市開発・活性化政策について、
これまでの経緯と現状認識を得ることができました。
https://www.hks.harvard.edu/faculty/james-carras

アメリカは人種差別の問題がいまだに深刻で、
ジェントリフィケーションのために住宅難という、
基本的人権を脅かす状況が目の前にあるのですが、
ポリシーメーカーはそうした状況の中で、
あくまでも社会的正義を追求しなければならない、
という強い意志を感じることができました。
最期に「つながるカフェ」の本をお渡ししてお礼を言いました。


また感動的だったのは、リカルド・ハウスマン教授の、
"Why are so many countries poor, volatile and unequal"
(なぜ多くの国々は貧しく、不安定で、不平等なのか)。

ハウスマン教授は、世界中の国々は何を輸出し、
何を輸入しているかのデータを数十年分集めて、
それぞれの国が何を作り、輸出できるようになったのか、
あるいは鉱物資源や原材料を輸出するだけだったのか、
その結果、それぞれの国にどんな産業と、
それにまつわる知識と人材の蓄積があるのかを見ています。
http://atlas.cid.harvard.edu/

豊かな国は、一人一人が別の知識を獲得し、
それをスクラブルゲームのように組み合わせて
多くの単語を作っていくように多様性を獲得していく
貧しい国は、みんなが同じ知識を獲得するために、
どの国でも作れる、短く種類の限られた単語のような製品しか作れない、
そして今作れないものをどうやって作れるようになるかに
豊かな国に至る道筋のヒントがある、というのが、
ハウスマン教授が語るエッセンスですが、
その講義を受講しているのが世界中の国の人たちで、
ガーナやベネズエラやアルバニアには何が必要かを
その国の人が必死になって聞いている姿が印象的でした。

最終講義では、世界の国々の状況を変えるのは君たちで、
そのために必要な考え方はこうだ、という話をされました。
終了後にはスタンディングオベーションが起きていました。
僕ですら少しウルっときました。

日本ではなかなか得られない、学びの機会でした。
そして長い冬休みです。僕はあさってボストンを発ちます。


2018/12/03(Mon)
帰ってきた、けんちくの手帖
僕は12/10(月)から来年1/14(月祝)まで大阪に戻るのですが、
12/11(火)夜にはコモンカフェで開催される、
『帰ってきた、けんちくの手帖』に出席します。
2004年から2010年までの6年間に24回開催された
「けんちくの手帖」というイベントのリバイバルです。

『(仮)帰ってきた、けんちくの手帖』
・日時:2018年12月11日 18時30分開場、19時00分開演
・会場:Common Cafe 大阪市北区中崎西1-1-6吉村ビルB1F
・入場料:2000円(ワンドリンク、けんちくの手帖記録本ブックレット付)
過去ゲストで出演された方は入場料無料とします。ブックレットも進呈いたします。
http://kanotetsuya.com/kenchiku-no-techo-2018/

興味ありましたら、ぜひお運びください。
上のリンクの中に参加申し込みフォームがあります。


2018/12/03(Mon)
Northmapton vs Holyoke


マサチューセッツ州スプリングフィールドから北に
コネティカット川をさかのぼるように北上すると、
ホールヨークとノーサンプトンという町が続いて現れます。

どちらも川が曲流する内側にあり、人口規模も
ホールヨーク市が4万人、ノーサンプトン市が3万人弱と、
似たような感じなのですが、行ってみると、
「551のある時」と「ない時」ぐらい歴然と違います。
「ある時」がノーサンプトン、「ない時」がホールヨークです。

ホールヨークはコネティカット川の水力を利用して
紙を作っていた工場町で、19世紀にはアメリカの紙の
8割がここで生産されていましたが、その後衰退します。

ノーサンプトンには主要産業がありませんでしたが、
19世紀半ばにスミス大学がこの地で創設され、
その後名門女子大として全国に名を轟かせるようになりました。

ホールヨーク郊外には戦後、
コミュニティカレッジが創設されました。
これは2年制大学で、ここから別の4年制大学に
編入が可能なので、少ない費用で学位が取れるという
メリットがあるのですが、そうなるとおそらく、
裕福ではない家庭の子が通う学校になるのでしょう。

ノーサンプトンにも衰退は訪れましたが、
製造業の町ではなかったため、その影響は間接的でした。
1981年にLGBTパレードが始められたことで、
レズビアンやゲイの人たちが移住してくる町になりました。
95年からはアートフェスティバルも開かれるようになり、
文化的再生を果たしています。

人口構成をみると、
ノーサンプトンの白人88%、ヒスパニック7%に対し
ホールヨークは白人43%、ヒスパニック50%となっています。

アメリカにおける都市の再生と衰退とは、
だいたいこんな様相を呈しています。


2018/12/03(Mon)
@ NETA, in Northampton


マサチューセッツ州では2016年に、
少量のマリファナ所持と栽培の合法化が、
住民投票で可決していますが、2週間ほど前に、
合法的にマリファナを販売するショップが2軒登場しました。
https://www.boston.com/news/local-news/2018/11/16/massachusetts-marijuana-dispensary-opening

そのうちの1軒が、スプリングフィールドにほど近い
ノーサンプトンという町にできていたので、
ミスター・ジョンと一緒に冷やかしに行ってみました。
入口は医療用と娯楽用の2つに分かれ、
小雪が舞う中、多くの人が並んでいました。
もちろん買いに行ったわけではありませんが、
店内に入るのも難しいほどの人気です。

さて、これはどういう現象なのか、ということですが…

現在、アメリカにはcriminal record(犯罪歴)を持つ人が7千万人います。
これはアメリカの大人の3分の1に当たります。
https://www.politifact.com/new-york/statements/2017/aug/18/andrew-cuomo/yes-one-three-us-adults-have-criminal-record/

上の記事にあるように、この数字は有罪判決を受けた
人の数ではなく、逮捕された人の数です。
ここに、少量の麻薬所持というのが結構な割合で
含まれているようです。

2010年時点で、12歳以上のマサチューセッツ州住人の
約16%が過去にマリファナを使ったことがあるようですが、
それで逮捕されてcriminal recordがついてしまうと、
まっとうに就職できなくなる可能性があるなど
大きな不利益を被るため、それなら他の犯罪や事故に
つながらないよう十分に注意しながら合法化しよう、
そして栽培や販売による利益がブラックマネーではなく、
地域経済を潤し、州政府にも税収が入るまっとうな収入に
なるようにしよう、というのがその思想です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Cannabis_in_Massachusetts

つまり、社会的正義と経済効果という観点から
合法化が実現した、というわけです。
話としては分かりますが、それがよく通ったなぁ、という感じです。
ちなみに娯楽用の使用までを合法化している州は10州、
医療用を合法化している州は33州あるようです。

そんな時事ネタでした。


2018/12/02(Sun)
Walkin'About@Springfield(2)


スプリングフィールドでは方角を間違って、
北北西の住宅街を進んでいきました。
荒廃している方の近隣地区(Neighborhood)です。

メインストリートという通りに出ると、
そこにはヒスパニック系のお店が並び、
通りから聞こえてくるのはスペイン語です。

ありがたいことみ、ミスター・ジョンは
僕と同じようにこういう街を楽しむ人で、
気さくに人に話しかけるので、思わぬ話が聞けたりします。

街角にあるギフト&ジュエリーショップに入ると、
女性用の化粧品、安価な指輪やネックレスなどとともに、
いろんな日用必需品を売っていました。

店主の女性が、こちらから聞くよりも早く、
「うちはもう25年。お店を続けていくのは大変。」
と言うと、ミスター・ジョンは、
「近隣の人たちが求めるものを、どんどん扱うようになったようだね」
と、このお店の本質を一瞬で見抜いていました。

このお店を外から見ると、「CHECK CASHING」と、
「NOTARY PUBLIC」という文字が見えます。
「チェックキャッシング」は小切手を現金化するサービスで、
銀行口座を作れない不法滞在の移民が現金を得たり、
自国に送金したりするのに使うそうです。
そして「ノータリーパブリック」は「公証人」で、
ある書類にサインした人が実在するのか、
その人本人が強制されることなくサインしたかを
保証する人やサービスのことを言うようです。

このお店にはプエルトリコの旗がかかっていますが、
まさに、面倒見のいいおばちゃんが、
近隣地区の同郷の移民たちのニーズに応えていくうちに
「何でも屋」化していったお店の典型のようでした。

実はもと弁護士のミスター・ジョンは、
こういう角度から街を読み解く見巧者だということが、
徐々に分かってきました。


2018/12/01(Sat)
Walkin'About@Springfield(1)


昨日は、近所のカフェ「barismo」で仲良くなった
ミスター・ジョンの運転のもと、スプリングフィールドへ。
ボストンから90マイル(140km)西にある街で、
車でも1時間半かかります。2人旅なので、
長旅になるとそれだけ英語を長く喋ることになり、
愉しみとともに鍛錬の場にもなりました。

スプリングフィールドは18世紀後半以降、
ライフル銃や拳銃を中心とした武器・弾薬生産で
発展を続けてきた街です。他の製造業都市同様に、
現在は本来の製造業はしんどくなっていますが、
ボストンとニューヨークへの近接性を活かした物流や、
医療センター、大学などが主要な雇用主として
地域の経済を支えています。

町の中心にあるユニオン・ステーションは、
とてもきれいな駅で、長距離バス乗り場や駐車場も隣接させ、
とても機能的にできていました。

帰ってから調べて分かったことですが、
この駅は1851年に生まれ、1926年に四代目の駅が華々しく登場するも、
58年にすぐそばに開通した州間高速道路によって乗降客の半分を失い、
駅舎は70年にニューヨークのディベロッパーに売られ、
73年に閉鎖されています。

ですが、この駅舎を復活させた大立者がいました。
73年に市長秘書となった25歳のリチャード・E・ニールは、
この駅舎を再生させたいという強い思いを持ち、
83年にはスプリングフィールド市長になり、
市民や経済界、メディアの人たちと一緒に
成功している鉄道駅再生事例を調べて全国を回っています。

88年にニールは連邦議会議員となりましたが、
彼は夢を忘れることなく、今度は連邦政府や州の予算を
駅舎再生に向けるための活動を積極的に行います。
彼の長年の取り組みにより、数千万ドルもの資金調達が成功し、
2012に新駅舎建設が着工、16年末に完成しています。
https://www.springfieldunionstation.com/about/history/

だから駅がこんなにきれいで合理的だったんですね。
不屈の精神で市民のための施設を完成させたというイストワールは、
大阪港の築港に尽力した西村捨三氏を思わせます。
これは十分にドラマの題材になりそうだなと。

とはいえ、アムトラックの運行本数は多くなく、
長距離バスステーションと一体開発されたことで、
鉄道とバスは競合しつつこの街の利便性を高めています。
今年6月には、アムトラックの間を埋めるように、
スプリングフィールドから南に、コネティカット州
ニューヘイブンをつなぐハートフォードラインが開設されています。
https://www.courant.com/news/connecticut/hc-news-hartford-line-things-to-know-20180531-story.html

そしてマサチューセッツ州が進めるゲートウェイシティでは、
交通接続性の向上を背景に、駅周辺の空き物件への投資を促しています。
http://www.nepr.net/post/study-examines-potential-springfield-mass-transit-attract-investment#stream/0

こうした都市再生の取り組みが今後どう身を結ぶのか、
ウオッチし続けたいと思います。


2018/11/26(Mon)
Walkin'Abour@Philly(5)


スプリング・ガーデン・ストリートを西に戻ると、
空き地が多く、荒廃した雰囲気が漂っています。
昼食はそこにあったホンジュラス料理店で取りました。 
ホンジュラスは、今大きな話題になっている、
アメリカとメキシコの国境に向かっている移民達の
出発地の一つです。

ここからまっすぐ南に下ると、チャイナタウンがあります。
ボストンのチャイナタウンよりも活気があります。
街の生活がリアルに生活に根差している感じで。
スーパーに入ってみると、他では手に入らなさそうな
中国の食材が並び、中にはアジア人しかいませんでした。

今回行けませんでしたが、ここから南に行くとイタリア人、
さらにその南にはカンボジア人、ベトナム人、
インドネシア人のコロニーが存在するようです。

アメリカの都市には、こうしたエスニック・モザイクが、
わかりやすく見られて僕なんかには面白いのですが、
それが豊かな方の都市再生のモデルではなく、
またその多様性がうまく活かされていないのが
もったいないなと思って見ています(おわり)。

Going back along Spring Garden St. to the west, you’ll see lots of vacant lots and feel devastated atmosphere. I had lunch in a Honduran restaurant. Honduras is one of the countries from where migrants, now becoming the issue, are heading for the border between U.S. and Mexico.
Going to south from there, you’ll get to Chinatown. It seems more vibrant than that of Boston, feeling that people’s daily lives were really rooted to the town.
In the supermarket, there were many kinds of Chinese ingredients which you could hardly get in other places, and all patrons were Asian.
Though I couldn’t step in, there seems to be the colony of Italians if you go to the south, and Cambodian, Vietnamese, Indonesian colonies further south.
We can see such ethnic mosaics which reflect their history of immigration in American cities and that’s the point for me. While, I think it’s regretful that these mosaics are not regarded as the exemplification of urban revival and not utilized their diversity effectively.(The End)




2018/11/25(Sun)
Walkin'Abour@Philly(4)


フィラデルフィアのダウンタウンには、超高層ビルが
林立していますが、その下にはショップやレストランが、
ひしめいているという程ではなく、コンパクトな感じです。
少し南へ進むと住宅しかなくなり、北東へ行くと、
荒廃した元工場都市、という雰囲気が漂ってきます。

東側を流れているデラウェア川のほとりは、
20世紀前半には工場が集積し、栄えていた場所なので
その名残りを探してスプリング・ガーデン・ストリートを
東に進んでいくと、昔の商店街の店舗跡がありました。
そこは全て閉まっていたのですが、さらに進み、
ノース2ndストリートを北に上がると、
大阪でいうと、南船場や堀江のようなお洒落な
カフェやレストランやショップが並ぶ通りがありました。

ここはノーザン・リベルティーズと呼ばれるエリアで、
2000年代前半から、商店跡をリノベートした、
若者の嗜好に合ったお店が増えているようです。
そしてその周りには、工場跡をリノベートしたり、
新たに建てた住宅が増えてきています。
https://hiddencityphila.org/2012/08/northern-liberties-then-now/

ダウンタウンからは2kmほど離れていますが、
そんな場所に、飛び地ができているのです。

フィラデルフィア市では2000年に、
新たに建物を建てたり、古い物件をリノベートした場合に、
増えた価値分の固定資産税を10年間免除するという
減税プログラムをスタートさせています。
http://phillytaxabatement.com/

これまでに2万軒近い物件が、この制度の適用を受けています。
つまりそれだけ民間投資が進んでいるということです。
そして10年を過ぎると、市の税収は増えていきます。

とてもシンプルな方法ですが、かつての製造業都市・
フィラデルフィアは、こんな形で、観光業だけでなく、
住みたい街としての再生を果たし始めているようです。

While many skyscrapers are congregated in downtown Philadelphia,
there are not so many shops and restaurants at the foot of the building.
If you go south, you’ll see all but houses, and go north east, you’ll feel the devastated atmosphere of old manufacturing city.

Since there were many factories alongside the Delaware River in the early 20th century,
I went along Spring Garden St. to the east looking for the traces, and found the former shopping street, though all shops were shut down. Then I go forward N 2nd St. to the north, where I saw a street with cool, updated cafes, restaurants, and shops, the atmosphere was like Minami-Semba and Horie in Osaka.

In this area, called Northern Liberties, shops and restaurants fit to young people’s taste utilizing the old shops have been increasing since the beginning of 2000’s. And housings utilizing old factories and newly built apartments also have been increasing, then many young people return. Though this area is located over a mile far from the downtown, new enclaves are emerging there.

Philadelphia city launched the tax abatement program to exempt the additional tax for ten years when you build a new building or make physical improvements on your properties.
And nearly 20,000 properties were applied so far, that means the same number of private investments took place. And once the period of tax abatement finished, the city’s tax revenue increases.

Though it’s a simple idea, Philadelphia as former industrial city seems to start reviving not only as a sightseeing city but also as a “want to live” city using this scheme.


2018/11/24(Sat)
Walkin'Abour@Philly(3)


僕がフィラデルフィアにいた11月22日には、
Thanks Giving Dayのパレードが行われていました。
大阪21世紀協会時代の御堂筋パレードを思い出し、
追っかけていました。市民に愛されているのが伝わってくる、
とてもいいイベントでしたが、この日は最低気温が-8℃、
最高気温が0℃で、凍傷になるかと思い、
売っていた手袋を本能的に買いました。
トランペットを吹いていた人たちはよく指が動いたなと。

パレードが行われていたパークウェイは
街のグリッドラインを斜めに切るように、
センタースクエアとフェアマウントパークを結んでいます。
パレードをするために作ったのではと思える道です。
市庁舎建設と同時期に提案され、1918年に完成していますが、
建設のために1300以上の住宅や工場などを取り壊しています。
まちの風格を作るのに、そこまでやったんですねぇ。

In Nov.22, when I was in Philadelphia, Thanksgiving Day Parade took place.
I recalled Midosuji Parade I had engaged in in my Osaka 21st Century Association era, and walking with them. I felt strongly that this event was beloved by Phillies, though it was quite cold with the highest temperature was 32℉, lowest 18℉, so I instinctively bought a pair of groves sold nearby for fear of being frostbitten. I wondered how trumpeters move their fingers.

The Parkway, where the parade was held, connects Center Square to Fairmount Park cutting the grid lines transversally. It seems to have been built to hold this Parade.
This street was suggested around the same time as the construction of City Hall and was completed in 1918, while over 1300 houses, factories and other structures were demolished to build it. They dared go so further to make the city’s patina.


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